べらぼう~蔦重栄華之夢噺

蔦重も惚れた?悲劇の遊女・誰袖(福原遥)の華麗な変貌と末路とは 【大河ドラマべらぼう】

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」皆さんも楽しんでいますか?

瀬川(小芝風花)と20年越しの想いを通わせながら、身請けを見送った蔦屋重三郎(横浜流星)。
以来、色恋ごととは無縁と思いきや、大文字屋の振袖新造”かをり”から相変わらず慕われ続けていました。

彼女は後に”誰袖(たがそで)”と源氏名を改め、当代一の花魁となります。

果たして彼女はどんな人生を歩むのか、今回はその一部を紹介。大河ドラマを楽しむご参考にどうぞ。

大文字屋の呼出遊女

北尾政演「青楼名君自筆集」より、誰袖(左から二番目の遊女)

誰袖の出身地や家族、吉原遊廓へ売られてきた事情などについて、詳しいことは分かっていません。

『吉原細見 五葉枩(ごようのまつ)』では、天明3年(1783年)ごろに大文字屋の「呼出」としてその名前が確認できます。

呼出(よびだし)とは遊女のランクを表しており、見世での客引きをせず、お客から呼び出される(指名を受ける)まで自室で待っていられる身分です。

わざわざ客引きなどしなくても、お客から指名されるほど評判であったことが分かります。

源氏名”誰袖”の由来

ちなみに”誰袖”という源氏名は「誰の袖」という意味です。

その由来は『古今和歌集』に採録されたこちらの和歌と考えられます。

色よりも 香(か)こそあはれと 思ほゆれ
誰が袖ふれし 宿の梅ぞも

※『古今和歌集』詠人知らず

【歌意】梅の花は、その姿も美しいが、それ以上に香りこそが魅力的だとは思わないか。ところでこの残り香は、誰の袖に薫(た)きしめたものだろうか?

平安時代の貴族たちはあまり身体を洗えなかったため、衣服に香を薫いて体臭を隠す文化がありました。

この和歌が詠まれた場所には、きっと梅の花が咲いていなかったのでしょう。

梅の花がないのに香りがすれば、誰かが薫きしめたからに違いありません。

露骨に自身の存在を主張するのではなく、立ち去った後の残り香からそっと感じてもらう、実に奥ゆかしい人物像が思い浮かびます。

劇中の”かをり”にはそんな奥ゆかしさなど微塵も感じませんが、やがて蔦重も惚れてしまいそうな色香を放つのかも知れませんね。

ちなみに、現代でも香り袋(着物の袖などに仕込む携帯用のお香)を誰袖と言いますが、これもこちらに由来します。

誰袖の詠んだ狂歌

当時の高級遊女は、美貌だけでなく才知にも富んでおり(そうでないと上客から相手にされない)、誰袖もまた例に漏れません。

例えば、天明3年(1783年)に出版された『萬載狂歌集』では、こんな狂歌を寄せています。

わすれんと かねて祈りし 紙入れの
などさらさらに 人の恋しき

※四方赤良・朱楽菅江編『萬載狂歌集』恋12-489

【意訳】もう忘れようと前から思っているのに、あの人から貰った紙入れを見ると、あの人が恋しくて狂おしくてならない。

もう結ばれないと分かっているし、見れば苦しいだけなのに、前に貰った紙入れをどうしても捨てられない葛藤が伝わってくるようです。

果たしてこの紙入れは誰から貰ったものなのか、よもや蔦重からではないでしょうね?

(実際にはともかく、劇中の設定としてはありそうですね。果たして?)

ちなみにこの和歌は『萬葉集』からの本歌取り(ほんかどり)。要するにオマージュです。

多摩川に さらす手作り さらさらに
何ぞこの児の ここだ悲しき

※『萬葉集』東歌

オリジナリティも大切ですが、古歌を知りながらそれを巧みにアレンジするセンスも重視されました。

何かを一から生み出すよりも、既存のものを発展させる日本人の才能は、こういうところでも光っています。

誰袖の短い結婚生活

土山宗次郎との結婚生活(イメージ)

そんな誰袖は天明4年(1784年)ごろ、旗本の土山宗次郎(つちやま そうじろう)に、1,200両という巨額で身請けされました。

かつて、五代目瀬川が鳥山検校に身請けされた1,400両には一歩譲りますが、それでも現代の貨幣価値で約1億2,000万円(※1両≒10万円として)という金額は、彼女がそれだけの存在であったことを示しています。

ちなみに土山宗次郎は田沼意次の側近であり、勘定組頭を勤める能吏でした。

この身請けは江戸市中でも話題となり、誰袖は当代一の花魁としてその名を知らしめることとなります。

ひとたび入ったら、生きて出られるのは一握りと言われる吉原遊廓の大門を出た誰袖。しかし彼女の結婚生活は、長く続きませんでした。

実は彼女の身請けに払った身代金は、土山宗次郎が横領したものだったのです。

土山宗次郎は逃亡し、暫く平秩東作(へづつ とうさく)に匿われていたものの、捕らわれて斬首されてしまいました。

武士としての尊厳を保つ切腹ではなく、罪人として斬首された夫の悲報に接して、誰袖の胸中はいかばかりだったことでしょう。

時に天明7年(1787年)。こうして誰袖の短い結婚生活は幕を下ろし、その後彼女がどうなったのか、詳しいことは伝わっていません。

叶うことなら、瀬川のように再婚して穏やかな人生を送っていてほしいものですね。

誰袖の基本データ

生没:生没年不詳
実名:不詳
出身:不詳
出自:不詳
家族:不詳
源氏名:誰袖(古今和歌集に由来)
職業:遊女
所属:大文字屋(吉原遊廓)
職位:呼出、花魁
教養:狂歌など
伴侶:土山宗次郎
身請:1,200両(身代金)
結婚:天明4年(1784年)~天明7年(1787年)

終わりに

イメージ

今回は、蔦重を慕う”かをり”改め悲劇の遊女・誰袖について紹介してきました。

今は無邪気に蔦重を慕っていますが、やがて二人の関係にも変化が訪れることでしょう。

今後どのような展開が描かれるのか、注目しています!

参考文献:
・賀川隆行『日本の歴史11 崩れゆく鎖国』集英社、1992年7月
・宇田敏彦 校註『万載狂歌集 江戸の機知とユーモア』角川ソフィア文庫、2024年12月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部

角田晶生(つのだ あきお)

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