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【上野公園の2つのパワースポット】五條天神社と花園稲荷神社(お穴様)に行ってみた

五條天神社と花園稲荷神社(お穴様)

画像:境内は緑に包まれ、まるで別世界。(撮影/桃配伝子)

国内外から多くの観光客が訪れる、上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)。

パンダのいる上野動物園・美術館・博物館・イベントなど、見どころが多く、平日でもたくさんの人で賑わっています。

そんな賑やかな上野恩賜公園内にありながら、木々に囲まれ静寂の別世界が広がっているのが、医薬祖神を祀る五條天神神社(ごじょうてんじんしゃ)です。

病気平癒を願う一般の人はもちろんのこと、医療関係者や薬剤に関係する人々も参拝のために足を運ぶことで知られます。

江戸・明治・大正・昭和と上野の地で御遷座を繰り返し、ふたつの大きな震災を経験しながら、令和の現代でも人々の信仰を集める五條天神社を訪れてみました。

日本武尊の時代から闘病平癒の信仰を集める「五條天神社」

画像:「草薙剣 日本武尊」月耕 public domain

五條天神社の社伝によると、約1900年前の第12代景行(けいこう)天皇の頃、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐のために、「上野忍が岡」(※1)を通りがかり、薬祖神二柱の大神(※2)の御加護に感謝し、この地に両神を祀ったことが創祀とされます。

また、同社の相殿(あいどの)(※3)に、菅原道真公が祀られているのは、江戸時代・寛永18年(1641年)頃、「社名に『天神』とあるので『菅原道真公の像がなくては』ということで、江戸幕府の成立にかかわった天台宗の僧侶・天海(てんかい)と弟子の公海(こうかい)が、開眼供養を修して合祀したそうです。

※1 上野忍が岡:上野山およびその周辺
※2 薬祖神二柱の大神:大己貴命(おおなむちのみこと)と、少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神
※3 相殿 : 主神を含めて複数の神が祀られた社殿

当時は「下谷天満宮(したやてんまんぐう)」とも呼ばれ、歌の道の祖神としても信仰されていました。

同社は江戸時代初期頃までは、上野山上付近に鎮座していました。

その後は山を降り、寛永寺黒門付近、現在のアメヤ横丁入口付近などを経て、昭和3年(1928)に創祀の地に最も近いとされる現在地に遷座したそうです。

画像:公園の喧騒から離れ、緑に囲まれた境内(撮影:桃配伝子)

医療や薬の神さまを祀る

『古事記』『日本書紀』『風土記』などによると、五條天神社に祀られた薬祖神、大己貴命(おおなむちのみこと)と、少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神は、ともに国土経営に尽し、人々に医薬の作り方・病の治し方・酒造などを教えたそうです。

大己貴命と少彦名命

画像:大国主神像(出雲大社)wiki cc

大己貴命(おおなむちのみこと)は、暴風の神・厄払いの神・武の神などで知られる須佐之男神(すさのおのみこと)の子孫で、「因幡の白兎」の話で知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)の青年期の名前ともいわれます。

また、「大黒様(だいこくさま)」とも呼ばれ、優しく慈悲深く福徳を授けてくれる神として、古くから信仰を集めている神様です。

画像:波に乗って大国主神の前に出現したスクナビコナ 歌川国芳wiki cc

少彦名命(すくなひこなのみこと)は、出雲の神々に対して援助や命令を与える働きを担う、神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子で、蛾の皮の着物を着て、豆の実のさやの舟に乗っていたという大変小さな神です。(上の写真。右上の波頭に小さな小さな神さまが乗っています)

少彦名命は、各地で産業の振興を導き、医療・穀物・温泉・酒造などの神様ともいわれています。

緑に囲まれた五條天神社は「慈悲深い神である大己貴命」「医療の神である少彦名命」「相学問の神様・菅原道真公」のご利益をいただきたいと、参拝に訪れる老若男女が後を絶ちません。

医療・薬学系の大学受験や資格試験合格の祈願に訪れる人・医療従事者・病気治療中で闘病平癒祈願に訪れる人・家族や自分自身の手術や治療の成功を願う人・無病息災でいられるように願う人……みなさん、真剣に手を合わせています。

画像:珍しい蓮の花の形をした水盤。屋根の上には鳳凰の姿が。(撮影:桃配伝子)

毎月10日は無病健康・病気平癒の祈祷を行う「医薬祭り」

画像:毎年6月末日と12月末日に社殿の前に「芽の輪くぐり」用の芽の輪が設置される(撮影:桃配伝子)

五條天神社では、毎月10日には、大己貴命と少彦名命に因んだ「医薬祭」という無病健康・病気平癒の祈祷が行われています。
(昇殿参拝と、事前申込みの祈願方法の2種類あり)

また、毎年6月末日と12月末日には「大祓式(おおはらえしき)」という儀式も行われ、多くの人が訪れます。
大祓式は、私たちが日常生活の中で知らず知らずに犯してしまった半年間の罪や穢れ(けがれ)を祓い清め、次の半年の無病息災を祈る儀式です。

屋根を葺く材料であるイネ科の植物、「茅(ちがや)」で作った大きな輪(茅の輪)が本殿の前に設置されるので、無病息災や闘病平癒などを願いながら茅の輪をくぐります。

また、「手術が無事に成功しますように」「検査結果が『問題なし』でありますように」など、具体的な願いがあれば、社務所にて申請(有料)する紙をもらいご祈祷をお願いしましょう。申請用紙に、願い事や住所氏名ほか必要事項を書いて提出すれば、希望する日の朝にご祈祷をしてくれ、ご祈祷をお願いした人には後日お札やお守りも送ってくれます。

さらに記念として、御神饌である五條天神社の名前と梅の紋様が刻印されたお煎餅もいただけます。

画像:五条天神社で「病気平癒」のご祈祷をお願いしたらいただいた瓦煎餅。(撮影/桃配伝子)

画像:五条天神社でいただいた御朱印(撮影/桃配伝子)

赤い鳥居が続く「花園稲荷神社」は、海外の観光客に大人気

画像:赤い鳥居がずらっと並ぶ、花園稲荷神社の参道。(撮影/桃配伝子)

ちなみに五條天神社の隣には、縁結びの神様として信仰を集める「花園稲荷神社」があります。

神社内にある「花園稲荷神社の御縁起」によると、御祭神は、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、別名・豊受姫命(とようけひめのみこと)とのこと。
詳しい創建時期は不明で、上野公園の周辺は忍ヶ岡という地名だったことから、昔は「忍岡稲荷」と呼ばれていたそうです。

神社によれば、古くからこの地にいる神で、江戸時代の初めに天海僧正の高弟が霊夢を見て社を再建し、上野山の守護神としたとあります。

江戸時代になり、寛永寺の末社として鳥居や社殿は整備されたことが「江戸名所図会」(※4)にも記されているそうです。

※4 江戸名所図会 : 江戸時代後期の天保5年と7年(1834年と1836年)に刊行された江戸の地誌、絵入りの名所案内。

海外の観光客に大人苦

花園稲荷神社は小さな神社ですが、参道に連なる赤い千本鳥居が、フォトジェニックで摩訶不思議な雰囲気が漂っているからでしょうか。海外からの観光客が、スマホを向けて写真や動画を撮っている姿をよく見かけます。

現社殿のほかにも、旧社殿跡の薄暗い雰囲気のある「穴稲荷」と呼ばれる一角には、「お穴さま」というお稲荷様がいます。

ここは、知る人ぞ知る「関東屈指のパワースポット」としても有名で、「安産の神さま」としてのご利益のほか、縁結び・夫婦和合・子授け・金運アップのご利益をいただけます。

画像:社務所側から見た本殿と手水舎。奥の階段を上ると花園稲荷神社へ。(撮影/桃配伝子)

終わりに

撮影:見上げるほどの大木が。初春ごろは木々を飛び交うメジロの姿が見られる(撮影:桃配伝子)

広大な敷地で緑の多い上野公園は平日でも賑わっています。そんななか、大きな木々に囲まれた五條天神社は静寂に包まれ、空気が澄んでいてまるで別世界。思わず深呼吸をしたくなるほどです。

五條天神社は、医薬の神さまを祀る長い歴史を持つ神社だけに「上野屈指のパワースポット」とも呼ばれています。

菅原道真公が、こよなく愛した紅白の梅やピンク色の河津桜が彩りを添え、鮮やかな黄緑色のメジロたちが木々の間を飛び交う春。
目にも鮮やかな新緑に染め上げられ梅の実がなる夏。紅葉が色づく秋……四季折々に姿を変える境内は、いつ訪れても気持ちが癒されるでしょう。

自分や大切な人の病気平癒や、健康祈願はもちろん、そうした四季の風情を感じに足を運んでみてください。

画像:初春は境内に道真公が愛した梅の花が咲き誇る(撮影:桃配伝子)

文/撮影 : 桃配伝子

 

桃配伝子

桃配伝子

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アパレルのデザイナー・デザイン事務所を経てフリーランスとして独立。旅行・歴史・神社仏閣・民間伝承&風俗・ファッション・料理・アウトドアなどの記事を書いているライターです。
神社・仏像・祭り・歴史的建造物・四季の花・鉄道・地図・旅などのイラストも描く、イラストレーターでもあります。

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