どうする家康

お田鶴の方(演 : 関水渚)は史実ではどんな女性だったのか? 【どうする家康】

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、初期から登場している関水渚演ずるお田鶴の方(おたづのかた)

ドラマでは、気が強めですぐに密告するというクセが強めのキャラクターとして演じられている。

 

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第5回の「瀬名姫奪還作戦」においても、お田鶴が瀬名姫の母に近づき情報を聞き出して今川氏真に密告。作戦は失敗に終わる。

第10回の「側室をどうする!」においても、渡部豪太演ずる夫の飯尾連龍(いのおつらたつ)の裏切りを氏真に密告し、連龍は後ろから斬られ、渡部豪太氏はドラマに登場するもすぐに消えてしまうという展開になっている。

そんな密告キャラのお田鶴の方は、史実ではどんな女性だったのだろうか?

お田鶴は鵜殿長照(うどのながてる)の妹

鵜殿長照(うどのながてる)とは野間口徹が演じていた武将で、「どうする家康」第6回において家康に上ノ郷城を攻略され、自ら首を掻っ切ったシーンは印象的である。

お田鶴は鵜殿長照の実の妹であり、家康初の側室となった西郡局(お葉 : 演 北香那)は義理の姪である。(※姉妹という説もあるがこれは誤りとされている)

ドラマでは今川氏真にすぐに密告することから、兄の鵜殿長照と同様に今川家に強い忠誠心を持った女性といった描かれ方をしている。

夫の飯尾連龍は今川家を裏切りまくっていた

お田鶴の夫・飯尾連龍(いのおつらたつ)は、前述したとおり徳川と通じていたことをお田鶴に密告され、今川氏真につめられてすぐに斬られるといったシーンで描かれている。

この飯尾連龍!お館様を裏切ってなどおりませぬ!」と、渡部豪太氏が演ずる場面だけを見ると何となく誠実そうに見えるが、史実では飯尾連龍は何度も今川氏に背いている。

元々飯尾氏は室町幕府奉行衆の家系であり、曽祖父の飯尾長連の代に駿河国に下って今川氏譜代の家臣となり、引間城周辺を領する国衆となった。

お田鶴の方(演 : 関水渚)は史実ではどんな女性だったのか?

画像 :  浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城(引間城)wiki c Saigen Jiro

しかし1560年の桶狭間の戦いで、今川義元が織田信長に討たれたことで情勢が一変する。

家康が今川から離反した後の1563年、飯尾連龍は同じ今川氏被官である松井氏・堀越氏・天野氏・井伊氏と共に今川から離反したのである。この時点で連龍は家康と通じている。

当然、今川氏真は怒って引間城を攻めるが、連龍相手にかなり苦戦し、今川方は主将の新野親矩が戦死するなど城攻めは失敗に終わった。

その後、連龍は今川と和睦し再び帰順したが、翌年の1564年にまた家康と通じて今川を裏切り、今川は再度引間城を攻めている。

そして今川氏真は再び連龍を許し、再び和睦しているのである。つまりこの時点で2度許している。

しかし翌年の1565年、連龍は再々度、家康と通じて今川を裏切る動きに出るのである。

さすがに今川氏真も堪忍袋の緒が切れたはずである。とはいえ戦うとなると連龍は戦が強く苦戦させられる。そこで氏真は一計を案じ、連龍に和談を申し入れて酒宴を催し、そこで連龍を誅殺した。時間軸で言えばこれがドラマで描かれていた場面となる。

ただし史料によって、連龍の離反の年代や死の描写は多少異なっている。『武家事紀』では切腹とされ、『武徳編年集成』では2~30名の兵で戦い、お田鶴と共に戦死となっている。『井伊家伝記』ではそもそも飯尾氏は引間城の城主ではなく家老で、井伊氏が引間城主だったとされている。

史料によって差異はあるものの、連龍が家康と通じて今川に背き、今川が苦戦し、連龍が亡くなったことは共通している。

お田鶴の方(演 : 関水渚)は史実ではどんな女性だったのか?

画像:飯尾豊前守連竜の墓(東漸寺)撮影 城田涼子

お田鶴は密告していなかった?

ドラマではすっかり密告キャラとなっているお田鶴だが、実際にはどうだったのだろうか?

実はお田鶴が今川氏真に密告したという史料は存在していない。

それどころか『井伊家伝記』によると、引間城の城主とされる井伊直平が今川の為に出陣しようとした際に、夫の連龍に反逆を勧めたとある。さらに井伊直平に毒の入った茶を飲ませて毒殺したという。(連龍が毒茶を飲ませたという記述もある)

『改正三河後風土記』では、お田鶴は夫の連龍が氏真によって謀殺されたことに怒り、武田と内通して引間城での籠城を決意したとある。

いずれにせよ密告したという史料は存在しないが、夫の死後、引間城に立て籠もり家康と戦ったことから、今川方として戦ったという形になる。

夫が氏真に誅殺されていることからお田鶴の内心がどのようなものだったかは定かではないが、とにかく家康とは組みたくなかった事は間違いなさそうである。

お田鶴の最後

イメージ画像 illustAC cocoanco 

家康は引間城を守るお田鶴に何度も使者を送り、降伏するように説得したが、男勝りの気性のお田鶴は応じなかったようである。

かつて引間城があった地に建てられた静岡県浜松市の元城町東照宮「椿姫観音」の伝説では、

お田鶴は薙刀を持った侍女18人と数百の城兵達と共に徳川軍と戦い、2~3日は敵を追い払ったが城兵は全員討死。

最後にお田鶴は18人の侍女と共に打ち出て家康の軍と戦ったが、ついに討死し、侍女たちと共に「御台塚」に埋められた。

とされている。

家康の正室・築山殿は、親戚であるお田鶴の方の死を哀れみ、御台塚の周囲に100本以上の椿を植えたことから、「御台塚」は「椿塚」、「お田鶴の方」は「椿姫」と呼ばれるようになったのである。

※引間城やお田鶴の方に関しては、過去に現地取材に行ったかなり詳しいレポ記事があるので、こちらも是非参照してみてください。

引間城へ行ってみた [豊臣秀吉&徳川家康ゆかりの日本最強のパワースポット観光」
https://kusanomido.com/visited/32285/

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編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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