大河ドラマ「べらぼう」で、歌麿の妻きよが、瘡毒(今の梅毒)でこの世を去りました。
亡骸を寝床に寝かせたまま、毎日絵を描く歌麿。
徐々に腐敗し崩れていく妻の顔を包帯で覆い、「毎日顔が変わるんだ」と描き続けた歌麿の姿は、愛と狂気が交錯しているようで、鬼気迫っていました。
実際、かつての日本には、死者の変わりゆく姿を九つの段階で描いた仏教絵画がありました。
それが「九相図(くそうず)」です。
死者の変わりゆく姿を描いた『九相図』

画像 : 九相図「檀林皇后(だんりんこうごう)平安時代の皇后・檀林皇后が死後にたどる変化を描いたもの public domain
『九相図』とは、人が亡くなり、屋外に捨てられ、徐々に腐敗して朽ち果てていく過程を、九段階に分けて描いた「仏教絵画」です。
肉体がやがて滅び、形を失っていくことを通じて、この世の無常を悟るための教えを示しています。
九相図は仏教とともに日本へ伝わり、中世以降、絵巻や掛軸などさまざまな形で発展しました。
鎌倉期の迫真性あふれる絵巻、土佐派や狩野派による優美な筆致、和歌や漢詩を添えて情感を深めた作品など、多彩な表現が生まれています。
さらに、近世には河鍋暁斎のような絵師が新たな解釈を加え、近代以降も画家たちが題材として受け継ぎました。
描かれる人物や作風は時代によって異なりますが、最後の骨になるまでの過程は同じようです。
絶世の美女、小野小町を描いた「九相図」
なかでも、狩野派の流れをくむ英一蝶の作と伝わる『九相図』は、絶世の美女・小野小町を題材にしたことで知られます。
生前に歌を詠む姿や、死後に女官たちが嘆き悲しむ場面から始まります。

画像 : 狩野派の英一蝶作とされる九相図。小野小町を描く(描写は一部カットしてあります)CC BY 4.0
『九相図』では、人の身体が変化していく過程を九つの段階で描きます。
「脹相(ちょうそう)」……死後まもなく、身体が膨らみ始めます。
「壊相(えそう)」……やがて肌が裂け、形が崩れていきます。
「血塗相(けちずそう)」……体内のものが滲み出し、色が変わっていきます。
「膿爛相(のうらんそう)」……さらに腐敗が進み、形をとどめなくなっていきます。
「青瘀相(しょうおそう)」……全体が青黒く変色し、静かな終わりを迎えます。
「噉相(たんそう)」……鳥や虫など自然の営みに還っていきます。
「散相(さんそう)」……やがて身体は崩れ、散り散りになります。
「骨相(こつそう)」……残るのは白い骨だけです。
「焼相(しょうそう)」……最後に焼かれ、灰となって大地へと還ります。
こうした九つの段階を経て、自然の循環の中へと還っていくのです。
色欲を断つための絵

画像:修行僧のイメージ photo-ac ACworks
九相図は、残酷さを強調するための絵ではありません。
もともと仏教の修行に用いられ、色欲や執着を離れ、無常を見つめるための視座を与えるものです。
美しさや身分にかかわらず、誰しもがたどる道を示すことで、外見や欲望に偏らない心の修練を促しています。
「九相図」の題材として描かれたのは、前述した小野小町や、嵯峨天皇の皇后であった檀林(だんりん)皇后が有名です。
檀林皇后は仏教への信仰が篤かったので、自分の死後は遺体を埋葬せず道端に放置するように遺言を残し、腐敗して髑髏になっていく様を絵師に描かせたという伝説もあります。

画像:皇后の遺体を食らう鳥 public domain
女性にとっては、自らを重ね合わせながら「外見の美しさにとらわれない」「いずれは死を迎える存在として日々を大切に生きる」といった心構えを促すものとしても受け取られてきました。
人は誰もが最後には肉体を離れ、骨となって大地へ還る。
九相図が伝えようとするのは、人の生と死を分け隔てなく見つめ、生命の無常を悟ろうとする仏教的な思想なのです。
京都・西福寺にある「檀林皇后九相図」

画像:京都東山の六道珍皇寺と「六道の辻」の石碑 撮影/桃配伝子
京都の鴨川沿いから松原通を東へ進むと「六原」という地域があります。
ここはかつて、現世と冥界の境とされ、鳥辺山への葬送の道に通じる「六道の辻」と呼ばれた場所です。
そのそばに立つのが西福寺で、八月上旬の六道まいりの時期には「檀林皇后九相図」が特別に公開されるそうです。
興味のある方は、是非訪れてみてください。
参考:「九相図をよむ 朽ちてゆく死体の美術史』(角川ソフィア文庫)山本聡美 著
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部
























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