調べてみた戦国時代
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敵には絶対渡さない!長篠合戦で山県昌景の首級を守り抜いた志村又左衛門貞盈【どうする家康】
馬防柵に行く手を阻まれ、その向こうから火縄銃の一斉射撃になすすべもなく倒される武田の騎馬軍団……戦国ファンなら誰もがご存じ「長篠の合戦(天正3・1575年)」。徳川家康(とくがわ いえやす)と織田信長(おだ のぶなが)連合軍が武田勝…
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退くも勇気と言うけれど…なぜ徳川家康は武田信玄に無謀な戦いを挑んだのか 【どうする家康】
「みすみす死ぬな。退くも勇気だ!」※宮崎駿「もののけ姫」勇気とはただ進むだけでなく、時と…
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立身出世したければ…徳川譜代の偏屈者・大久保彦左衛門かく語りき
立身出世したければ、忠義奉公に励むべし……ごく当たり前に聞こえます。しかしいくら懸命に忠義を尽くし、…
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裏切り者は許すまじ!三河一向一揆で離反した大見藤六と、水野太郎作の一騎討ち【どうする家康】
永禄6年(1563年)に勃発した三河一向一揆は松平家中を震撼せしめ、忠義と信仰の板挟みに悩んだ結果、…
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三河一向一揆で大活躍!徳川家康に仕えた土屋重治の忠義と最期【どうする家康】
時は永禄6年(1563年)に勃発した三河一向一揆は松平家臣団を震撼せしめ、信仰と忠義の板挟みになった…
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【どうする家康】徳川家康は女性登用も上手かった 「茶阿局と阿茶局の活躍」
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家康と瀬名の息子・徳川信康のパーフェクト?な生涯をたどる【どうする家康】
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家康・三大危機の1つ 「三河一向一揆」とは? 【部下や親戚まで敵となる】
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昨日の友も今日は敵。共に今川を攻めた武田信玄の裏切り、追い詰められた家康は……【どうする家康】
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開国路線だった家康は、なぜ心変わりしたのか? 【岡本大八事件】
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徳川家康は世界中と貿易しようとしていた 「鎖国とは真逆の外交政策だった」