大友氏

  1. 『女子供、老人だけで島津軍を翻弄』戦国の女傑・妙林尼の痛快な逆襲劇とは

    天正十四年、豊後の国に主のいない城があった。老人、農民、そして女子供ばかりが守る鶴崎城である。その指揮を執っていたのは、出家した一人の女、吉岡 妙林尼(みょうりんに)であった。彼女は尼でありながら、豊後侵攻を開始した…

  2. 大友宗麟の「国難レベルの女遊び」をやめさせた、立花道雪の「天岩戸作戦」

    立花道雪とは立花道雪(たちばなどうせつ)とは、九州の戦国大名・大友宗麟の片腕・軍師として…

  3. 立花道雪・生涯無敗の雷神【武田信玄も対面を希望した戦の天才】

    立花道雪とは大友宗麟に仕えた立花道雪(たちばなどうせつ)こと戸次鑑連(べっきあきつら)は、そ…

  4. 大友宗麟について調べてみた【キリシタン大名】

    謎の多い 大友宗麟大友義鎮(おおともよししげ)は、大友氏第21代当主で、一般的には宗麟(そう…

  5. 立花宗茂【秀吉に絶賛された西の最強武将】

    立花宗茂の生い立ち立花宗茂(たちばなむねしげ)は、永禄10年(1567年)8月に豊後の大友氏…

  6. 高橋紹運について調べてみた【立花宗茂の実父】

おすすめ記事

近藤勇が「大久保大和」と名乗った意味は? 「尊皇攘夷と幕府への忠義…新選組局長」

宮川勝五郎、宮川勝太、嶋崎勝太、嶋崎勇、そして実名(本姓+諱)の藤原義武……幕末・京都の不逞浪士を震…

伝説の5人の狙撃手たち 【戦場の死神】

狙撃という行為ほどコストパフォーマンスの良い軍事攻撃はないだろう。時には一人の狙撃手と数発の…

「武士の鑑」畠山重忠の子孫は江戸時代まで続いた?『系図纂要』を読んでみよう【鎌倉殿の13人】

元久2年(1205年)6月22日。鎌倉武士の鑑であった畠山重忠(はたけやま しげただ)が、無実の罪に…

和田義盛はなぜ、北条義時に滅ぼされたのか?

和田義盛とはどんな人物か?桓武天皇の皇子・高望王直系平氏三浦一族の分家筋が、和田氏である…

豊臣秀吉の「バテレン追放令」について分かりやすく解説してみた

「バテレンを日本から追放するように」と、1587年に豊臣秀吉から発令されたのが「バテレン追放令」であ…

【源氏物語はここで生まれた】紫式部の邸宅跡「廬山寺」を訪ねてみた

2024年に放送されたNHK大河ドラマ『光る君へ』では、平安時代を代表する文学者・紫式部の波…

ルイ16世について調べてみた

ルイ16世は、ブルボン朝第5代のフランス国王である。この名前を聞いて、どんなイメージが思い浮かぶ…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP