戦国時代

戦国武将の家紋の由来(伊達 上杉 武田 北条)

乱世の時代の主役たち、戦国武将の家紋はただの飾りではない。

家紋の由来を紐解くことで、秘められた物語が見えてくる。

伊達政宗

戦国武将の家紋の由来(伊達 上杉 武田 北条)
【※越後の上杉家から与えられた仙台笹】

南奥(なんおう/東北地方南部)の平定を目指していた伊達政宗は、天正17年(1589年)、会津の蘆名氏を破り、その居城の黒川城に移ったが、翌年、北条氏討伐のため、関東に出兵した関白秀吉のもとに遅参。許しを得た政宗は、北条氏滅亡後に奥羽も平定され、秀吉の天下統一が成就した。

だが、徳川家康の天下になってからは、仙台を中心に荒れ果てた62万石の領地を与えられる。

政宗の紋として知られるのは仙台笹(ざさ)と呼ばれる「竹に雀」である。遺命で建てられた墓所、瑞鳳殿(ずいほうでん)の門に、この紋が見える。

家伝によると政宗の祖父、伊達晴宗(はるむね)の時から用いられていたという。晴宗の祖母が越後守護・上杉定実(さだざね)の娘だったことから、晴宗の弟を定実の養子とする話が進み、定実から上杉氏の紋である笹に雀を与えられたことに始まるというが、養子縁組は実現しなかったという。

弟の話なのに、晴宗は自分(伊達宗家)の定紋として上杉の紋を用いていたというのが面白い。

さらに政宗は、秀吉から「菊・桐」紋の使用を許されたという。これは朝廷にも縁があることを示す紋である。

上杉謙信


【※天皇より菊紋とともに与えられた五七桐の紋】

謙信は法名で、俗名を「輝虎(てるとら)」といった上杉謙信は、幼名を景虎(かげとら)という。兄・晴景(はるかげ)の跡を継ぎ、春日山城主となって国内を従えると、越山して関東に威を振るった。

永禄2年(1559年)4月、京に上り、13代将軍・足利義輝に謁し、翌5月には正親町天皇にも謁見した。

そして、6月には天皇より「菊・桐」の紋を与えられ、将軍からは塗輿(ぬりこし)、朱柄(あかえ)の傘、屋形号(称号)を与えられた。

前年9月、上野(こうずけ/群馬県)の平井城から越後に逃げてきた関東管領・上杉憲政(のりまさ)が、景虎に上杉の家譜(かふ)と管領職を与えることを告げると固辞して受けなかったが、永禄4年(1561年)に北条氏の拠点である小田原城を攻めて、憲政の恥辱を雪いだとき、4月に鶴岡八幡宮の社頭にて憲政の譲りを受けて管領職に就いている。関東管領とは上杉家が世襲する幕府の補佐役のことである。

このとき、謙信も「竹に雀」紋などを譲られ、名を上杉政虎(まさとら)と改めた。

武田信玄


【※名を変えた武田氏の一族も用いていた菱紋】

信玄とは法名で、俗名は元服の時、12代将軍・足利義晴(よしはる)から一字を与えられて「晴信(はるのぶ)」と名乗った。武田氏は由緒ある家系で、先祖は新羅(しんら)三郎源義光(みなもとのよしみつ)である。

武田信義(のぶよし)の代に鎌倉幕府を開く源頼朝に従い、以降、武田氏は甲斐国(山梨県)など諸国の守護職を受け、守護大名から戦国大名となり、父・信虎(のぶとら)の時代に至る。対立する父を駿河(静岡県)の今川氏のもとに追放して家督を継いだ晴信は、信濃(長野県)進出を継続して発展させた。父・信虎の時代に13代将軍・足利義輝より桐紋を与えられたというが、信玄の代に桐紋を用いていたかどうかは明らかでない。

武田氏の家紋として知られるのは菱紋で、武田菱として有名だ。鎌倉時代、室町時代と400年以上も家系を伝えたことから、武田を称する一族は各地に広がったが、いずれも菱紋を用いている。

そして、武田氏の結束を表現したという説もある菱紋は信玄も好み、天下に武威を示したのであった。

北条氏政


[画像.三つ鱗]

北条氏は、初代・北条早雲(そううん)以来、相模国(神奈川県)の小田原城を拠点として5代氏直(うじなお)まで関東に覇をとなえた戦国大名である。4代氏政(うじまさ)は、甲斐の武田信玄、駿河の今川義元とともに「三国同盟」を実現させた北条氏康(うじやす)の嫡男で、母は義元の姉であった。さらに正室は信玄の娘で、二人の間に5代を継ぐ氏直が生まれている。

初代早雲は、もとの名を伊勢新九郎といい、系譜の上では鎌倉北条氏を継ぎ、家紋も「三つ鱗(みつうろこ)」を用いている。この紋は、鎌倉幕府を開く源頼朝の正室となった政子の父であり、頼朝を補佐した時政(ときまさ)が、江ノ島神社を参拝したときに「神感」によって用いるようになったという。

江ノ島は、明治の作家、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が「海と美の女神を祀ってある神の島」と称えたことで知られ、頼朝も戦勝を祈願したと伝わる。また、パワースポットとしても有名である。

最後に

家紋から戦国大名同士のつながりや、家系の流れを思い描くことができる。

少なくとも、ここに書いた戦国大名にはそれが当てはまるが、他にも家紋を通して歴史を見ることで、新たな発見があることだろう。

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