調べてみた日本史
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承久の乱 〜「後鳥羽上皇側についた武士達の個人的理由とは?」
1221年(承久3年)三代鎌倉殿・源実朝の暗殺事件後、ついに執権・北条義時討伐の命令が後鳥羽上皇(1198年に土御門天皇へ譲位)より下った。朝廷側についた武士達にはどんな個人的事情があったのか?今回は、彼らが幕府に弓引いた事…
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日本刀(古刀)と戦艦大和は、現在の技術では作れないロストテクノロジーだった
ロストテクノロジーとは、過去に実存した優れた技術のことで、何らかの理由によって現在は存在しない技術の…
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徳川家康の最期と遺言 「死因は胃がん?なぜ一周忌後に日光に祀れと言ったのか」
約150年近くも続いた戦国の世を終わらせた徳川家康。その死後は、幕府を開いた江戸ではなく、晩…
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そのひと手間で大違い!南北朝時代に活躍した楠木正成・正儀父子の人心掌握エピソード
よく社会人の心得として、「ほうれんそう(報連相。報告・連絡・相談)が大事」なんて教わりましたよね。…
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何やってんの!?合戦の最中、おじと甥で同士討ちを始めた北条朝時の子孫たち【太平記】
合戦と言えば天下の大義を掲げ、あるいは一族の存亡を賭けて死に物狂いで臨むもの……とイメージしますが、…
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ねぇ、空気読も?北条義時の喪明けを一人で勝手に行なった北条朝時【鎌倉殿の13人 後伝】
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千鶴丸は生きていた?頼朝の子・源忠頼と和賀一族の系図をたどる【鎌倉殿を13人 外伝】
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あなたは何問解ける?戦国時代のなぞなぞ集『後奈良院御撰何曾』を紹介
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「小姓」の仕事とはどのようなものだったのか? 【秘書、ボディーガード、夜の相手】
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日本に「衛生」という言葉を定着させた医師~ 長与専斎
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月食が深めた二人の絆。源実朝を大歓迎する北条義時のエピソード【鎌倉殿の13人】