平安時代

【安達ヶ原の鬼婆伝説】 鬼婆が妊婦の腹を引き裂くと…「自分の娘と孫だった」

日本各地に伝わる「鬼婆」伝説は、昔から多くの人々に語り継がれています。

鬼のような恐ろしい顔つきの老婆が、鬼畜のような行為を繰り広げるこれらの物語は、耳を塞ぎたくなるほど恐ろしいものばかりです。

それでもなお、これらの伝説が長年にわたって現代まで語り継がれているのは、単なる昔話ではなく、その背後に深い事情や悲哀が隠されているからかもしれません。

さらに、伝説の地には鬼婆が使用したとされる道具が祀られていたり、墓が存在したりと、ただの怖い作り話とは思えないほどのリアリティがある点も、人々を引きつける理由の一つでしょう。

以前、「999人の旅人を殺し1000人目は自分の娘だった」という東京下町に伝わる「浅茅ヶ腹の鬼婆伝説」をご紹介しました。

今回は、現在の福島県二本松市に伝わる「奥州安達ヶ原の鬼婆伝説」をご紹介します。

【安達ヶ原の鬼婆伝説】

画像:旅人を頃そうと伺っている鬼婆河鍋暁斎「浅茅ヶ原一ツ家古事」public domain

奥州安達ヶ原の鬼婆

安達郡大平村(現在の福島県二本松市)には、人を喰らう「奥州安達ヶ原の鬼婆」という伝説があります。いくつかの異なる説がありますが、大枠は以下のようなストーリーです。

昔々、平安時代のことです。京の都にある大きな屋敷で、「いわて」という乳母が幼いお姫さまの世話をしていました。しかし、お姫さまは成長しても一向に話すことができませんでした。

いわてはお姫さまのことを心配し、医者に診せましたが原因は分からず、ある占い師に診断を依頼しました。
すると、占い師は「妊婦のお腹の中にいる赤ん坊の生肝を飲ませればよい」と告げました。

そこでいわては、愛するお姫さまを助けるため、幼い娘・恋衣(こいごろも)を京に残し、生肝を手に入れるべく旅立ったのです。

京都からはるか奥州まで、どれくらい時間がかかったのでしょうか。

阿武隈川のほとり(安達ヶ原)にたどり着いた彼女は、生贄を狙うのにちょうどよさそうな岩屋を見付け、棲みついたのです。

【安達ヶ原の鬼婆伝説】

画像:「岩屋」のイメージ photo-ac

それ以来、いわては時折岩屋に旅人を招き入れては殺し、生肝を奪う生活を続けていました。しかし、彼女の目的である「妊婦のお腹の中にいる赤ん坊の生肝」は手に入れることができませんでした。

月日が流れ、数十年後のある寒い冬の夜、若い夫婦が彼女の岩屋にやってきました。

「この寒さの中、泊まる場所がなくて困っています。妻は妊娠しています。どうか泊めてください」

いわてにとっては、待ち望んでいた絶好の機会です。喜んで二人を岩屋に招き入れました。

その夜、妊婦が突然腹痛を訴えたため、夫は薬を求めに急いで外出します。

いわては今こそ好機とばかりに出刃包丁を手に取り、苦しむ妊婦の腹に切りかかったのです。

生肝を求めて

【安達ヶ原の鬼婆伝説】

画像:歌川国貞安達ヶ原のばば public domain

妊婦の腹を裂き、赤ん坊の生肝を取り出した彼女に、死を迎える直前の妊婦が苦しい息の下で呟きました。

「私は『いわて』という名前の母親を探して旅していました。もし、心当たりの旅人に会ったら、私のことを……」

とだけいい残し、息絶えたのでした。

ひょっとしてと慌てたいわては、妊婦の荷物の中を調べたところ、見覚えのあるお守り袋がありました。なんとそれは、京の都を旅立つときに娘・恋衣に持たせたものでした。

たった今、手にかけたのは、自分の娘と孫だったのです。

大切に育ててきたお姫さまを救うためとはいえ、占い師の言葉に乗せられて「生肝」を手に入れようとするうちに、いわては人間としての心を失い、旅人を殺すようになってしまいました。そして、ついには自らの娘と孫の命を奪うという悲劇が起こったのです。

いわては、自らの犯した罪の重さに耐えきれず発狂し、もはや人間の面影すら失ってただの鬼と化してしまいます。

薬を買って戻ってきた娘の夫も、あまりに凄惨な場面を目にして正気を失い、悲嘆の中で自らの胸を刺して命を絶ちました。

鬼婆の棲家に旅の僧が訪れる

画像:熊野那智大社 wiki ©

年月が経ったある日、完全に鬼婆と化したいわてが住む岩屋に、旅の老僧が立ち寄ります。

「一晩、泊めてもらえませんか」

その老僧は、熊野の那智社で修行を積んだ阿闍梨東光坊祐慶(あじゃりとうこうぼうゆうけい)という高僧でした。いわては快く彼を家に招き入れ、「寒いので薪を取りに行く」と言って外に出かけました。

その後、何気なく隣の部屋をのぞいた祐慶は、そこにおびただしい数の死骸と白骨が積み重ねられているのを発見します。

「これが噂の、安達ヶ原の鬼婆の棲家か」

と気付いた祐慶は、即座に岩屋を飛び出して逃げ出しました。

ところが、それを察知した鬼婆はものすごい速さで追いかけてきます。

背後に鬼婆が迫ってくるのを感じた祐慶は、「もはやこれまで」と覚悟を決めました。

画像:追いかける鬼婆 月岡芳年「新形三十六怪撰」public domain

そして祐慶は立ち止まり、背中に背負っていた那智社観音像をススキの根に立て、一心不乱にお経を唱え始めました。

すると不思議なことが起こりました。
観音像が空へと舞い上がり、破魔の白真弓に金剛の矢をつがえ、鬼婆を射て退治したのです。

命を救われた祐慶は、この観音像を「白弓観音」と命名しました。

そして、鬼婆の亡骸を阿武隈川のほとりに手厚く葬り、その地は「黒塚」と呼ばれるようになりました。

画像 : 観音菩薩、12世紀、平安時代、東京国立博物館蔵

鬼婆伝説が残っている福島県の「観世寺」

福島県二本松市安達ヶ原にある「観世寺(かんぜんじ)」は、祐慶が命を救われた白弓観音(観世寺観音像)を祀るために建立されたといわれています。

境内には、「鬼婆像、鬼婆の墓、鬼婆が住んでいた岩屋、血で染まった包丁を洗った家」など、この伝説にまつわるものが数多く残されています。
また、観世寺の近隣には、鬼婆に殺害された娘・恋衣を祀った恋衣地蔵もあります。

「奥州安達ヶ原の鬼婆」伝説は、謡曲・浄瑠璃・歌舞伎などでも語り継がれてきました。

幕末から明治時代前半にかけて活躍した浮世絵師・月岡芳年(つきおかほうねん)の浮世絵作品「奥州安達がはらひとつ家の図」にも、この話が描かれています。

【安達ヶ原の鬼婆伝説】

画像:『奥州安達が原ひとつ家の図』(月岡芳年画)public domain

月岡芳年の作品は、ダイナミックな構図と大胆な描写で有名です。その絵は、鬼婆の恐ろしい姿をまざまざと感じさせます。

いわては、自分が仕えていたお姫さまの病気を治すためとはいえ、人道を外れた占い師の言葉を信じてしまいました。
生肝を手に入れるという決意を胸に、幼い娘を残して旅立った彼女が、殺害した相手が自分の娘と孫であったと知ったときの心情は、想像を絶します。

この悲惨な母と娘の伝説に触れるため、いまだに「観世寺」を訪れる人々は後を絶たないそうです。

画像:阿武隈川の岸に立つ杉の木。その根元にある塚が、安達ヶ原の鬼婆の墓と伝えられている。wiki ©

参考:
二本松市HP「安達ヶ原物語
二本松市「安達ヶ原の鬼婆
福島観光情報サイト

 

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桃配伝子

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アパレルのデザイナー・デザイン事務所を経てフリーランスとして独立。旅行・歴史・神社仏閣・民間伝承&風俗・ファッション・料理・アウトドアなどの記事を書いているライターです。
神社・仏像・祭り・歴史的建造物・四季の花・鉄道・地図・旅などのイラストも描く、イラストレーターでもあります。

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コメント

  1. アバター
    • ヨーコ
    • 2024年 7月 14日 10:37am

    奥州安達ケ原の鬼婆 の詳しいストーリーを初めて知りました。恐ろしくも悲哀を感じる伝説で、長年 物語や浮世絵に取り上げられて来たことも納得できました。

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