黒田孝高

  1. 黒田官兵衛の秀吉時代について調べてみた

    信長時代の孝高黒田孝高(くろだよしたか)は、豊臣秀吉の軍師として官兵衛の名で知られている武将・大名です。孝高は初めは播磨国姫路を治めていた国人領主の御着城主・小寺政職に仕えていました。孝高は父の代から小寺氏の家老…

  2. 黒田官兵衛(孝高)が織田家の家臣となるまで

    多数くの逸話黒田孝高(くろだよしたか)は豊臣秀吉の軍師として、官兵衛の名で知られている武…

  3. 母里友信 〜家康から名前を間違えられた猛将

    家康から名前を間違えられた男母里友信(もりとものぶ)は、黒田孝高(官兵衛)・長政の父子に…

おすすめ記事

『かごめかごめ』の不可思議な歌詞について考察

はじめにかごめかごめかごのなかのとりはいついつでやるよあけのばんにつるとかめがす…

関ケ原の戦いで西軍についたのに復活できた武将たち

関ケ原の戦い慶長5年(1600年)に行われた、所謂・天下分け目の合戦と言われているのが「…

敵には絶対渡さない!長篠合戦で山県昌景の首級を守り抜いた志村又左衛門貞盈【どうする家康】

馬防柵に行く手を阻まれ、その向こうから火縄銃の一斉射撃になすすべもなく倒される武田の騎馬軍団……戦国…

『古代中国』妃が入浴する際、付き添う宦官はなぜ怯えていたのか?

古代中国の宮廷で、宦官(かんがん)は特異な存在であった。彼らは去勢を施されることで後宮におけ…

「仏の茂助」と呼ばれた・堀尾吉晴【豊臣政権の名調整役】

堀尾吉晴とは豊臣秀吉に仕えた堀尾吉晴(ほりおよしはる)は武勇に加え、温和で誠実な面を持ち…

『最強の縁切り神社』京都・安井金比羅宮の「縁切り碑」とは

安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)は、京都の祇園・花見小路のほど近くに位置し、縁切り・縁結びの神社と…

もうなんでもいい【漫画~キヒロの青春】⑳

部屋の窓の外はキャベツ畑…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP