調べてみた日本史

  1. 血の涙で抗議した藤原為時。淡路守が不満だった理由は 【光る君へ】

    花山天皇が出家・譲位したこと(寛和の変)により、六位蔵人(ろくいのくろうど)・式部丞(しきぶのじょう)の官職を解かれてしまった藤原為時(ためとき。紫式部父)。それから10年以上にわたって冷や飯食いを余儀なくされ、ついに淡路守(あわじ…

  2. 何度でも立ち上がる!諦めない将軍・第15代足利義昭の生涯

    お互いに助け合った義昭と信長の関係1573(元亀4/天正元)年7月2日、室町幕府第15代…

  3. 【江戸時代の美人詐欺師集団】 寝小便で大金を巻き上げた『小便組』とは

    江戸時代は、合戦がほとんどなく「平和な時代」と言われることが多いです。しかし、庶民の間ではさ…

  4. 【イレズミは悪か?】日本のイレズミの歴史 ~縄文の伝統と江戸の刑罰、そして現代まで

    多くの日本人にとっては、「イレズミ=不良文化」といったイメージが根強いだろう。若年層のファッ…

  5. 【神として崇められたニホンオオカミ】大口真神とは ~絶滅した山の神のご眷属

    古来より日本では、生物無生物問わず様々な対象に霊性や神性を見出して、神として崇拝してきた。…

  6. 【総人口の1/3が病死】奈良時代のパンデミック「疱瘡」~当時の疫病対策マニュアルとは

  7. 【焼失と再生】戦火を超えた奈良のコスモス寺『般若寺』とその歴史

  8. 【関ヶ原の戦いの裏側】上田、出羽、九州で何が起こっていたのか?

  9. 「新5千円札の顔」津田梅子 ~日本の女子高等教育に人生を捧げた津田塾創設者

  10. 最期まで呑気な藤原惟規(高杉真宙)僧侶も呆れた彼のコメント【光る君へ】

  11. 2万人が命を落としたガダルカナルの戦い「戦病死者が戦死者を上回る」

おすすめ記事

秀吉の中国大返しはなぜ成功したのか?【230kmの距離を7日で強行】

中国大返しとは1582年6月2日、明智光秀が主君の織田信長を裏切り襲撃した本能寺の変が起こった。…

豊臣五奉行のメンバーとその素顔 「石田 浅野 前田 増田 長束」

豊臣秀吉が死の直前に制度化した五大老と五奉行。大大名の五大老と違い、五奉行の面々は、秀吉子飼…

経営の神様・松下幸之助の功績 【 週休二日制を初めて導入 】

大正7年(1918年)、妻の「むめの」、むめのの弟・歳男とともにわずか3人で設立した「松下電器器具製…

チャイナドレスの起源 ~満州族の伝統衣装「旗袍(チーパオ)」の歴史

中国文化に特化した観光地で多く目にする「チャイナドレス(チャイナ服)」は、華やかで優雅な雰囲気を纏っ…

ネアンデルタール人は なぜ絶滅したのか 「言葉を話し、現生人類と交雑していた?」

ネアンデルタール人は、約40万年前に出現し、約4万年前に絶滅したヒト科の絶滅系統である。前編…

【戦国最強マイナー武将】可児才蔵はどのくらい強かったのか?「笹の才蔵」

可児才蔵とは戦国時代の最強武将を考えた時、思い浮かぶ有名武将は多いと思いますが、武力に極…

ヨーロッパ・ブラッドスポーツ残酷史 後編【スポーツという名の動物いじめは人間にまで!?】

はじめに前回はかつてヨーロッパで行われた一部のブラッドスポーツに関してご紹介しましたが、今回も引…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP