「刀剣女子」というワードを生み出すほどの日本刀ブームは、今も絶えない。
男性にとっては、銃と双璧をなすDNAレベルの憧れの対象だが、女性にもこう広く受け入れられるというのは、単純に「武器」という存在ではなく、そこに日本独自の美しさがあるからだろう。
しかし、その構えや使い方となるとなかなか知られていないようだ。剣道とも違い、学ぶ機会がまずないのは当然である。
たたら製鉄による刀身作り
【※たたら製鉄での踏み鞴(ふいご)による送風作業】
構えや体捌きは流派によって異なるが、日本刀そのものの各部の名称は変わらない。
そのなかでもっとも肝心なのは言うまでもなく刀身だ。
日本では「たたら製鉄」という製法で鉄を作り出していた。スタジオジブリの映画「もののけ姫」にも登場する「たたら場」は、まさにその施設である。
そもそも「たたら」とは、火力を上げるための「鞴(ふいご)」のことを意味していたが、やがて、製鉄施設そのものを指すようになり、現在では製鉄法のことを意味するようになった。
砂鉄と木炭を高温の炉で溶かし、「玉鋼(たまはがね)」を作るところから始まる。
※玉鋼1級品(日刀保たたら製)
こう書いてしまうと簡単だが、実際には高温状態を保つため、三日三晩をかけてふいごを足踏みしながら風を送らなければならなかった。
こうしてできた玉鋼を選別し、板状にする。そこから板状の鋼を何層も積み重ねて、熱しては叩きを繰り返すことで棒状にまで伸ばすわけだ。
その工程では、硬さや粘りの異なる鉄を左右均等に重ねることも必要で、こうしたことも職人技が必要な理由である。さらに焼入れなどの工程を経て、研ぎ出すことで刀身が完成する。
日本刀の差し方
一般的に「日本刀」というものは、室町時代以降の刀である「打刀(うちがたな)」を指す。
太刀との違いは、京反りという反り方が緩いもので、刀身も薄い。主に波を上に向けて帯刀するといったところが挙げられる。刀を「帯びる」という表現方法も、太刀が腰から吊り下げるのに対して、刀は帯に差すというところから使われるようになった。さらに予備の刀である脇差を携帯するようになると、差し方にも違いが出てくる。
刀と脇差を交差させて差すところは変わりないが、一般的には緩く斜めに差す「鶺鴒(せきれい)差し」の他、刀を地面に対し水平に差す初心者向けの「閂(かんぬき)差し」、他人にぶつからないように体に沿わせて出来る限り縦に差す「落とし差し」などがあった。ちなみに閂差しはすぐに抜けるため初心者の他にもすぐに抜刀する必要があるときなどに用いる。時代劇などで、刀に手を掛け「カチャッ」と動かすのがこの動きだ。
そして、落とし差しはすぐに抜くことが難しいため、上級者向けの差し方とされた。
刀の抜き方
さて、ここからは実際の構え方などに話を進めよう。
左手で鞘を持ち、右手はやや下から開いた状態で柄に当てる。このときは右手はまだ握らずに親指と人差し指の付け根に軽く当てるだけだ。一般的に刀を抜くときは刀を引き出すようなイメージがあるが、実際には鞘を軽く引くところから始まる。右手は動かさずに、左足を20cmほど前に出し、左手で鞘を後ろに引いて刀身を見せる。
そこから鞘の上を左手で90度回転させ、右足を前に出すと同時に右手で刀を滑らかに抜き出すのだ。先にも書いたように刀は刃を上してに帯びるため、このようにして自然と葉の向きを変える必要があった。
本来、刀身は日本人男性の身長に合わせて長さが決められているため、小柄な者や女性では一気に抜きにくいこともあるが、そうした場合にはさらに鞘を後方に動かしてやればいい。
刀の納め方、斬り方
収め方もただ収めれば良いというものではない。
左手の親指と人差し指でリングを作り、そのまま鞘を握るようにして鞘の口に乗せるように置く。鞘を立て、刀身の背をそこに乗せ、右手で刀を引きながら鞘を下げるようにして刀を納めてゆく。この際も身長と合わないようなら、より鞘を下げ、上から刀身を滑り込ませるようにするのがポイントだ。
つまり、大切なのは右手だけで抜いたり収めたりせずに、右手の動きに合わせて左手で鞘を動かすことである。刀を抜いたあとは、刃を相手に向けるように横一文字に構え、収めるときも刀を横にした状態から収めるように覚えるといいだろう。
そして、実際に斬りかかるには、これらを応用すればいい。
刀を抜き終えたところから、左足を前に出して上段の構えをとり、相手の頭を目掛けて振り下ろす。そこからすぐに右足を引いて右手は刀を引き、左手は鞘に添える。
そして、そこからの収刀によって一連の動作が完成するのだ。
業物が示す優れた切れ味
【※日本刀各部の名称】
日本刀に関連して「業物(わざもの)」という表現がある。
これは切れ味の良さを表した言葉だが、これは文化12年(1815年)に公儀介錯(かいしゃく)人を務めた山田浅右衛門(やまだあさえもん)が、自ら集めた刀で試し切りを行って「懐宝剣尺」という書にまとめた際に生まれた分類であった。山田家当主は代々「山田浅右衛門」と名乗り、介錯を行ってきたため、いわば人斬りのプロである。「首切り浅右衛門」「人斬り浅右衛門」などとも呼ばれ、人斬りの機会がほぼない江戸時代において、日本刀に精通した人物であった。
この本により、日本刀が切れ味、刀工ごとに「最上大業物」「大業物」「良業物」「業物」に分類され、「刀剣の業物一覧」のように我々にも理解しやすくなったのである。
このように書くと日本刀のブランドのように思えるが、実際の戦場においても西洋の剣に比べて劣っているわけではない。
軽量ではあるが「断ち切る」ことに特化した日本刀は、盾も必要とせず、一本で相手と戦える優れた武器でもあった。
最後に
最近ではコスプレなどで日本刀を帯刀したり、構えたりする人も多いだろう。Amazonなどでも刃身が金属製の模造刀が安価で多く販売されている。
どうせだったら、飾るだけでなく、構え方に凝ってみるのも良いかもしれない
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