徳川氏
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関ヶ原に散った信義に厚い怪力武将 〜 平塚為広 「小早川秀秋の裏切りを事前に気づくも討死」
平塚為広とは平塚為広(ひらつか ためひろ)とは、豊臣秀吉に仕えた武将である。関ヶ原の戦いでは盟友・大谷吉継の陣に属して前備えを任せられ、裏切った小早川秀秋軍や脇坂安治軍相手に奮戦するも、東軍の部隊にも囲まれて討死にした。…
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豊臣家を内政・外政で支えた北政所ねね 「信長まで魅了した、ねねの魅力と機智」
大坂夏の陣で武家摂関・豊臣氏が滅亡慶長20年(1615年)5月8日正午。京都東山…
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【どうする家康 外伝】 なぜ伊奈忠家は、生涯に三度も徳川家を離れたのか?
昔から「武士は七たび浪人してようやく一人前」などと言われるように、天下泰平の江戸時代はともかく、戦国…
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家康に苦難ばかりが訪れた地獄の一年 【元亀元年~ 金ヶ崎の退き口、姉川の戦い】
家康と元亀元年元亀元年(1570年)は、徳川家康の長い人生の中でも最も苦難が多く、無理に…
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【戦国一の正直者】 仏の高力清長とは ~秀吉も欲しがった三河三奉行 「能力値が高いマイナー武将」
高力清長とは高力清長(こうりききよなが)とは、徳川家康とその父・松平広忠に仕えた譜代家臣である。…
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現地取材でリアルに描く『真田信繁戦記』 第6回・大坂夏の陣編 ~狙うは大御所家康の首一つ
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【戦国一の弓の名手】 内藤正成 ~本多忠勝を「カス」呼ばわりした猛将
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家康の嫡男・徳川秀忠。「秀」と「忠」はそれぞれ誰から貰ったの?【どうする家康】
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【小牧・長久手の激闘】徳川四天王の名は伊達じゃない!“鬼武蔵”森長可を撃破した酒井忠次の武勇伝 【どうする家康】
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家康・秀忠を三河時代から支えた側近・酒井忠世
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現地取材でリアルに描く『真田信繁戦記』 第2回・第一次上田合戦編