江戸時代

徳川家康【江戸幕府初代将軍】の生涯 「徳川将軍15代シリーズ」

徳川家康
徳川家康 は、1542年に三河国(現在の愛知県東部)に岡崎城城主松平広忠の調子として生まれた。

元服後に松平元康(後の徳川家康)と名乗る。ここでは、徳川家康の幼少期からの人質としての生活、桶狭間の戦い後から本能寺の変まで、本能寺の変以降から関ケ原の戦いまで、江戸幕府を開いてからの徳川家康という4つのテーマに分けて取り上げる。

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幼少期からの人質としての生活

家康が幼少期のころの松平家は、尾張国の織田信秀との戦いに敗れ、最初は織田の人質だったと言われている。織田の人質だった頃、幼少時代の織田信長と面識があったと伝えられている。
小豆坂の戦いで、織田信秀が今川義元との戦いに敗れ、三河国を失うと、今川義元の人質となる。

今川義元の人質になったときに元服し、松平元康と名乗った。今川義元の人質だった頃に、今川の軍師だった太原雪斎から兵学を学び、後に様々な戦に役立てたと言われている。

人質だった頃、駿河国の豪族関口氏の娘 瀬名姫(後の築山殿)と結婚し、長男松平信康が誕生する。

桶狭間の戦い後から本能寺の変まで

1560年、今川義元が3万もの大軍を率いて織田信長を攻めたが、奇襲に遭い大敗した。

当時、松平元康は今川義元の兵として最前線で戦っていた。今川義元が討ち死にして、兵が駿河に向けて引き揚げていたとき、三河国の岡崎城に入り、今川から独立することに成功した。

松平元康が三河国で独立した当初、一向一揆に悩まされ三河国の統治に苦労したが、見事鎮めて統一を果たした。独立後、織田信長と同盟を結び、天下統一に向けて動くことになる。織田信長と同盟を結んだ頃に、松平元康から徳川家康に名前を変えている。

織田信長と同盟を結んでから三河国と遠江国を支配した。家康はこれまでに数多くの戦いを経験してきたが、しかめ面の肖像画を残すきっかけになった三方が原の戦いについて取り上げる。

三方が原は静岡県の浜松城の近くにある台地で、家康は狭い道に武田信玄を追い込むことで勝てると判断し、浜松城から兵を出した。

ところが、武田信玄の奇襲により大敗すると、家康は浜松城にかろうじて逃げることができた。

このときの屈辱を忘れまいとするために肖像画を描かせたと言われている。この戦で負けたことをきっかけに、徳川家康は後に滅亡する武田家の家臣を雇って、武田流の兵法を取り入れた。


※『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)

三方が原の戦い後、武田信玄は駿河国・遠江国を通って、三河国の城に入ったところで病気のため急死した。

その後、武田勝頼が引き継いでから三河国で長篠の戦が起こった。

織田信長と徳川家康は武田勝頼に勝利をしたが、織田信長にとって武田勝頼の脅威が消えていないわけではなかった。

そのような中で、築山殿と家康の長男の徳川信康が武田勝頼と内通しているという疑いがかけられ、築山殿を殺害し、長男信康を自害させるという悲劇が起こった。

本能寺の変後から豊臣秀吉の天下統一まで

本能寺の変が1583年に起こった。

明智光秀が謀反で織田信長を倒したという知らせが入ったとき、徳川家康は堺にいた。堺から伊賀の山中を超えて三河国に入ったと言われている。この伊賀の山越えで家康は何度も土民に襲われたが、無事に戻ることができた。途中、武田の家臣で、武田家滅亡後徳川家康に仕えていた穴山梅雪は家康と別れた後、殺害されたという記録が残っている。

本能寺の変後、唯一の豊臣秀吉との戦いがあった。その戦いは小牧・長久手の戦いである。

数の上では秀吉側が有利であったと言われているが、秀吉側の大将であった豊臣秀次が采配を間違えたため、徳川家康が豊臣秀吉に勝った。小牧・長久手の戦いの後、豊臣秀吉は関白になったが秀吉の狙いについては家康よりも優位な立場に立つために官位で従わせようとしたと考えられる。

以降、徳川家康は豊臣家の家臣となって、豊臣秀吉の天下統一に貢献した。

豊臣秀吉は小田原合戦で北条氏を破ると、家康を三河国・遠江国・駿河国から江戸に移るように命令した。当時の江戸城は小さい城で、荒れ地だったと言われている。

家康が町づくりをしたことにより、江戸は将軍のお膝元と言われ、世界初の人口100万人の都市になった。

江戸幕府を開いてからの徳川家康

徳川家康は、1600年の関ケ原の戦いで勝利をしてから、1603年に朝廷より征夷大将軍に任命された。

1605年に2代目の徳川秀忠に将軍を譲ってからも大御所として権力をふるったと言われている。

江戸幕府の政治については次回の「江戸幕府2代目将軍徳川秀忠―意外に実力者だった―」で取り上げたい。

関連記事 : 徳川家康はなぜ駿府城で隠居したのか 調べてみた

徳川15将軍シリーズ:
徳川家康【江戸幕府初代将軍】の生涯
徳川秀忠【徳川2代目将軍】―意外に実力者だった
徳川家光【徳川3代目将軍】―幕藩体制確立を目指して
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徳川家宣・徳川家継【徳川6、7代目将軍】ー新井白石による政治改革
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