徳川氏

  1. 『戦国の名将と江戸の将軍』 伊達政宗と徳川家光の不思議な関係とは

    伊達政宗の野望伊達政宗(1567年 – 1636年)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した大名である。政宗の若い頃からの目標は、伊達家の勢力を拡大し、天下統一を成し遂げることであった。しかし、その前に立ちはだかった…

  2. 徳川家康は大坂夏の陣で討死にしていた? 「堺・南宗寺の墓の謎」

    家康の大坂夏の陣「死亡説」とは徳川家康は元和2年(1616年)4月17日、駿府城にて75…

  3. 江戸時代の日本は本当に「鎖国」をしていたのか?

    はじめに江戸時代の日本は鎖国をしていたというイメージが強いが、実は海外とつながる窓口は4か所も開…

  4. 『最後の将軍・徳川慶喜』 なぜ味方を見捨てて「敵前逃亡」したのか?

    新政府軍を前に逃げ出した徳川慶喜1868(慶應4)年1月3日から6日まで、4日間にわたり…

  5. 徳川家康の人生最後の大問題とは「忠輝と政宗の謀反の噂」

    前編では、家康が「終活」として天皇や宗教勢力、外様大名を封じ込めるために発布した各種の法度について解…

  6. 【どうする家康】 家康の終活と人生最後の決断 「天皇、宗教、外様大名を法で封じ込める」

  7. 【どうする家康】 家康の今川からの独立から遠江獲得まで流れを改めて見る

  8. 江戸幕府黎明期、徳川と朝廷に関係が深い京都「一乗寺・雲母坂界隈」を歩いてみた

  9. 関ヶ原の戦いは史上最大の情報戦だった 〜前編 「西軍についた毛利輝元は実はやる気満々だった?」

  10. 関ヶ原に散った信義に厚い怪力武将 〜 平塚為広 「小早川秀秋の裏切りを事前に気づくも討死」

  11. 豊臣家を内政・外政で支えた北政所ねね 「信長まで魅了した、ねねの魅力と機智」

おすすめ記事

『ナポレオンが警戒した美しき王妃』プロイセンの希望となった王妃ルイーゼとは

1810年7月19日、国民から絶大な人気を誇りながら34歳の若さでこの世を去った、プロイセン…

大勝利と大敗北・日本海軍と丁字戦法

「丁字戦法」と「併航戦法」「丁字戦法」(ていじせんぽう)は海戦における戦術であり、主に火砲を…

よく見てるね人のこと…『紫式部日記』に記された同僚たちへの観察眼【光る君へ】

「あなたが気にするほど、人はあなたのことなんか見てないし、関心もないよ」とは誰が言ったか、筆…

七福神と仏教の関連について調べてみた

福をもたらすとされる神への信仰は中世から始まったとされる。室町時代、地位が高い人々ではなく、町の…

大戦末期の日本の海を守った「海防艦」

あまり太平洋戦争の歴史や当時の軍艦に詳しくない人でも、戦艦「大和」などは比較的有名な艦だろう。やはり…

【冷戦はいつから始まったのか?】 第二次世界大戦中、ソ連が抱いた不信感とは?

「冷戦は第二次世界大戦後に始まった」多くの人はこのように考えていますが、その対立の火種はすで…

【光る君へ】いにしへの…で有名な女流歌人・伊勢大輔(いせのたいふ)とはどんな女性だった?その生涯をたどる

古(いにしへ)の 奈良の都の 八重桜(やへざくら)今日(けふ)九重(ここのへ)に 匂ひぬるかな…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP