昨今は誰でも気軽にAIによる画像生成ができるようになり、リアルな画像を用いたフェイクニュースが度々世間を賑わせているが、実は衝撃的な偽造写真が話題となるのは今に始まったことではない。
今から約100年前にイギリスで起きた「コティングリー妖精事件」も、10代の少女たちが戯れで撮影した、たった5枚の写真がイギリス中で物議を醸し、やがては世界中を騒然とさせた事件の1つだ。
少女たちの夢のあるいたずら心が原因となったこの事件には、かの世界的推理作家コナン・ドイルも関わっている。
第一次世界大戦が勃発し世界情勢が混迷する最中、なぜ知見ある筈の大人たちが、2人の少女が撮影した写真に振り回されてしまったのだろうか。
今回は全英を騒然とさせた「コティングリー妖精事件」に迫っていきたい。
事件が起きた経緯
コティングリー妖精事件の原因となった写真が撮影された1917年7月当時、エルシー・ライトは、イングランド北部ウェスト・ヨークシャー州のブラッドフォード近くのコティングリー村に住む16歳の少女だった。
9歳のフランシス・グリフィスはエルシーのいとこで、その時期ライト家に母と共に一時滞在していた。
仲の良い2人は日頃から連れ立って、家の近くにあったコティングリーベックの小川付近に遊びに行っていた。
母親たちは、子どもたちが水辺で靴や衣服を汚して帰ってくることを快く思わず、それを咎めたが、2人は「私たち、いつも妖精を見に行っているのよ」と無邪気な言い訳をしていた。
しかし大人がそんな子供の作り話を本気で信じるわけもない。そこで2人は妖精がいる証拠を示せば、母親たちを納得させられるのではないかと考える。
もしかしたら、多感で夢見がちな少女だったエルシーとフランシスには、本当に森の妖精たちが見えていたのかもしれない。しかし残念ながら、アマチュア写真家だったエルシーの父親からこっそり拝借したカメラでは、妖精の姿を捉えることができなかった。
自分たちの言い分が信じてもらえないことを危惧した2人は、妖精の写真を捏造することを思いつく。
その方法は単純なものだった。フランシスの持ち物だった『Princess Mary’s Gift Book』という絵本の挿絵の妖精を模写して切り抜き、それらを帽子用のピンで草に留めて、2枚の写真を撮影したのだ。
しかし写真を現像したエルシーの父親は、それらを本物の妖精の写真と信じることはなかった。ここで話が終わっていれば、2人が撮った妖精の写真は少女時代の面映ゆい思い出の1つとして、アルバムの片隅に収められただけで済んだだろう。
しかし、エルシーの母親が「写真に映る妖精は本物だ」と信じ込んでしまったことにより、事態は思わぬ方向へ進んでいくこととなる。
神智学協会に提出された妖精写真
フランシスとエルシーが妖精の写真を撮影した数年後、エルシーの母はブラッドフォードで行われた神智学協会の会合に参加して、娘たちが撮影した例の写真を披露した。
神智学協会とは1875年にアメリカのニューヨークで、神智学を振興することを目的にブラヴァツキー夫人を中心に結成された神秘思想団体だ。
神智学とは、神秘的な能力や現象を通じて神と結びつく神聖な知識を獲得したり、高度な認識に達することを目的とする思想で、後のニューエイジやスピリチュアルなどに繋がっている。
神智学協会は19世紀から20世紀初頭にかけて欧米で盛り上がり、空前のオカルトブームが起きていたイギリス国内でも各地で集会が行われていた。
エルシーの母も神智学協会の熱心な信奉者となり、その日参加した集会のテーマが偶然にも「妖精の生態」というものだったために、娘と姪が撮影した写真を妖精の存在を示す証拠として提出したのだ。
その結果、フランシスとエルシーが捏造した妖精の写真は、数ヶ月後にイングランドのハロゲートで開催された神智学協会の年次会議で展示され、神智学協会の主要メンバーだったエドワード・ガードナーの目に留まる。
ガートナーは妖精の写真の真贋を確かめるために、写真専門家のハロルド・スネリングに写真をネガと共に送って鑑定を依頼し、それに対してスネリングは以下のように返答した。
「2枚のネガは完全に本物で、偽造されていない写真である…カードや紙のモデルを使ったスタジオ作業の痕跡はまったくない。これらは当時カメラの前にあったものをそのまま写した写真である」
スネリングは少女たちが撮った妖精写真が「スタジオで加工されたものではない」とは言っているが、写真に映る妖精が本物かどうかまでには言及していなかった。
コナン・ドイルが妖精写真のことを知る
当時すでにベストセラー推理作家で、騎士学士の称号を得ていたサー・アーサー・コナン・ドイルは、ストランド・マガジンという月刊誌のクリスマス号に寄せて、妖精についての記事を書くことを依頼されていた。
そこにちょうどよく、フランシスとエルシーが撮った妖精写真の情報が飛び込んできたのだ。
写真が撮影されてから約3年後の1920年6月、コナン・ドイルはガードナーと連絡を取り、エルシーとエルシーの父に対して自身が書く記事で妖精の写真を使う許可を願い出る。
エルシーの父は娘たちが戯れで撮影した写真に、有名作家のコナン・ドイルが関心を示していることに大層感銘を受け、無償で写真の出版を許可した。
写真の撮影者とその保護者の許可を得たコナン・ドイルとガードナーは、もう1度写真の信憑性を確かめるために3社の写真会社に鑑定を依頼した。そして得られた答えは「写真は本物である」という2つの意見と、「写真は偽造されたものである」という1つの意見だった。
ガードナーは、フランシスとエルシーが本当に妖精たちの写真を撮影したのかを確かめるために、1920年7月末にエルシーの自宅を訪問する。
1917年当時、エルシーの家で一時滞在していただけのフランシスとその家族はその頃スカボローに住んでいたが、フランシスの学校の夏休み期間はエルシーの家に招待されていた。
ガードナーは2人の少女に1台ずつカメラを渡し、本当に妖精の写真が撮れるかの検証を試みようとした。しかし7月末から8月中頃までは写真撮影にふさわしくない天候だったため、ガードナーは妖精写真の撮影に立ち会うことはできなかった。
エルシーの母親も「他の人間がいると妖精は姿を現さない」という娘と姪の言い分を受け入れたため、妖精の写真の撮影はまたもや少女たちが2人きりの状態で行われ、そのネガは丁重に梱包されてロンドンに戻っていたガードナーの元に送られる。
その後、3~5枚目の妖精写真を手にしたガードナーとコナン・ドイルは、感動のメッセージを送り合ったという。
ストランド・マガジンに妖精写真が掲載される
1920年末、フランシスとエルシーの妖精写真にコナン・ドイルの書下ろし記事が添えられた『ストランド・マガジン、クリスマス号』が満を持して発刊され、数日後には完売するほどの反響を得た。
熱狂的な心霊主義者でもあったコナン・ドイルは、「オカルトに懐疑的な人々が、神秘的なものの存在を受け入れるきっかけになるだろう」と期待していた。
しかし、妖精写真に対する人々の反応は様々で、妖精の存在を肯定する者もいれば否定する者もおり、写真の真偽についての論争はイギリス中に広まり、フランシスとエルシーの精神障害を心配する医者まで現れる騒ぎとなった。
1921年8月、ガードナーは再びコティングリー村を訪れたが、この時すでにエルシーとフランシスは、大人たちが勝手に騒ぎ出した妖精の話題を持ち出されることに正直うんざりしていたという。
1921年以降、全英を騒がせたコティングリー妖精写真に対する世間の関心は、徐々に落ち着いていった。
しかし、妖精の存在や写真の信憑性についての考察は、その後も定期的に蒸し返された。
結婚して海外に住んでいたエルシーとフランシスが直接インタビューを受けることもあり、2人はその度に写真の捏造について否定した。
事件から60年以上経ってからの突然の告白
1983年、82歳になったエルシーと、76歳になったフランシスは『The Unexplained』という雑誌の記事で、今までの主張を一転させて「妖精の写真は捏造したもの」と認め、どのように写真を撮影したのかまで説明した。
後のテレビインタビューで2人は、写真が捏造されたものだと言い出せなかった理由として「あの有名なシャーロック・ホームズの作者であるコナン・ドイルを騙してしまい、恥ずかしくてとても本当のことを話せなかった」と語った。
しかし、エルシーは5枚の写真すべてが捏造であると述べたが、フランシスは5枚目だけは本物だと主張している。
フランシスは5枚目の写真を撮影した時、「エルシーが見ていない隙に、草むらに集まる妖精たちにカメラを向けてシャッターを切った」というのだ。
妖精の姿に背景の草の姿が透ける5枚目の写真は、意図的ではない偶然の二重露光で撮影されたと考えられている。
真実の暴露から3年後の1986年にはフランシスが亡くなり、5年後の1988年には相次いでエルシーも亡くなった。
2人が本当に妖精を見ていたかどうかは、もう確かめようもない。
2人が撮影した妖精写真の原版や、コナン・ドイルの著書『妖精の出現』の初版本などを含むコティングリー妖精事件にまつわる品物は、その後もオークションで高値で取引されている。
妖精が存在するのかしないのかの議論については、いまだに決着つかずのままだ。
「妖精がいる世界を捏造する」という少女の発想は何とも微笑ましいと感じてしまうが、現代は当時とは比べ物にならないほど進化したAIを子供も使えてしまう世の中だ。
情報の真偽を冷静に確かめる判断力も、より高く必要となっている。
参考文献
井村 君江 (著, 編集), 浜野 志保 (著, 編集)
『コティングリー妖精事件 イギリス妖精写真の新事実』
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