皇帝の夜の相手は札で決まった? 清朝の妃たちが一喜一憂した「運命の札選び」

札で決まる一夜

画像 : 1760年時点での清の領域 wiki c Aldermanseven

17世紀半ば、明を滅ぼして中国を支配した満洲族の王朝、清朝

その後、清はおよそ260年にわたって繁栄を続け、広大な領土と厳格な統治体制を築き上げた。

首都・北京にそびえる紫禁城では、絶対的な権力を持つ皇帝を頂点に、数万に及ぶ役人たちが国家運営を支えていた。
一方で、奥深くに設けられた後宮では、数えきれないほどの妃嬪たちが、熾烈な寵愛争いに身を投じていた。

しかし、どれほど美しく聡明であろうとも、皇帝の寵愛を受けられるかどうかは、しばしば運に左右されたのである。

清朝の皇帝たちは、どの妃嬪と夜を共にするかを、なんと「札」を使って決めていた。

この仕組みは「翻牌子(ふぁんぱいず)」と呼ばれ、現代のドラマや小説でもしばしば題材にされるが、これは史実に基づく制度である。

画像 : 翻牌子 イメージ 草の実堂作成(AI)

翻牌子とは、妃嬪一人ひとりの名前が記された小さな札(主に緑色の札)を指す。

これらの札は、毎晩、銀盆に並べられ、夕食後に皇帝のもとへ運ばれた。
皇帝は札を見て、特に関心のある妃の札を裏返すことで「今夜の相手」を選ぶ。

そして選ばれた妃は入念な準備を整え、皇帝の寝殿へと向かったのである。

この制度が設けられた背景には、皇帝の血統管理という重要な事情があり、単なる「気まぐれな遊び」ではなかった。

皇帝自身も、国家の安定と皇位継承のため、後宮の管理を厳格に行う義務があった。

翻牌子は、そうした宮廷規律の一環として、きわめて公式な意味を持っていたのである。

運命を握った宦官たち

画像 : 敬事房の宦官たち 草の実堂作成(AI)

翻牌子の制度を実際に支え、運用していたのは、内務府に属する「敬事房(けいじぼう)」という部署である。

表向きには目立たない存在であったが、後宮における皇帝と妃嬪たちの接触すらも掌握していた点で、後宮運営の中枢をなしていたといえる。

敬事房に所属する宦官たちは、毎晩、妃嬪たちの名前が書かれた綠頭牌(りょくとうはい)を大きな盆に並べ、皇帝に差し出した。

皇帝が裏返した札を正確に把握し、即座に動き出すのが彼らの仕事だった。そして選ばれた妃のもとに急ぎ、入浴や身支度を指示し、決められた作法に従って寝殿へと案内したのである。

宦官たちには、他にも重要な役割が課されていた。
それは、皇帝と妃嬪が交わった年月日と時刻を、正確に記録することだった。
この記録は、妃が懐妊した際、確実に皇帝の血統であることを証明するために不可欠だったのだ。

また、敬事房の宦官は選ばれる札の位置や目立たせ方を、さりげなく調整することができた。
これにより、妃嬪たちが敬事房の宦官に取り入ろうとする現象が後宮で常態化したとされている。

翻牌子という一見単純な制度の裏では、敬事房の宦官たちが皇帝と妃嬪の運命を静かに左右していたのである。

翻牌子に賭けた妃たち

画像 : 選ばれるために祈る妃 草の実堂作成(AI)

清朝の後宮に生きる妃たちにとって、翻牌子は単なる儀式ではなかった。

それは、自らの将来、家族の名誉、さらには生死さえ左右する、運命を懸けた「勝負」だったのである。

皇帝に選ばれることは、単なる一夜の寵愛では終わらない。
子を成せば、地位は急上昇し、家門も繁栄する。反対に、選ばれなければ忘れられ、年を重ねれば誰からも顧みられず、後宮という名の牢獄で生涯を閉じることになった。

当然、妃たちは、なんとかして札を手に取ってもらおうと必死になる。

身だしなみを整え、香をまとわせるのは当然のことながら、背後では宦官への贈り物や根回しも怠らなかった。
選札におけるわずかな機会をものにするため、妃たちは財産を投じ、人間関係を築き上げ、静かに熾烈な戦いを繰り広げていたのである。

どれほど努力を重ねても、すべては皇帝の気まぐれひとつで水泡に帰すこともあった。しかし、たった一夜の選択が、その後の運命を大きく左右することも確かであった。

翻牌子の制度は、表向きには公平を装っていた。

しかし、実際には権力闘争、嫉妬、陰謀が渦巻く後宮の縮図でもあった。

翻牌子にまつわる誤解と真実

画像 : 皇帝と妃 草の実堂作成(AI)

翻牌子という制度は確かに清朝宮廷に存在した。
しかし、現代に伝わる華やかな逸話の多くは、史実とはかけ離れているのが実情だ。

例えば、こんな逸話も広く知られている。

「皇帝が皇后と過ごす時、宦官が窓の外で時間を計り、記録をつけていた」
「妃は裸にされ、毛布に包まれて宦官に運ばれた」
「宦官が人工的な避妊処置を行っていた」

どれも興味をそそる内容だが、実はこれらは信頼できる一次史料には登場せず、『清代野記』のような民間の雑記や、後世の創作物によって広められたフィクションとされている。

では、実際の制度はどのようなものだったのか。清朝が正式に編纂した行政法規集『欽定大清会典事例』の記述を見てみよう。

凡選妃嬪侍寢、内務府預備緑頭牌、書名其上、呈遞御前。皇帝閲畢、留某牌、則太監持牌往告。其妃嬪即具裝候召。

意訳 :
妃嬪を選んで侍寝させる際には、内務府が緑頭牌を準備し、その上に名前を記して皇帝の前に提出する。皇帝が閲覧した後、ある牌を選ぶと、太監がその牌を持って選ばれた妃嬪に知らせに行く。妃嬪はすぐに身支度を整え、召しを待つ。

『欽定大清会典事例』内務府・敬事房 より引用

あくまで国家の安定と王朝維持を目的とした簡潔で実務的な手続きであり、ドラマで描かれるような派手な演出は特にない。

もっとも、実際に選別の行為があった以上、皇帝や妃、宦官たちの間ではさまざまな人間模様が繰り広げられていたことに違いはないだろう。

それにしても、なぜこれほど多くの俗説が広まったのだろうか。
おそらく、紫禁城という閉ざされた世界への好奇心と、権力の頂点に君臨する皇帝の私生活への想像力が、人々の空想をかき立てたからにほかならない。

翻牌子の制度は、事実と虚構のはざまに揺れながら、今なお私たちの想像を掻き立て続けている。

参考 : 『欽定大清会典事例』『宮中現行則例』『清宮述聞』他
文 / 草の実堂編集部

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