調べてみた安土桃山時代
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武田勝頼は愚将ではなかった? 信長・家康・謙信からの評価とは
天正10年(1582年)3月11日、甲斐天目山にて武田勝頼主従が自刃。ここに戦国大名としての武田家は滅亡しました。武田勝頼と言えば、偉大なる父・武田信玄を超えようと躍起になった結果、重臣たちの信望を失った愚将として語られがちです。…
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『弟は危険人物だった?』なぜ上級武家では弟殺しが多かったのか
多くの上級武家で弟は排除された2026年のNHK大河ドラマは、2年ぶりに戦国時代をテーマ…
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【その生き様が表れる】戦場で壮絶に散った戦国武将たちの辞世の句
「死に様は生き様」とはよく言ったものだ。人生の最期には、その人物がこれまでどのように…
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『織田信長の処刑場伝説』安土城の近くにある「呪われた土地?」シガイの森とは
かつて、織田信長が天下統一のために拠点を置いた近江八幡市の、東海道本線安土駅から2.5kmほ…
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【敵方だった秀吉に寵愛された美女】忍城を守った女武者・甲斐姫の伝説
豊臣秀吉は、多くの女性を側室として迎えたことでも知られており、女性関係の逸話が数多く伝えられている。…
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「鬼島津」島津義弘、その壮絶なる退き口と死闘の人生
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豊臣秀吉と徳川家康はいかにして神になったのか? 〜豊国大明神と東照大権現
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「本能寺の変」の後、明智光秀は何をしたのか?秀吉に討たれるまでの10日間の行動とは
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浅井長政は、なぜ織田信長を裏切ったのか? 信長を窮地に陥れた「盟友の裏切り」
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織田信長は、なぜ強かったのか? 〜実は「情報力」がカギだった
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『関ヶ原最大の裏切り』小早川秀秋の寝返りは戦う前から決まっていた?