21世紀の幕開けは、炎と瓦礫の中で始まった。
2001年9月11日、アメリカ合衆国で発生した同時多発テロ事件は、世界の秩序と価値観を一変させた。
この事件は、国際テロ組織アルカイダが実行し、約3,000人の命を奪った。
では、なぜアルカイダはこの大規模なテロ攻撃を計画・実行したのだろうか。
その背後には、宗教と政治、支配と報復、そしてウサマ・ビンラディンという一人の男の思想が、複雑に絡み合っていた。
今回は、その動機と思想の背景を改めてたどり、9.11という事件がいかにして「時代の転換点」となったのかを見つめ直したい。
アルカイダのイデオロギー

画像 : 9.11同時多発テロ 旅客機の衝突で炎上するワールドトレードセンター Michael Foran CC BY-SA 3.0
アルカイダのテロの根底には、彼らが奉じるイスラム過激派の思想があった。
彼らは、アメリカをはじめとする西欧諸国が、イスラム世界を文化的にも政治的にも、そして軍事的にも支配していると見なしていた。
イスラム社会が本来持つはずの純粋さと独立を取り戻すには、外部からの影響を排除しなければならない。
そう信じた彼らにとって、アメリカが象徴する自由主義や民主主義は、信仰を堕落させる危険な思想であり、イスラムの伝統と教義を蝕む「毒」のような存在だと解釈されたのである。
このような世界観のもとで、暴力は単なる手段ではなく、神に認められた「聖戦(ジハード)」として正当化された。
敵は不信仰者であり、闘いは信仰の防衛であるという論理が、アルカイダの行動を支える思想的な支柱となった。
彼らは自らを、歪められた現代世界に抗い「真のイスラム」を回復する戦士と位置づけ、アメリカの抑圧からイスラム世界を解放することが、神から与えられた使命だと信じていたのである。
アメリカの中東政策への反発
テロの直接的な動機の一つとして、アメリカの中東政策に対する強い不満と憎悪が挙げられる。
特に、イスラエルへの揺るぎない支援、そして、サウジアラビアなどイスラム圏における米軍の駐留は、アルカイダにとって許しがたい行為であった。
テロの首謀者であるウサマ・ビンラディンは、聖地メッカやメディナを擁するサウジアラビアに異教徒である米軍が駐留することを、イスラム教徒全体に対する侮辱と捉え、繰り返し撤退を要求した。
また、イラクへの経済制裁やパレスチナ問題におけるアメリカの姿勢も、イスラム教徒の苦難の原因であると断じていた。
ウサマ・ビンラディンの戦略

画像 : ウサマ・ビンラディン 1997 or 1998 Hamid Mir CC BY-SA 3.0
ウサマ・ビンラディンは、もともとソ連のアフガニスタン侵攻に対抗するムジャヒディン(イスラム義勇兵)の一員として活動していた。
裕福なサウジアラビアの建設王家に生まれた彼は、宗教的情熱と豊富な資金を背景に、イスラム諸国から志願兵を募り、ソ連軍に対する聖戦を支援した。
アフガニスタン戦争はイスラム世界にとって勝利の記憶となり、ビンラディンはその中心人物として英雄視された。
だが、ソ連撤退後、彼は新たな「敵」を見いだす。
それが、イスラム世界に影響力を強めるアメリカ合衆国だった。
彼は、アメリカを攻撃することで、米国がイスラム諸国から撤退し、親米政権が次々と崩壊すると見込んでいた。
「アメリカはクモの巣のような国家だ(外見は強大だが、内側は脆弱だ)」と彼は語っており、大規模な攻撃によって経済と政治に打撃を与えれば、国民の士気は崩れ、長期戦には耐えられない、と信じていたのである。
9.11テロは、その戦略の頂点として実行された。
彼らの目的は、単なる破壊行為ではなく、アメリカの政策を変えさせ、最終的にイスラム過激派の勢力拡大を実現するための象徴的かつ決定的な一撃だったのである。
事件の遺したもの

画像 : ワールドトレードセンターの崩壊直後の煙の様子 public domain
9.11テロは、テロ組織が国家に対しても甚大な被害を与えられるという現実を、世界中に突きつけた。
この衝撃を契機に、アメリカはアフガニスタン侵攻とイラク戦争に踏み切り、国際的な安全保障の枠組みが大きく変化した。
また、テロから20年以上が経過した現在も、アルカイダの脅威は完全に消えていない。
米議会調査局 (CRS) の報告によれば、同組織は地域支部とともに活動を続けており、依然として「グローバルなイスラム過激派ネットワーク」として認識されている。 
アフガニスタンでは、タリバン政権下でもアルカイダが活動可能な環境が続いており、国連監視団は「許容的避難所」として同国を指摘している。 
さらに、アフリカ・サヘル地域などでは、アルカイダ系の武装組織が地元の不安定な統治構造を利用して勢力を拡大しており、世界のどこかで再び暴力が芽吹く可能性を否定できない。 
つまり、9.11は終わりではなく「新たな戦争の幕開け」としての意味も帯びている。
あの一撃が残したのは、瓦礫の中に埋もれた無数の問いと、今も再構築の途上にある国際秩序であると言えるだろう。
参考 :
『U.S. Department of State – Office of the Historian』
『United Nations Security Council (2024)』他
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部
























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