江戸時代

徳川家綱 【徳川4代目将軍】―武断政治から文治政治への転換

徳川家綱
徳川家綱 は1641年、3代将軍の徳川家光の長男として誕生した。

家綱には補佐する人物がいた。前半は、老中の保科正之松平信綱が政治を補佐し、後半は大老の酒井忠清が補佐をしていたという記録が残っている。

江戸幕府の歴史において、初代徳川家康から3代目徳川家光までは、法度と武力を背景に取り潰したことから武断政治と言われる。

4代目家綱から7代目徳川家継までは、学問による政治を重視したことから文治政治と呼ばれた。文治政治において、老中だけでなく学者も侍講として将軍に仕え、政治の助言をしていた。また、将軍が学問を奨励していたと言われている。

ここでは、最初に武断政治から文治政治に転換するきっかけになった事件とその背景、徳川家綱の政治について農民統制に関する法令を取り上げる。

由井正雪の乱と文治政治への転換点

3代目徳川家光まで多くの藩が取り潰された。4代目徳川家綱が将軍に就任したころ、藩が取り潰されたことに伴い、藩に仕えていた武士は失業していた。新しく仕官できる藩が見つかれば問題なかったが、仕官できずに失業者があふれていた。当時の人々は失業者のことを浪人かぶき者と呼び、多数いたことから社会問題になっていた。

これまでに藩が取り潰された事例として、武家諸法度に違反して無断で城を修理した福島正則が挙げられる。

武家諸法度などの違反行為の他に藩が取り潰される要因としては、藩主の跡継ぎがいないことである。当時の幕府の統制は大名の婚姻や養子縁組について無断で行うことが禁止されていて、許可が必要であったことから藩主がなくなる間際で養子をとる(末期養子)ができなかった場合、藩の取り潰しに至る。

徳川家綱は4代目将軍として就任した頃、浪人やかぶき者があふれておりその救済を訴え、兵学者の由井正雪と浪人の丸橋忠弥らが幕府を転覆する計画を実行しようとしていた。

この由井正雪らによる計画は事前に幕府に漏れ、未遂に終わっている。この由井正雪らによる幕府転覆計画を由井正雪の乱または慶安の変という。正雪は駿府の宿において町奉行の捕り方に囲まれ自刃する。この事件をきっかけに家綱は政治制度を改めることになる。


静岡市葵区沓谷の菩提樹院にある首塚 撮影 浅野ます道

徳川家綱が改めたことについては次のことが挙げられる。

藩が取り潰される要因となっていた末期養子の禁については、条件を緩和することにより、藩の取り潰しの数を減らそうとした。具体的には藩主の年齢が50歳未満であれば末期養子が可能になり、後継ぎがいないことによる取り潰しが少なくなったと言われている。また、これまでの武士の慣習で武士の間で美徳とされていた殉死を禁止するなど大幅に見直した。

4代目徳川家綱による農民統制

徳川家光が亡くなる直前に出された農民統制に関する法令として、慶安のお触書が挙げられる。

この法令については、麻を着ること、米を食べないでひえや粟を食べること、茶や酒を飲まないこと など百姓の生活の細部に至るまで規定されている。

ここで江戸時代の百姓の土地相続について考察したい。

これまでの百姓の土地相続について分割相続が原則とされていた。分割相続の場合、相続する人が多いと土地が細分化されるという問題が生じる。この細分化問題を解決するために、徳川家綱は分割相続で農地が細分化したことに伴う没落を防ぐために分地制限令を出している。

また、農民を統制するために、連帯して責任を負うことを定めた五人組という制度もできた。農民の中で、土地をもって年貢を納める本百姓と土地を借りて田を耕す水呑百姓という身分が生まれたのも4代将軍家綱の頃である。

おわりに

徳川家綱が将軍になった時は、藩の取り潰しによる多くの失業者が社会問題になっていた。幕府転覆計画があったことから、家綱は武力による政治から学問による政治に転換した。

以降、5代目から7代目までは学問による政治「文治政治」によって幕府政治が安定する。次の記事では5代目将軍徳川綱吉について取り上げたい。

 

徳川15将軍シリーズ:
徳川家康【江戸幕府初代将軍】の生涯
徳川秀忠【徳川2代目将軍】―意外に実力者だった
徳川家光【徳川3代目将軍】―幕藩体制確立を目指して
徳川家綱【徳川4代目将軍】―武断政治から文治政治への転換
徳川綱吉【徳川5代目将軍】ー学問を奨励と生類憐みの令
徳川家宣・徳川家継【徳川6、7代目将軍】ー新井白石による政治改革
徳川吉宗【徳川8代目将軍】ー享保の改革
徳川家重〜家治【德川9〜10代目将軍】と田沼意次の政治
徳川家斉【徳川11代目将軍】松平忠信による寛政の改革
寛政の改革後の徳川家斉【化政文化】

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