津軽氏

  1. 津軽信枚について調べてみた

    戦国時代当時、本州最北端の地を収めていたのが津軽氏である。そして、関ヶ原の戦いという歴史のターニングポイントに立ち会い、後の津軽藩の礎を築いたのは津軽信枚(つがるのぶひら)であった。兄弟分かれての東西合戦信枚は、天正14…

おすすめ記事

ラーメン二郎について調べてみた【インスパイア系が熱い】

「ラーメン二郎はラーメンではなく、ラーメン二郎という食べ物である」とは、あるマニアの有名な言葉だが、…

『750年前の南宋時代ちまきが発掘』 端午の節句「ちまき」の起源とは

端午の節句筆者が在住する台湾では、端午の節句に「ちまき」を食べる風習があるが、日本のそれ…

14歳前後のインカのミイラ【氷の乙女】 生贄として神に捧げられた少女たち

インカ帝国は、現在のペルー、ボリビアのチチカカ湖周辺、エクアドル辺りを中心に、15世紀半ばか…

「近代」から「現代」の歴史的転換点とは? 【帝国主義の終焉と第二次世界大戦の始まり】

帝国主義から第二次世界大戦へ前回の記事「「近代」と「現代」境界線はいつなのか? ~歴史の転換点に…

【戦国時代】 キリシタン武将は何人くらい存在したのか? 「驚愕の100人超え」

戦国時代には、宗教に関連するトラブルや逸話も数多く存在している。その中でも特に注目さ…

モアイだけじゃない!イースター島の「鳥人間伝説」とは

イースター島は太平洋上に浮かぶ、小さな島である。正式名称をパスクア島と言い、現在はチリ共和国が有…

上泉信綱 〜新陰流を起こし剣聖と称された求道者

一次史料にはない伊勢守上泉信綱(かみいずみのぶつな)は、その高弟達が数々の流派を生み出す…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP