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ハチミツは紀元前15000年頃には採取されていた 「日本では日本書紀の時代」

画像 : ミツバチを捕獲する養蜂家 wiki c

蜂蜜(ハチミツ)は、私達の生活の中でかかせない食材の一つであると言っても過言ではない。

美味な上に栄養価も高く、世界の年間消費量は年間約120万トンと推定されている。

そんなハチミツはいつ頃から採取されていたのだろうか?

最古の記録は紀元前15000年

みつばちが地球上に現れたのは約2千万年~1千万年前頃とされている。人類の誕生が数百万年前とされているので、人類誕生のはるか太古からみつばちはハチミツを作り続けていたことになる。

ハチミツ採取の一番古い記録はスペインのアラニア洞窟で発見された壁画で、紀元前15000年頃に描かれたとされている。

画像 : 蜜を採取した様子を描いたアラニア洞窟の洞窟壁画(紀元前15000年頃) wiki c

この壁画は、籠を持って洞穴からハチミツを採取する女性の様子が描かれており、燻煙を使って蜂を不活性化する方法でハチミツを採取していたと考えられている。

他にもメソポタミア文明の楔形文字、ローマ神話、古代エジプトの壁画、古代ギリシアの文献にも記述があり、古代から世界各国様々な場所でハチミツは採取されていたのである。

また養蜂に関しては、紀元前2600年頃のエジプトの壁画にその方法について細かく描かれており、世界最古の養蜂の記録となっている。

日本の記録は「日本書紀」

日本で最も古いハチミツの記録は「日本書紀」である。

「日本書紀」の皇極2年(643)のくだりで

「百済の太子余豊、蜜蜂の房四枚を以て三輪山に放ち養ふ。而して終に蕃息らず」

(人質として倭国に来た百済の王子・余豊が、三輪山で蜜蜂を放して養蜂を試みたが、失敗した)

当時の日本には養蜂の技術や文化はなく、百済から人質として倭国にやってきた王子・余豊が養蜂を試してみたが失敗したという記述である。

その後、日本における養蜂の技術がどのように発展していったのかは不明だが、奈良時代くらいまでは三韓(高句麗・百済・新羅)から献上されていたという記録があるので、その頃は国内ではさほど発展していなかったようである。当時は食材というより貴重な薬として扱われていた。

平安時代になると国内での宮中への献上品の中に蜂蜜や蜜巣の記録があり、養蜂も少しずつ行われていたようである。

養蜂が本格的に始まったのは江戸時代からで、巣箱を用いた養蜂が始まっている。しかしニホンミツバチによる養蜂は、あまり生産力は高くなかったようである。

明治になると西洋種のミツバチが輸入され、近代的な養蜂器具が使われて一気に養蜂が盛んになった。

日本初の西洋種飼養は、1877年に東京の新宿試験場(現在の新宿御苑)で行われたとされている。

参考文献 : 日本養蜂協会「日本の養蜂の歴史」

 

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