軍記語り物研究会

  1. 織田信長は本当に「人間五十年」と謡(うた)ったのか

    はじめに信長は、快く湯漬を喰べ終ってから、その勝栗を二つ三つ掌に移して、ぼりぼり喰べ、 「馳走であった。……さい。あの小鼓をこれへよこせ」  鳴海潟とよぶ信長が秘蔵の小鼓であった。さいの手からそれを取ると、信長はそれを肩に当…

おすすめ記事

高山右近【信仰に殉じマニラに追放されたキリシタン大名】

ジュストの名を持つキリシタン高山右近(たかやまうこん)は、キリシタン大名としてその名を知…

元は取れる?ドリンクバーでの賢い飲み方

ファミレスチェーン店でおなじみドリンクバーどんな時でも安価で好きなだけ好きなものを飲める、安…

ドイツ帝国海軍 「当時世界第2位だった戦わない海軍 〜現存艦隊主義」

ヴィルヘルム2世の野望ドイツ帝国海軍は、1871年にヴィルヘルム1世の下で統一されたドイ…

藤原道長が奢り高ぶっていたというのは本当なのか?

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたる事も無しと思へば」(この世は私の世だと思う 満月…

母乳が出ないとき、昔の親たちはどうしてた?神話の時代から令和までの哺育事情

私たち哺乳類が生まれてからしばらくの間、栄養源として飲み続ける「母乳」。しかしすべての母親が…

戒律か、母の命か…『前賢故実』に名を残した“名もなき英雄”僧某(ナニガシ)のエピソード

よく「歴史に名を刻む」などと言いますが、いくら名ばかり刻んだところで中身がともなわなければ空しいもの…

『古代中国』自らを天才と勘違いして大敗北した将軍 ~味方の兵士40万人が生き埋めに

名将の子として生まれた趙括趙括(ちょうかつ)は、中国戦国時代の趙の将軍であり、名将として名高い趙…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP