江戸時代

「熱海の湯を110km先の江戸城まで運んでいた」家康が広めた江戸の温泉文化

火山国の日本では、温泉は心身を癒してくれる貴重な存在として、古来より人々に愛されてきました。

『古事記』や『日本書紀』にも温泉の記述が見られ、聖徳太子が道後温泉を訪れたという伝承も残っています。

ただし、私たちが思い浮かべる「温泉旅行」が形づくられたのは江戸時代中期のこと。それまで温泉は、身分の高い人々の湯治場として利用されていました。

江戸時代に起こった「湯治ブーム」によって、温泉は人々の興味関心の的となり、徐々に庶民にも身近な存在となっていったのです。

今回は、徳川家康をきっかけに広がった温泉文化の発展をたどりながら、江戸の人々がどのように温泉を楽しんでいたのかを見ていきます。

家康効果で熱海はワンランク上の温泉となる

画像 : 徳川家康肖像画 public domain

湯治とは、温泉に浸かって病気の治療や健康回復を目指す行為です。

中世にはすでに「七日を一廻り」とする湯治の習慣が定着し、三廻り(21日)が一般的な滞在期間でした。

そんな湯治に大きな転機をもたらすきっかけとなった人物が、健康オタクでも知られた徳川家康です。

慶長9年(1604年)3月、家康は熱海温泉に7日間滞在し、湯治を行いました。

このとき家康のために建てられた御殿は、滞在後すぐに取り壊され、大名用の本陣「一碧楼」となります。

家康が熱海の湯を大変気に入ったという話が広まると、熱海温泉は「天下人お墨付き」の名湯として、諸大名の間で一気に人気が高まりました。

本陣・今井家の宿帳には、幕末までの約200年間に全国の城主65人が熱海を訪れた記録が残っています。

家康効果によって、江戸時代の熱海温泉は「出世の湯」としてワンランク上の温泉となったのです。

将軍家御用達「御汲湯」、江戸城へ運ばれた熱海の湯

画像 : 熱海の間欠泉。明治時代 public domain

家康の熱海好きは代々受け継がれ、三代将軍家光は熱海に別荘を建て、四代将軍家綱の時代には、熱海の湯を江戸城まで運ぶ「御汲湯(おくみゆ)」が始まります。

御汲湯は、大湯の源泉から汲んだ湯を檜の湯樽に入れ、屈強な脚夫たちが武士の護衛を受けながら江戸へ向かうのですが、その距離なんと28里(約110km)。

道中、桶を地面に置くことは許されず、昼夜を問わず走り続けたといいます。

「御本丸御用」の日の丸旗を高々と掲げながら湯を運ぶこの光景は、街道の名物となり、「熱海よいとこ日の丸たてて、御本丸へとお湯がゆく」という俗謡まで生まれました。

その後、八代将軍吉宗の時代には、御汲湯は毎年行われるようになり、この頃には鮮魚を運ぶ高速船の押送船を使用して、一度に20~30樽を一気に運ばせたといいます。

さらに文化文政期には、江戸の商人が「将軍様御用達の名湯」として熱海の湯を販売するようになり、一樽、銀五匁で売買されていました。

いつの時代にもあこぎな商売人はいるもので、数倍の水で薄めて売り出していた湯屋も少なくなかったそうです。

温泉好きの大名から庶民へと広がる湯治ブーム

画像 : 後藤艮山 public domain

熱海や箱根のように江戸に近い温泉地は、参勤交代の途中で立ち寄る大名も多く、本陣の今井家と渡辺家の宿帳には名だたる大名の名が並びます。

湯治は静養だけでなく、間欠泉の見物や鷹狩り、漁の体験など、気分転換の場としても利用されました。

しかし、大名が温泉に行くには幕府への申請が必要なうえ、大勢のお供を連れて行くことになるので費用もかさみます。

何度も申請していると、しょっちゅう温泉場に行って遊んでいると思われてしまい(事実そうなのでしょうが)、なんとも体裁が悪いうえに費用もばかになりません。

そこで大名たちが気軽に温泉に行けるようにと考え出したのが、自藩の温泉を整備し設えた殿様専用の湯殿(御殿湯)でした。

中には、温泉開発を藩の財政改善に役立てた例もあります。

文化13年(1816)、越後高田藩主・榊原政令(まさのり)が着手した赤倉温泉はその代表で、北国街道に近い立地を生かし、善光寺参りや伊勢参りの旅人を見込んで開発されました。

江戸時代、庶民の旅行は原則禁止でしたが、寺社参詣と湯治は例外とされており、開業当初から年間1万人以上が訪れ、藩に大きな利益をもたらしたといわれています。

また江戸中期になると、医師・後藤艮山らが温泉の医学的効能を説いたことで湯治が注目され、庶民の間にも湯治ブームが起こります。

高価な薬を買えなくても温泉で病気が治るかもしれない。そんな期待を抱き人々は温泉へと向かったのでした。

時代とともに温泉地には湯女や飯炊き女を置く店が増え、土産物屋や料理屋、矢場なども並び始め、観光地としての色合いが濃くなっていきます。

『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九によれば、草津温泉は新鮮な川魚を堪能でき、矢場や寄席もある一大遊興地で大変な賑わいだったそうです。

そして、温泉人気を象徴するように「温泉番付」が盛んに作られました。

江戸の温泉番付「諸国温泉功能鑑」 東西の名湯トップ10

画像 : 諸国温泉功能鑑 public domain

温泉番付が初めて作られたのは、寛政年間といわれています。

江戸、大坂から始まり、その後各地の温泉地でも作られるようになった番付は、作成された場所によって順位が異なっていました。

またシャレやノリで作られることも多く、東の温泉が西に入っていたり、またその逆もあったりと結構いい加減な部分も見られます。

ただし、当時の最高位である大関(横綱の称号は明治時代になってから)は、西の有馬温泉、東の草津温泉が常に不動の地位を確立していました。

そんな温泉番付の代表といえるのが、江戸時代後期文化9年(1812)から文化14年の間に出版された「諸国温泉功能鑑」(しょこくおんせんこうのうかがみ)です。

効能が高い順にランク付けされており、温泉名とともに効能が記述されています。

ここでは、「諸国温泉功能鑑」の一例から、江戸時代後期の温泉東西トップ10を見てみましょう。

番付     西      東
大関  摂州有馬の湯  上州草津の湯
関脇  但馬城の崎の湯 野州那須の湯
小結  予州道後の湯  信州諏訪の湯
前頭  加州山中の湯  豆州湯河原の湯
前頭  肥後阿蘇の湯  相州足の湯
前頭  豊後浜脇の湯  陸奥嶽の湯
前頭  肥前温泉の湯  上州湯川尾の湯
前頭  薩摩霧島の湯  仙台成子の湯
前頭  豊後別府の湯  最上高湯の泉
前頭  肥後山家の湯  武州小河内原の湯

ワンランク上の温泉、熱海がランクインしていないのは行事を務めているためです。

行司、勧進元、差添人は特別扱いで、特に勧進元の「紀州熊野 本宮の湯」は、中世以来温泉の象徴だったことから、番付の権威づけの役割を担っています。

熱海は、将軍御用達の温泉として別格とされていました。

「諸国温泉功能鑑」には、「諸病ニよし」、「子授け」、「打ち身きり傷」、「万病に吉」、「病人一切」などといったさまざまな効能が記されています。

たとえば、草津温泉の効能は「瘡どく三病諸病ニよし」。「瘡どく」は梅毒、「三病」はうつ病のような心の不調、「諸病ニよし」は万病に効くという意味で、草津の湯は、さまざまな病に効果があると考えられていたようです。

東の小結の信州諏訪湯の効能は、「眼病ひつひぜんニよし」で、ひつひぜんの「ひつ」は江戸のなまりで「しつ」。「ひぜん」は「皮癬」で、一般的に「疥癬(かいせん)」とよばれます。

明治時代初期に日本を訪れた西洋人が、日本人の皮膚病や眼病の多さを指摘したことからも分かるように、江戸時代にも同様の病に悩む人が多かったのでしょう。

医学が発達していない時代に、薬の代わりとして温泉は重宝されたのでした。

こうした番付が売れたのも、各地の温泉紀行や医師が温泉の効能を書いた本が出版され、病を治すために湯治に訪れる人が増えたことが背景にあるといえます。

おわりに

徳川家康の熱海湯治をきっかけに、江戸の温泉文化は大きく花開きました。

将軍家の御汲湯や大名の御殿湯、そして庶民の湯治ブームから温泉地の一大遊興施設への発展と、温泉は身分を超えて人々を癒し、楽しませる存在となっていきます。

その流れは現代にも続き、私たちが気軽に温泉旅行を楽しめるのも、江戸時代の文化があったからこそと言えるでしょう。

参考文献
石川理夫『温泉の日本史』中央公論新社,2018.6
松田忠徳『江戸の温泉学』新潮社, 2007.5
文 / 深山みどり 校正 / 草の実堂編集部

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