徳川氏
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【どうする家康】 家康の終活と人生最後の決断 「天皇、宗教、外様大名を法で封じ込める」
関ヶ原の戦いから10年後の慶長20年(1615年)5月に大坂城が落城し、豊臣秀頼と淀殿が自害、豊臣家が滅亡し戦国時代は終わりを告げた。大坂城落城後、天下人である徳川家康はその足で急いで京都の二条城に入り、徳川の世のためとなる…
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【どうする家康】 家康の今川からの独立から遠江獲得まで流れを改めて見る
NHK大河ドラマ「どうする家康」もついに大坂の陣編へと突入し、物語はいよいよ佳境を迎えている…
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江戸幕府黎明期、徳川と朝廷に関係が深い京都「一乗寺・雲母坂界隈」を歩いてみた
エピローグ ~雲母坂と旧所名刹~京都・一乗寺エリアは、清水寺などがある東山の北に位置しま…
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関ヶ原の戦いは史上最大の情報戦だった 〜前編 「西軍についた毛利輝元は実はやる気満々だった?」
関ヶ原の戦いとは慶長5年(1600年)9月15日、徳川家康が率いる東軍と、石田三成を中心…
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関ヶ原に散った信義に厚い怪力武将 〜 平塚為広 「小早川秀秋の裏切りを事前に気づくも討死」
平塚為広とは平塚為広(ひらつか ためひろ)とは、豊臣秀吉に仕えた武将である。関ヶ…
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豊臣家を内政・外政で支えた北政所ねね 「信長まで魅了した、ねねの魅力と機智」
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【どうする家康 外伝】 なぜ伊奈忠家は、生涯に三度も徳川家を離れたのか?
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家康に苦難ばかりが訪れた地獄の一年 【元亀元年~ 金ヶ崎の退き口、姉川の戦い】
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【戦国一の正直者】 仏の高力清長とは ~秀吉も欲しがった三河三奉行 「能力値が高いマイナー武将」
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現地取材でリアルに描く『真田信繁戦記』 第6回・大坂夏の陣編 ~狙うは大御所家康の首一つ
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【戦国一の弓の名手】 内藤正成 ~本多忠勝を「カス」呼ばわりした猛将