お互いに助け合った義昭と信長の関係1573(元亀4/天正元)年7月2日、室町幕府第15代将軍・足利義昭は、京都郊外・宇治の槇島城にいた。同城は、幕府奉公衆・真木島昭光の居城で、巨大な巨椋池に浮かぶ島である槇島に築かれた堅…
明智光秀像(本徳寺蔵)日本史上最大のクーデターと言える本能寺の変で主君織田信長を討っ…
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この世界は、古今東西を問わず、不条理と悪に満ちている。救いの見えない現実の中で、人々…
18世紀のイギリスの歴史家「エドワード・ギボン」は著書「ローマ帝国衰亡史」のなかで、人類がもっとも幸…
ギリシア神話の神々というと「強大な力」を持つ特別な存在の様に思うが、人間と同じ様に恋愛にも意欲的…
前編では、家康が「終活」として天皇や宗教勢力、外様大名を封じ込めるために発布した各種の法度について解…
日本は島国である。それによるメリットもデメリットもあったのだが、歴史的に見ると、「海外からの…
約400年前、ローマ屈指の名門貴族の令嬢が斬首の刑に処されました。彼女の名はベアトリ…
コヴェントリー爆撃コヴェントリー は、イギリスのイングランドにある工業都市です。第二次世界大…
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