軍記語り物研究会

  1. 織田信長は本当に「人間五十年」と謡(うた)ったのか

    はじめに信長は、快く湯漬を喰べ終ってから、その勝栗を二つ三つ掌に移して、ぼりぼり喰べ、 「馳走であった。……さい。あの小鼓をこれへよこせ」  鳴海潟とよぶ信長が秘蔵の小鼓であった。さいの手からそれを取ると、信長はそれを肩に当…

おすすめ記事

豊臣家滅亡の原因?才能あふれる秀吉が見せた 「でたらめな行動」 とは

優れた才能をもつ秀吉の“でたらめさ”とは豊臣秀吉といえば、素性のはっきりしない小者から身…

紅の豚における虚構と現実 「ポルコの飛行艇のモデル」

「飛ばねぇ豚はただの豚だ」スタジオジブリ製作の宮崎駿監督作品「紅の豚(1992)」の主人公、…

5月頃、コンクリートの上にいる「小さな赤い虫」の正体 【人に害はあるのか?】

5月ごろになると、ベランダやコンクリートの壁、花などに「大量の小さい赤い虫」が湧いているのを…

【親友・斎藤利三の遺骸を刑場から強奪】 海北友松の生涯 〜『雲龍図』を描いた槍の達人

建仁寺方丈にある8幅の襖絵 『雲龍図』京都の代表的な花街・祇園。その北側に、日本最古の禅…

うつ病に『がんばれ!』はNGじゃない?!うつの人との正しい接し方

どんな病気でもそうだが、経験しなければその辛さはわからない。仮に風邪ならば、多くの人はその辛さは…

実は棚ぼただった?豊臣秀吉の関白就任

秀吉の官位羽柴秀吉は、天正13年(1585年)7月に「関白」へ就任し、続いて翌天正14年(1…

【夫に32年間幽閉される】呪いの手紙を残した悲劇の王妃ゾフィー・ドロテア

17世紀後半、神聖ローマ帝国の一角に、美貌と聡明さで知られる一人の王妃がいました。彼…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP