お互いに助け合った義昭と信長の関係1573(元亀4/天正元)年7月2日、室町幕府第15代将軍・足利義昭は、京都郊外・宇治の槇島城にいた。同城は、幕府奉公衆・真木島昭光の居城で、巨大な巨椋池に浮かぶ島である槇島に築かれた堅…
明智光秀像(本徳寺蔵)日本史上最大のクーデターと言える本能寺の変で主君織田信長を討っ…
トップページに戻る
先日この草の実堂が、丸パクリコピーされるということが起こりました。そのコピーサイトは草の実堂の歴…
呉の礎を作った小覇王魏、蜀、呉の三国で最後まで生き残った呉だが、孫権が200年に呉を継い…
前回の記事「ナチスを裁いたニュルンベルク裁判 “人道に対する罪”とは何か?」では、ニュルンベ…
新しい研究によると、地盤沈下と海面上昇により、ニューヨーク、ボストン、サンフランシスコ、ニュ…
道長の五男藤原 教通(ふじわらののりみち) 吉田 隼(よしだ・はやと)藤原道長の五男。母…
長尾景虎(後の上杉謙信)は1530年、越後国守護代の長尾為景の四男として生まれた。長尾景虎に…
「日本三大○○」という言葉はよく耳にするが、戦国時代が好きな人にとっての「三大○○」とは何だろう…
Copyright © 草の実堂 All rights reserved.