徳川氏
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徳川家康は大坂夏の陣で討死にしていた? 「堺・南宗寺の墓の謎」
家康の大坂夏の陣「死亡説」とは徳川家康は元和2年(1616年)4月17日、駿府城にて75歳で没した。その遺体は家康の遺言に従い、その晩に久能山東照宮に納められ、後に一周忌をもって日光東照宮に移されたというのが通説である。…
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江戸時代の日本は本当に「鎖国」をしていたのか?
はじめに江戸時代の日本は鎖国をしていたというイメージが強いが、実は海外とつながる窓口は4か所も開…
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『最後の将軍・徳川慶喜』 なぜ味方を見捨てて「敵前逃亡」したのか?
新政府軍を前に逃げ出した徳川慶喜1868(慶應4)年1月3日から6日まで、4日間にわたり…
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徳川家康の人生最後の大問題とは「忠輝と政宗の謀反の噂」
前編では、家康が「終活」として天皇や宗教勢力、外様大名を封じ込めるために発布した各種の法度について解…
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【どうする家康】 家康の終活と人生最後の決断 「天皇、宗教、外様大名を法で封じ込める」
関ヶ原の戦いから10年後の慶長20年(1615年)5月に大坂城が落城し、豊臣秀頼と淀殿が自害…
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【どうする家康】 家康の今川からの独立から遠江獲得まで流れを改めて見る
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江戸幕府黎明期、徳川と朝廷に関係が深い京都「一乗寺・雲母坂界隈」を歩いてみた
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関ヶ原の戦いは史上最大の情報戦だった 〜前編 「西軍についた毛利輝元は実はやる気満々だった?」
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関ヶ原に散った信義に厚い怪力武将 〜 平塚為広 「小早川秀秋の裏切りを事前に気づくも討死」
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豊臣家を内政・外政で支えた北政所ねね 「信長まで魅了した、ねねの魅力と機智」
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【どうする家康 外伝】 なぜ伊奈忠家は、生涯に三度も徳川家を離れたのか?