三國志

『三国志』 魏のエリートから蜀の将軍へ~ 夏侯覇の禁断の移籍

夏侯一族の禁断の移籍

スポーツの世界において「禁断の移籍」という言葉が存在する。

その禁断の移籍の厳密な定義は存在しないのだが、主にチームのスター選手がライバルチームに移籍した時に使われる事が多い。(バルセロナからレアル・マドリードに移籍し、カンプ・ノウにレアルの選手として戻って来たルイス・フィーゴに豚の頭が投げ付けられた事件が有名である)

30年来のレッズサポである筆者も、デビューから応援していた永井雄一郎と小野伸二が、浦和レッズから清水エスパルスに移籍した時は言葉に出来ない感情を覚えた。

導入が長くなったが、本題の三国志の話に入る。

仕える国を変えるパターンを三国時代に当てはめると

・魏から蜀
・蜀から魏
・蜀から呉
・呉から蜀
・魏から呉
・呉から魏

となるが、仕える国を変えた人物は無数に存在するわけで、いちいち禁断の移籍などと言っていたら話にならない。

だが、魏から蜀に移った人物の中で「夏侯家」の人間がいたら話は変わる。

今回は、魏から蜀に禁断の移籍をした夏侯覇(かこうは)について紹介したい。

名将の息子として生まれた魏のエリート?

夏侯覇の禁断の移籍

画像 : 清代の書物に描かれた夏侯覇 publicdomain

魏の名将で、曹操との血縁的な関係も近い夏侯淵の息子として生まれた夏侯覇だが、若い頃から優秀だったという記述があるだけで、これだけだと血縁を活かしたエリート扱いをされているようにしか見えない。

『三国志演義』では蜀の北伐から登場して蜀軍と戦っているが、思い返せば夏侯覇が活躍したシーンは全く浮かばない。

『正史』では230年の曹真の蜀攻めに従軍しているが、包囲されて危機に陥り、間一髪のところで援軍に救出されるなど、やはりいいところがない。

その後は魏の国内で地味に昇進を続け、247年に羌族の反乱とそれに呼応した姜維率いる蜀軍と戦い、魏の名将である郭淮のサポートもあって一度は勝利するが、再度出撃した蜀軍の前に敗れている。(敗れはしたものの蜀軍もすぐに撤退したため致命的な領地の喪失はなかった)

亡命と禁断の移籍

夏侯覇は、魏での目立った実績はほぼなかったものの、曹操の父親の実家である夏侯家の血筋により重用されていた。

しかし、249年の司馬懿のクーデターによりその立場が一変する。

画像 : 司馬懿クーデター public domain

このクーデターによって曹家は力を失い、魏は司馬一族のものとなった。

夏侯家という魏に於ける最強の家柄も、名将の息子というカードも全て失った夏侯覇は、いつ命が狙われてもおかしくない自身の立場を恐れ、蜀へと亡命する。

夏侯家の人間が魏を捨てて蜀に移るのは正に「禁断の移籍」というべきものだったが、蜀の皇后の母である夏侯氏(無双シリーズは「夏侯姫」の名で登場)が、その名の通り夏侯家の血を引いていた事もあり、皇后の一族として夏侯覇は歓迎された。

なお、この亡命は夏侯覇単身で行われ、家族は魏に置き去りとなったが、夏侯淵の魏に於ける功績もあって恩赦され、一族の命は救われている。

蜀将としての夏侯覇

魏の名族ながら蜀に暖かく迎えられた夏侯覇は、皇后の血族もあり、早速「車騎将軍」に任じられる。(車騎将軍は皇帝の側近や外戚「皇后の親類」が就任する将軍位で、蜀の初代車騎将軍は張飛

演義では元魏の武将という事もあって、道案内役や参謀役としてそれなりの出番があるが、戦闘面での活躍はない。
ドラマの『三国演義』でも、冒頭のあらすじで「夏侯覇は戦死した」とナレーションであっさり済まされる、いわゆる「ナレ死」で呆気なく退場している。

正史では、255年の第二次狄道(てきどう)の戦いに参戦した事が書かれているが、この戦いにおいて夏侯覇がどの程度貢献したのかは不明である。(狄道の戦いで最終的に蜀は撤退する事になるが、魏に大きな損害を与えた)

その後、正史に夏侯覇の行動を残した記述はなく、「258年から260年までの間にこの世を去った」と読み取れる文章があるだけで、結局、夏侯覇は魏の武将としても蜀の武将としても、その血に見合った活躍する事は出来なかった。

夏侯覇を助けた「血」

画像 : 夏侯淵 清の時代に描かれた三国志演義の挿絵 public domain

筆者が夏侯覇を知ったのはドラマだったが、夏侯淵の息子という看板もあって夏侯覇が蜀にやって来た時は、かなり期待していた。

結局前述した通り、夏侯覇はドラマ内で知らぬ間に戦死して肩透かしを食らうのだが、皇后と血縁関係があるとはいえ新参武将にいきなり蜀の武将としてトップクラスの地位を与えられたのだから、夏侯覇が相当期待されていた事は想像に難くない。(夏侯覇を即時重用せざるを得なかった蜀の人材難も読み取れる)

結局のところ、夏侯覇は「夏侯淵の息子という、血で得した人生だった」という結論になるが、ゲームの世界では夏侯淵の息子として活躍を見せてくれる。

『三國無双』シリーズでは父譲りの明るい性格で人気キャラとなり、一部ファンからは夏侯淵の「淵ジェル」に対して夏侯覇は「覇ニー」と呼ばれ親しまれている。

一方の『三國志』シリーズでは血族補正もあってか、戦闘での活躍がないにもかかわらず『三國志14』で「統率79、武力84、知力77」と戦闘面のステータスが高く設定されている。

正史や演義での活躍がほぼ見られない実績を考えると、夏侯覇のステータスはやや過大評価に感じるが、ゲームの世界では人材不足の蜀末期シナリオでは貴重な戦力として活躍してくれる、頼れる名将として存在感を放っている。

最後に

夏侯覇はその名門の血統により魏で重用されるも、実際の戦場では大きな功績を残すことはなかった。

249年の司馬懿のクーデターを受けて蜀へと亡命した彼は、夏侯家の血筋を持つ蜀の皇后の存在によって迎え入れられ、新たな地位を得ることができた。しかし、その後も大きな戦果を挙げることはなく、歴史的な評価は限定的であるといえよう。

一方で、ゲームやドラマといったメディアでは、父譲りのカリスマ性を持つキャラクターとして人気を博している。正史や演義での記録が少ないことが逆に、フィクションの世界で自由に描かれ、多くの人々にその名を知られる機会となった。

参考 : 『正史三国志』『三国志演義』他

 

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