江戸時代

寛政の改革後の徳川家斉【化政文化】

化政文化

化政文化
※松平定信

松平定信による寛政の改革は厳しすぎるという反発が相次ぎ、松平定信は老中を辞任することになった。

定信が失脚してから徳川家斉(いえなり)が親政を行った。家斉は徳川家慶(いえよし)に将軍職を譲るが、大御所として政治の実権を握り続けた。
寛政の改革後の政治を大御所時代といい、このときに江戸の町人を中心とした文化が栄えた。この文化を化政文化という。ここでは化政文化について取り上げるとともにロシアの動きと蝦夷地の探検について取り上げたい。

徳川家斉の大御所時代

化政文化の特徴について様々な分野から取り上げたい。思想・学問では次のような特徴がみられる。

水戸黄門で有名な徳川光圀の大日本史の編纂事業からの水戸学という学派で、尊攘思想が主張された。これは後に幕末の尊王攘夷運動につながる。


※本居宣長

日本の原点を追究する学問で、国学という学問が大成した。国学とは簡単に言えば、儒教や仏教の影響を受ける前の、古代日本の文化や思想などを明らかにしようという学問である。

国学では賀茂真淵の門人である本居宣長がよく知られている。当時難解となっていた古事記を誰でも読めるように校訂した。それまでの古事記は日本書紀のおまけ程度の扱いだったが、本居宣長が著した「古事記伝」は当時の人々に大きな衝撃を与え、古事記は歴史書として後世の評価を大きく上げることとなる。

独自の町人にも学問が広まり、商人が私塾を開業する動きも見られた。その代表的な例として、大坂に適塾を開いた緒方洪庵が挙げられる。

美術では浮世絵が盛んになったころである。江戸時代の浮世絵は包装紙として用いられていたため、芸術的な価値として評価されることはほとんどなかった。包装紙であった浮世絵が海外に持ち出されたとき、芸術的価値が高く評価されたと言われている。浮世絵の代表的な画家として、葛飾北斎歌川広重などが挙げられる。

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浮世絵以外では、西洋の画法である遠近法を取り入れた写生画が盛んになった。写生画では円山派の円山応挙や四条派の呉春(松村月渓)が挙げられる。この頃、西洋画も伝えられ、司馬江漢平賀源内亜欧堂田善が知られている。


※亜欧堂 田善 両国図

民衆の間では、伊勢神宮に参詣する「お陰参り」、長野の善光寺に参る「善光寺詣」が盛んになった。旧暦の7月15日に祖先の霊をまつる盂蘭盆会や富突き(宝くじ)が始まったのも化政文化の時期である。

大御所時代の列強の動き

江戸時代中期から列強が日本に接近し始めていた。

大御所時代の頃になるとロシア帝国の外交官レザノフが長崎に通商を求めて来航した。当時の幕府は貿易を拒否したが、蝦夷地の探検が必要であると判断し、松平定信の頃から探検事業を本格化させている。


※間宮林蔵(松岡映丘・画)

家斉の大御所時代では間宮林蔵を樺太に派遣した。間宮は樺太に渡ると、樺太と大陸の間に海峡があることを発見した。この海峡を間宮海峡という。間宮は樺太から間宮海峡を渡って、黒竜江のデレンという場所にたどり着いたと言われている。当時のデレンについて、間宮林蔵は清国の人々が多くいることからロシアが支配しているとは言えないという記録を残している。

ロシアについて、1811年に国後島でロシアの軍人ゴローウニンを捕らえた事件が起こった。この事件については淡路島の商人で漂流していた高田屋嘉兵衛がロシアに保護され、交換釈放をすることによって解決された。

寛政の改革の頃から日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬は蝦夷地の測量を行っていた。蝦夷地の測量を終えてから全国の測量を開始する。全国を測量している途中で、伊能忠敬は病死するが、死後3年後に『大日本沿海輿地全図』が完成した。


※『大日本沿海輿地全図』第90図(国立国会図書館デジタルコレクションより)

この地図は正確であったことから長崎にいる外国人の関心が高かったと思われる。シーボルトが伊能忠敬の地図を持ち出そうとするが、失敗に終わったシーボルト事件が発生した。

1828年に長崎ではイギリスの軍艦フェートン号がオランダ船を追跡し、長崎で暴れるという事件を起こした。この事件のことをフェートン号事件という。この事件を受け、幕府は異国船打払令を出し、異国船を見たら追い返すようにした。この打払令については躊躇なく打ち払うという意味から無二念打払令とも呼ばれている。

大御所時代の終わり

徳川家斉の政治は家斉の死去に伴い、終わることになった。

家斉の大御所時代は江戸を中心とした庶民の間でも文化が広まったことから安定した政権で、寛政の改革の頃と比べると華やかだったと言えるかもしれない。次回は第12代目将軍徳川家慶と改革政治について取り上げる。

徳川15将軍シリーズ:
徳川家康【江戸幕府初代将軍】の生涯
徳川秀忠【徳川2代目将軍】―意外に実力者だった
徳川家光【徳川3代目将軍】―幕藩体制確立を目指して
徳川家綱【徳川4代目将軍】―武断政治から文治政治への転換
徳川綱吉【徳川5代目将軍】ー学問を奨励と生類憐みの令
徳川家宣・徳川家継【徳川6、7代目将軍】ー新井白石による政治改革
徳川吉宗【徳川8代目将軍】ー享保の改革
徳川家重〜家治【德川9〜10代目将軍】と田沼意次の政治
徳川家斉【徳川11代目将軍】松平忠信による寛政の改革
寛政の改革後の徳川家斉【化政文化】

 

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