調べてみた日本史

  1. 最期は後鳥羽上皇の怨霊に?三浦義村はその後どうなったのか【鎌倉殿の13人 後伝】

    NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、いよいよ最終回も間近、周囲では早くもロスになる方が続出しているようです(筆者だけじゃなくて安心しました)。第1回「大いなる小競り合い」から最終回(第48回)「報いの時」までずっと活躍してきた三浦義…

  2. 独裁政治家5代執権・北条時頼は意外に善政を為した?

    5代執権・北条時頼とは?北条時頼(ほうじょうときより)は、3代執権・北条泰時の孫にあたる…

  3. 寛喜の飢饉とは 「鎌倉時代に人口の3割が亡くなった大飢饉」

    「寛喜の飢饉」とは?「寛喜の飢饉 : かんきのききん」は、鎌倉時代に起こった最大の飢饉と…

  4. 激突!三好長慶 vs 将軍・足利義輝の抗争 ~後編 【天下人に成りきれなかった男】

    三好長慶の決断今回は前編に続いて後編である。思い悩み考え抜いた三好長慶が下した決…

  5. 坂東武者にも2軍・3軍があった?歴史学者・本郷和人の大胆な仮説【鎌倉殿の13人】

    鎌倉に武士の都を興し、新たな世を切り拓いた源頼朝(みなもとの よりとも)。その歴史的偉業を支える中核…

  6. 激突!三好長慶 vs 将軍・足利義輝の抗争 ~前編 【信長より先んじた天下人】

  7. いざ上洛!承久の乱で「俺たちの北条泰時」と共に出陣した“俺たち”のプロローグ【鎌倉殿の13人】

  8. 【世界が驚く100万人都市だった江戸】 世界最高水準の識字率だった

  9. しっかりしなさい!すでに二児の父だった北条朝時(義時次男)【鎌倉殿の13人】

  10. 【世界が驚いた100万人都市】 江戸の人たちの暮らしの知恵 「超リユース社会だった」

  11. 長篠の戦いの本当の理由 「武田軍は鉛が欲しかった」

おすすめ記事

明智光秀が「本能寺の変」に至った理由を考察

明智光秀という武将に関しては、織田の家臣になって以後の活躍は明らかになっている。しかしそ…

肉親の情よりも大義をとるべし!人質をとられても脅しに屈しなかった「三国志」の忠臣・程畿のエピソード

「コイツの命が惜しければ、大人しく降伏しろ!」「くっ、卑怯な……!」ドラマや映画など…

「サーカス」業界の行方 〜時代と共に求められるモラルの壁〜

日本各地には複数のサーカス団が存在するも、迫力のある大きなテントを構えた「サーカス」をあまり目にする…

エカテリーナ二世 「王冠を被った娼婦と呼ばれたロシアの有能な女帝」

エカテリーナ2世 (エカチェリーナとも : 1729~1796)とは、ロシア帝国の黄金時代を…

「子供をポンポン」暴言にショックを受けていた瀬名(築山殿)、実は自分の嫁(五徳姫)にも同じことを言っていた?【どうする家康】

「それはな、お瀬名殿。そなたがもう女子(おなご)として、終いということじゃ」「子を産まなくなった…

桶狭間の戦いの真実について調べてみた

『尾州桶狭間合戦』 歌川豊宣画学校で教える桶狭間合戦桶狭間の戦いとは、織田信長が隣国から…

尼子晴久 ~謀神・毛利元就を何度も破るが、なぜか評価の低い大名

尼子晴久とは尼子晴久(あまごはるひさ)は、中国地方を制した出雲の戦国大名・尼子経久(あま…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP