江戸時代

徳川家宣・徳川家継【徳川6、7代目将軍】新井白石による政治改革

5代目将軍徳川綱吉に子供がいなかったため、弟の徳川家宣(いえのぶ)が6代目将軍に就任した。

家宣が将軍に就任して3年で亡くなると、幼少の徳川家継(いえつぐ)が7代目将軍になる。ここでは、6代目将軍と7代目将軍について紹介する。

当時の政治については新井白石 による政治改革が行われていてその政治のことを正徳の治と言う。

正徳の治についてはこの記事の終わりに取り上げる。

6代目徳川家宣 について

新井白石
※徳川家宣像(徳川記念財団蔵)

徳川家宣 は1662年甲府藩主の徳川綱重(徳川家光の三男)の長男として生まれた。つまり徳川家光の孫である。

生まれた当時、母親が正室ではなく、正室をとる前に生まれたことから家臣に預けて育てたという記録が残っている。元服して綱豊と名前を変えているが、5代目将軍徳川綱吉に子供がいなかったことから、6代目将軍になることが決まり、名前を家宣に改めている。

家宣が6代目将軍になったとき、家宣は44歳である。江戸幕府15代の将軍の中で、最高齢で将軍になった人物である。

家宣が将軍になると、甲府藩に仕えていた新井白石が侍講として仕えることになった。5代目徳川綱吉のころの側用人だった柳沢吉保が辞職したことに伴い、側用人は間部詮房(まなべあきふさ)になった。間部詮房と新井白石の2名が将軍を補佐する政治が7代目徳川家継まで続くことになる。これが新井白石による正徳の治の始まりである。

家宣は将軍になった頃から、当時幼少だった息子のことを気にかけていたと言われている。将軍に就任してから3年後に家宣は病気で死去した。

7代目徳川家継 について

6代目徳川家宣が将軍に就任して3年目に亡くなると、当時3歳だった徳川家継 が7代目将軍に就任した。

徳川家継は家宣の4男で、病気のため8歳で亡くなった。江戸幕府15代の将軍の中で、最年少で将軍になった人物である。

当初、家宣は病気で倒れたとき、家継が幼少であった頃から御三家の1つである尾張藩の徳川吉通を後継ぎにすることを考えていた。幼い将軍が就任すると世の中が混乱するという記録が残っており、家宣はそれを恐れていた。

新井白石は家宣の尾張藩主を将軍の跡継ぎにするという考えに反対した。嫡男がいるにもかかわらず、尾張藩主を将軍の後継に指名すると江戸幕府内で対立が起こる可能性があるというのがその根拠である。家宣は、新井白石の進言を受けて将軍を家継にすることを決めたと言われている。

将軍が徳川家継のとき、大奥で最大のスキャンダルが起こった。このスキャンダルは絵島・生島事件と呼ばれている。この事件は大奥の実力者絵島が歌舞伎小屋で芝居を見物し、人気役者の生島新五郎たちを招いて酒宴をしたことが問題視された事件である。この事件で、大奥の実力者だった絵島は信濃高遠藩にお預けとなり、役者の生島新五郎は三宅島に遠島になった。

このスキャンダルについては将軍が幼少であったため事件を防ぐことができなかったと言われている。

新井白石 による政治改革「正徳の治」

新井白石は1657年に上野国(現在の群馬県)で生まれた。

当初、上野国の藩士として仕えていたが、藩主が狂気を理由に改易となったため、大老の堀田正俊に仕えた。堀田正俊が江戸城内で暗殺されると、そのまま浪人となるが独学で儒学を学んだ。

どの藩にも仕えないで浪人であったとき、徳川綱吉に侍講として仕えていた木下順庵の門下になった。その後、甲府藩に侍講として仕え、当時甲府藩主だった徳川家宣に政治の助言をしたという記録が残っている。

徳川家宣が6代目の将軍になると将軍の侍講として仕え幕府の政治改革に取り組む。その頃の新井白石の政治は正徳の治と呼ばれている。

正徳の治の具体的な内容として次のことが挙げられる。

5代目将軍徳川綱吉が財政を立て直すために小判の金銀の含有量を減らした元禄金銀を大量に発行し、質の悪い貨幣を発行したことにより物価が高騰していた。物価の高騰を抑えるために、金銀の含有量が初代将軍徳川家康の頃に発行された慶長金銀の頃に戻し、インフレを抑えることに成功した。

長崎での海外との貿易で、金銀が流出するという問題が起こっていた。金銀の流出を抑えるために、当時貿易をしていたオランダと清(中国)との貿易を制限した。金銀の量に制限を設けたうえで、貿易の品目をあわびやふかのひれなど魚介類に制限した。これらの魚介類のことを俵に詰めて輸出していたことから俵物と呼ばれている。

キリスト教の宣教師が鹿児島に潜入したという事件が起こった。新井白石は直接長崎に赴いてキリスト教の宣教師を尋問したし、西洋の地理や宗教・文化などを聞き取った。この内容は『西洋紀聞』と『采覧異言』でまとめられている。

終わりに

ここでは新井白石の正徳の治の主な内容について取り上げた。新井白石の記録については自叙伝の『折たく柴の記』で知ることができる。

次回から江戸幕府の改革に取り組んだ8代目将軍徳川吉宗以降の政治について取り上げたい。

徳川15将軍シリーズ:
徳川家康【江戸幕府初代将軍】の生涯
徳川秀忠【徳川2代目将軍】―意外に実力者だった
徳川家光【徳川3代目将軍】―幕藩体制確立を目指して
徳川家綱【徳川4代目将軍】―武断政治から文治政治への転換
徳川綱吉【徳川5代目将軍】ー学問を奨励と生類憐みの令
徳川家宣・徳川家継【徳川6、7代目将軍】ー新井白石による政治改革
徳川吉宗【徳川8代目将軍】ー享保の改革
徳川家重〜家治【德川9〜10代目将軍】と田沼意次の政治
徳川家斉【徳川11代目将軍】松平忠信による寛政の改革
寛政の改革後の徳川家斉【化政文化】

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