お互いに助け合った義昭と信長の関係1573(元亀4/天正元)年7月2日、室町幕府第15代将軍・足利義昭は、京都郊外・宇治の槇島城にいた。同城は、幕府奉公衆・真木島昭光の居城で、巨大な巨椋池に浮かぶ島である槇島に築かれた堅…
明智光秀像(本徳寺蔵)日本史上最大のクーデターと言える本能寺の変で主君織田信長を討っ…
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本州の南約300kmに位置する八丈島は、関ヶ原の戦いで西軍に属した宇喜多秀家が流された地とし…
仏教には「女犯」(にょぼん)という言葉があります。日常的に聞かない言葉ですが、原則と…
座敷童子(ざしきわらし)という妖怪の話を聞いたことがある人は多いだろう。この妖怪は東…
信長の黒母衣衆 蜂谷頼隆蜂屋頼隆(はちやよりたか)は織田信長、その没後は豊臣秀吉に仕えた…
「織田信長=苛烈で怖い人」というイメージを抱く人は多いだろう。それは信長が行った『比…
司馬江漢とは260余年も続いた江戸時代、戦国乱世の世界から平和な世になると数多くの「天才…
備中松山城(岡山県高梁市)は、標高480mの臥牛山(がぎゅうざん)の懐深く曲輪群を形成する。そし…
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