徳川氏
-
『最後の将軍・徳川慶喜』 なぜ味方を見捨てて「敵前逃亡」したのか?
新政府軍を前に逃げ出した徳川慶喜1868(慶應4)年1月3日から6日まで、4日間にわたり繰り広げられた鳥羽伏見の戦い。圧倒的な戦力を有していてにもかかわらず、旧幕府軍は、薩摩藩・長州藩を主力とする新政府軍に連戦連敗。…
-
徳川家康の人生最後の大問題とは「忠輝と政宗の謀反の噂」
前編では、家康が「終活」として天皇や宗教勢力、外様大名を封じ込めるために発布した各種の法度について解…
-
【どうする家康】 家康の終活と人生最後の決断 「天皇、宗教、外様大名を法で封じ込める」
関ヶ原の戦いから10年後の慶長20年(1615年)5月に大坂城が落城し、豊臣秀頼と淀殿が自害…
-
【どうする家康】 家康の今川からの独立から遠江獲得まで流れを改めて見る
NHK大河ドラマ「どうする家康」もついに大坂の陣編へと突入し、物語はいよいよ佳境を迎えている…
-
江戸幕府黎明期、徳川と朝廷に関係が深い京都「一乗寺・雲母坂界隈」を歩いてみた
エピローグ ~雲母坂と旧所名刹~京都・一乗寺エリアは、清水寺などがある東山の北に位置しま…
-
関ヶ原の戦いは史上最大の情報戦だった 〜前編 「西軍についた毛利輝元は実はやる気満々だった?」
-
関ヶ原に散った信義に厚い怪力武将 〜 平塚為広 「小早川秀秋の裏切りを事前に気づくも討死」
-
豊臣家を内政・外政で支えた北政所ねね 「信長まで魅了した、ねねの魅力と機智」
-
【どうする家康 外伝】 なぜ伊奈忠家は、生涯に三度も徳川家を離れたのか?
-
家康に苦難ばかりが訪れた地獄の一年 【元亀元年~ 金ヶ崎の退き口、姉川の戦い】
-
【戦国一の正直者】 仏の高力清長とは ~秀吉も欲しがった三河三奉行 「能力値が高いマイナー武将」