徳川家綱

  1. 徳川家綱 【徳川4代目将軍】―武断政治から文治政治への転換

    徳川家綱 は1641年、3代将軍の徳川家光の長男として誕生した。家綱には補佐する人物がいた。前半は、老中の保科正之や松平信綱が政治を補佐し、後半は大老の酒井忠清が補佐をしていたという記録が残っている。江戸幕府の歴史におい…

おすすめ記事

『最後の将軍・徳川慶喜』 なぜ味方を見捨てて「敵前逃亡」したのか?

新政府軍を前に逃げ出した徳川慶喜1868(慶應4)年1月3日から6日まで、4日間にわたり…

歴史から学ぶ、正しい謝罪方法とは? 「三木武吉、三遊亭円楽の見事な対応」

謝罪は難しい芸能人のスキャンダルが話題になるたびに「上手く切り抜ける方法は何だったのか」と考える…

織田信長が最も愛した女性 「生駒吉乃とお鍋の方」とのラブロマンス

織田信長がメインキャストとして登場する大河ドラマでは、齋藤道三の娘・濃姫が注目されがちである。…

『古代中国』夫が妻を他人に貸して子を産ませていた?清代まで続いた「典妻」とは

妻を他人に貸す古代の婚姻慣習古来より中国の婚姻は、時代ごとの社会状況や人々の暮らしぶりに…

太原雪斎ついて調べてみた【黒衣の宰相とも呼ばれた今川義元の師】

今川義元の右腕太原雪斎(たいげんせっさい)は、戦国時代の今川家に仕えた臨済宗の僧侶で且つ武将、今…

実は死刑よりも残酷だった「島流しの刑」 〜流人たちの過酷すぎる生活

日本史上でよく知られる「島流しの刑」。この刑罰は、現代でいえば終身刑や無期懲役に近い部分もあ…

【形なき怪異たち】行動は知られているが、姿は不明の怪物伝承

神話や伝説に登場する怪物というのは、大抵の場合、その姿形がはっきりと描写されているものだ。…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP