最上徳内

  1. 徳川家斉 【徳川11代目将軍】松平定信による寛政の改革

    徳川家斉(いえなり)は1773年に徳川(一橋)治斉の子として生まれた。10代将軍徳川家治の長男が急死したことに伴い、家治の養子となり、後に11代将軍になった。江戸幕府15代の将軍の中で最初に御三卿の一つである一橋家より将軍に…

おすすめ記事

「源頼朝の肖像画は別人だった」今と昔でこんなに違う歴史教科書の変更点

今回は前編に続いて後編である。歴史教科書は今も変化を続けており、前編では坂本龍馬が教科書から…

周倉の武勇伝・どこまでも関羽ひとすじ…『三国志演義』の名脇役

中華街の関帝廟(かんていびょう)へお参りに行くと、主祭神である関羽(かん う。字は雲長)の両隣に対照…

徳川秀忠【徳川2代目将軍】―意外に実力者だった―

ここでは、1605年から江戸幕府2代目将軍になった徳川秀忠について取り上げる。まず、…

【ブギウギ】 青函連絡船が爆撃! 九死に一生を得た笠置シヅ子 「俳優・長谷川一夫の命を救う」

NHK「ブギウギ」では戦局が一層激しさを増し、スズ子たちは空襲に怯える日々を送っています。福…

古代中国の謎民族「毛民」、仙人となった「毛女」……毛にまつわる不思議な伝承

毛は、私たちの体を守る大切な仕組みのひとつだ。たとえば鼻毛は埃や菌の侵入を防ぎ、腋毛…

【西洋文明の源流】 ギリシア文明が現代に与え続ける影響とは?

古代ギリシア文明は、政治、学問、文化、芸術など、現代社会のあらゆる側面に決定的な影響を与え続けていま…

「鬼島津」島津義弘、その壮絶なる退き口と死闘の人生

戦国時代、九州に「鬼島津」と恐れられた猛将がいた。島津四兄弟の次男、島津義弘(しまづ…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP