工藤景光

  1. これは山神様の祟りか…源頼朝に従い活躍した老勇者・工藤景光の最期

    20年の雌伏を経て平氏打倒の兵を挙げた源頼朝。その下には心ある勇士たちが参集し、苦闘の末に悲願を果たしたのでした。そんな勇士たちの一人として、工藤景光(くどう かげみつ)がいます。果たしてどんな人物だったのでしょうか。今回は…

おすすめ記事

毛沢東の死を見守った専属医師が明かす「最期の瞬間」

毛沢東の専属医師李志綏(り しすい)は、中国の指導者であった毛沢東の専属医師である。…

鎧なしで敵前上陸!源頼朝が「日本無双の弓取り」と称賛した下河辺行平【鎌倉殿の13人】

「当たらなければどうということはない」当たり前のことですが、どれほど強力な攻撃であろうと、そ…

北欧神話の女神・フレイヤ【数々の異性と肉体関係を持った死の女神】

北欧神話とは北欧神話とは、キリスト教化される前のノース人(北欧全体に広がった古代スカンデ…

SNSは独裁者の脅威となるのか?政権崩壊を引き起こした“投稿”の力とは

ソーシャルメディア(SNS)は、現代社会において情報発信や意見交換の場として革命的な役割を果たしてい…

これも家名を残すため…鎌倉時代、北条時頼に一族を滅ぼされた三浦家村が恥を忍んで逃げた理由

……而泰村以下爲宗之輩二百七十六人。都合五百余人令自殺……※『吾妻鏡』宝治元年(1247年)…

戦争が生み出した異形の存在?~兵士たちが目撃した怪異伝承

妖怪は、昔話の中だけの存在と思われがちだ。しかし、近代においても妖怪の目撃談は少なか…

関ヶ原の合戦で、上杉景勝と戦った結城秀康。なぜ彼は殿軍を引き受けた? 【どうする家康】

徳川家康の次男として生まれ、豊臣秀吉・結城晴朝とたらい回し、もとい養子に出された結城秀康(於義伊)。…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP