江戸時代

「天然痘」予防の普及に迷信と戦った医師・緒方洪庵

漫画にも登場

緒方洪庵

※緒方洪庵肖像

緒方洪庵(おがたこうあん)は幕末の時代にあって大阪の地に「適塾」を開き、医術・蘭学を教授すると同時に、天然痘予防の普及に大きな足跡を残した人物です。

その業績の大きさ故に幕末を描いた様々な作品にも登場しており、漫画であれば手塚治虫の名作「陽だまりの樹」では主人公のひとり手塚良庵の師として、

また村上もとかの「JIN-仁-」では主人公南方仁の良き理者として描かれています。

蘭学・医学の習得

緒方は、文化7年(1810年)に備中の足守藩士・佐伯惟因の三男として生まれました。

幕末の志士達の中では医者から武士へと進んだ人物たち、大村益次郎久坂玄瑞などがありますが、緒方はこの逆で武士の子でありながら体が丈夫ではないことで、医者の道を進んだと伝えられています。

緒方は父とともに大阪に上ると、文政9年(1826年)に中天游の「思々斎塾」に入りここで以後4年間蘭学と医学を学んだとされています。

以後も緒方は天保2年(1831年)には江戸で坪井信道宇田川玄真に学び、天保7年(1836年)には長崎へ遊学してオランダ人医師のニーマンに医学を学びました。
緒方は天保9年(1838年)に大坂に戻ると医業を始める傍ら、蘭学を教授する「適々斎塾(適塾)」を開設しました。

※適塾(大阪市中央区北浜3丁目)wikiより

適塾は開塾されていた凡そ25年の間に3,000人の入門者がいたと伝えられています。

尚、現在の大阪大学医学部の元になったとも言われています。

天然痘の予防に尽力

※天然痘の被害を伝えるアステカの絵(1585年)パイプによる治療を試みている

その後医師としての緒方は、嘉永2年に佐賀藩を通じて種痘を入手すると大阪の古手町に「除痘館」を開設しました。

ここで牛痘種痘法による天然痘の予防医術の普及に務めました。洪庵自身も8歳の時に天然痘にかかっています。

まだ迷信深かった時代でもあり、牛痘を用いると牛になるなどの流言や、西洋医術そのものに対する抵抗が強かった中で、緒方は地道な普及活動を続けました。

こうした活動の結果、安政5年(1858年)に緒方の天然痘の予防医術は幕府の公認を得て、正しい牛痘種痘を行う者のみに免許を与える制度を確立させ、天然痘対策に大きな貢献を果たしました。

緒方洪庵 突然の死

緒方は、文久2年(1862年)には幕府からの要望を受けて、将軍家の侍医たる奥医師に就くと同時に幕府が設立した西洋医学所の頭取となって江戸に赴きました。

しかし元来体の弱かった緒方の体を激務が蝕むことになったためか、文久3年(1863年)に享年54にして死去しました。

洪庵の突然の死の要因として、江戸城西の丸の火事に際して和宮の避難に帯同し、炎天下に長時間晒されたためとも伝えられています。

漢方をも尊重

緒方は、西洋医学者としては珍しく、従来からの医療である漢方の活用にも熱心でした。

この考えは患者に最も合った処置を考慮したものから取り入れていたと言われています。

漢方の華岡青洲の一派である漢方塾合水堂と、緒方の適塾の門下生同士は常に諍いが絶えず、当時適塾に在籍していた福沢諭吉も認めたほど険悪な関係にありましたが、緒方は華岡一派に対しても常に医者同士として接し、患者の斡旋や意見交換を行うなどの泰然自若とした態度を貫いたと伝えられています。

こうした逸話は、冒頭の人気作「JIN-仁-」の主人公南方仁のモチーフにも用いられたのではないかと感じられます。

 

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学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

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