イギリス出身の世界的ロックバンド、クイーンのセカンドアルバム『クイーンⅡ』に、「フェアリー・フェラーの神技」という曲が収録されている。
この曲のモチーフとなった『お伽の樵の入神の一撃』という絵画を描いた画家こそが、この記事で紹介するイギリス人画家、リチャード・ダッドだ。
リチャード・ダッドは、ヴィクトリア朝時代のイギリスを中心に流行した「妖精絵画」を好んで描いた画家として知られている。
妖精絵画とは読んで字のごとく、妖精や妖精が住む世界を描いた幻想的な絵画のことだ。
その緻密な作風とファンタジーな画題からすると、ほのぼのとした雰囲気の夢見がちな画家を想像するかもしれないが、リチャード・ダッドは精神病院に入院中に下の『お伽の樵の入神の一撃』を描き上げた。
彼は妄想性の統合失調症を発症した、紛れもない精神病患者だったのだ。
今回は人並外れた絵の才能に恵まれながらも精神を病み、肉親まで殺害してしまった狂気の画家、リチャード・ダッドについて解説していこう。
優れた画家の卵だったリチャード・ダッド
リチャード・ダッドは1817年8月1日、イギリスのケント州チャタムで、薬剤師のロバートと船大工の娘メアリー・アン夫妻の間に生まれた。
13歳頃から絵を描き始めたダッドは優れた絵の才能を見出され、20歳でロイヤルアカデミー美術学校に入学し、その年には『眠るティターニア』と『パック』の2作品が高く評価され、画家としての順調な一歩を歩み出す。
ウィリアム・パウエル・フリスやオーガスタス・エッグ、ヘンリー・オニールら、若き画家仲間と共に「クリーク」という芸術家グループを設立し、創作への情熱を燃やす日々を送った。
1842年7月、ダッドは25歳になる年に、前ニューポート市長で弁護士でもあったサー・トーマス・フィリップの同伴画家として、ヨーロッパを抜けてギリシャ、トルコ、シリア南部、エジプトを巡る長旅に出る。
ダッドが精神に異常をきたし始めたのは、この年の12月末頃だった。
一行がボートでナイル川を遡っている途中、ダッドは突然おかしな妄想に取り憑かれ始めたのだ。
ダッドは
「自分はエジプト神オシリスの使者であり、同行者には悪魔が憑いているから殺さねばならない」
と信じ込み、狂暴性を増していった。
当初は日射病であると考えられたダッドの症状は帰国後も治らず、1843年5月に精神異常と診断され、家族のすすめでケント州郊外のコブハムという田舎で療養することとなる。
妄想に取り憑かれ、父を刺殺
1843年8月、療養中のダッドは父と共に公園を散歩していた。
穏やかな時間を過ごしていたはずの親子だったが、突然ダッドの妄想が牙を剥いた。
自分の隣を歩く父が、父に擬態した悪魔に見えてしまったのである。そしてあろうことか父の皮を被った悪魔を殺すために、隠し持っていたナイフでロバートを刺し殺してしまったのだ。
ダッドはそのままフランスに逃亡し、パリの乗り合いバスに同乗していた観光客をカミソリで殺そうとしていたところを制圧され、警察に捕まった。
ダッドは警察署で実父を殺害したことを自供し、フランスの精神病院に10カ月ほど収容された後にイギリスに送還されて、ベスレム王立病院に収容された。
精神病院で絵を描き続けた生涯
主治医の治療方針により、ダッドはベスレム王立病院内で絵を描き続けた。
1852年には主治医の1人であったサー・アレクサンダー・モリソンの肖像画も描いている。
冒頭に紹介した『お伽の樵の入神の一撃』も、1855年当時ベスレム王立病院の院長だったジョージ・ヘンリー・ヘイドンの依頼により、9年の月日をかけて制作された作品だ。緻密に描き込まれた同作品だが、ダッドの中ではこの作品は未完のままだったと言われる。絵の右上には乳鉢で薬を調合する、実父をモデルとしたと考えられる妖精の姿も描かれている。
ダッドはベスレム王立病院で20年の時を過ごし、1864年7月からは収容者が増えすぎたベスレム王立病院から、前年にバークシャー州に新設されたブロードムーア病院に転院となり、1886年1月7日に肺疾患で亡くなるまで、絵を描きながら病院の中で過ごした。
普段のダッドは大人しい人物だったが、1度スイッチが入ってしまうと手が付けられないほど狂暴になってしまうため、一生涯退院できることはなかった。
ダッドは7人兄弟の三男だったが、7人の内ダッド含め4人が精神病院内で亡くなっているという。
ベスレムギャラリーに展示されたリチャード・ダッドの作品たち
創立から700年以上の歴史を誇り、多くの著名な精神病患者を収容してきた歴史があるベスレム王立病院には、現在「ベスレムこころの博物館」と「ベスレムギャラリー」が設置されており、ルイス・ウェインの猫の絵などと共にダッドの作品も展示されている。
『精神病を患った天才画家』 ルイス・ウェイン ~妻と猫を愛した波乱万丈の人生
https://kusanomido.com/study/history/western/85959/
かつては多くの精神病院と同じく見世物小屋的な立ち位置だったベスレム王立病院だが、ダッドが入院し始めた時期には既に精神病患者の扱いが変化しており、主治医の方針の下にダッドは妖精画を始めとする多くの作品を描いた。
アウトサイダーアーティストとして認識され、狂気に満ちた画家と言われることもあるダッドだが、若き日に伝統的な絵画技術を学んだ彼が手がけた作品たちは、構図が破綻しているわけでもなく緻密かつ幻想的で、その作風は多くのアーティストにインスピレーションを与えた。
クイーンのフレディ・マーキュリー以外にも、カナダの作家R・J・アンダーソンや、イギリスの作家アンジェラ・カーター、テリー・プラチェットなどが、ダッドの生涯や作品から発想を得て作品を残している。
リチャード・ダッドの生涯は幸福だったとは言えないかもしれないが、彼が残した絵画の中で生きる妖精たちは、今日も楽しく日々を過ごしているようだ。
参考文献
中野京子 (著) 『異形のものたち 絵画のなかの「怪」を読む』
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