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やなせたかし氏の弟・柳瀬千尋 ~海軍少尉の危険すぎた任務とは

真っ白な海軍の制服に身を包み、兄の元を訪れた千尋。

ドラマでは「愛する人たちを守るため、命を捧げる」と語りました。

史実でもやなせたかし(本名・柳瀬嵩)氏の弟・千尋さんは、任地へ赴く前にやなせ氏の元を訪れています。

幼いころから優秀で京都帝国大学で法律を学び、海軍少尉となった千尋さん。

彼に課せられた危険な任務とは、何だったのでしょうか。(以下敬称略)

海軍予備学生へ志願した千尋

画像 : 出陣学徒壮行会(1943年10月21日)public domain

昭和18年、高等教育機関に通う学生の徴兵猶予が撤廃されました。

いわゆる学徒出陣で、理系と教員養成を除く20歳以上の文系学生が召集されることになったのです。

昭和18年9月23日、半年間の繰り上げで京都帝国大学を卒業した千尋は、翌10月1日、海軍兵科三期の予備学生として横須賀第二海兵団に入団しました。

予備学生とは、大学や大学予科といった高等教育機関の卒業生から志願者を募り、一定期間「実務教育」を施した後、海軍少尉を任官する予備士官養成の制度です。

海軍予備学生は「飛行科」と「兵科」に分かれ、「兵科」に入った千尋は、3ヶ月にわたって海軍軍人としての基礎を叩きこまれました。

12月29日から翌年の1月8日までは、38科目にもおよぶ試験がおこなわれ、その後1月末までは実際に軍艦を使った艦務実習がおこなわれています。

この4ヶ月におよぶ基礎教育の後、無事卒業できた者だけが専門課程である「術科学校」へと進むことになるのですが、各人の適性と試験の成績をもとに振り分けられるので、自分の希望は通りません。

千尋は、「機雷学校」(2ヶ月後に「対潜学校」に名称変更)へ進むこととなりました。

機雷学校(対潜学校)で潜水艦の音を識別する聴音能力を養う

画像 : アメリカ海軍の潜水艦「グレイバック」public domain

昭和18年の4月以降、アメリカの潜水艦部隊が開始した「狼群戦法」によって、日本の船舶は次々と魚雷の標的となりました。

「狼群戦法」とは、大量の潜水艦を投入し、日本の輸送船団を攻撃、破壊する作戦です。

それまで月に10万トン未満だった船舶の喪失量が、一気に20万トンを超えるようになりました。

こうした深刻な被害を受け、海軍は早急な対応を求められます。

そして千尋たちが学んでいた専門のコースこそが、もっとも重要な分野だったのです。

千尋が入学して間もない昭和19年3月、機雷学校は「対潜学校」と名称を変更し、「対潜水艦作戦」などの訓練を行う重要な教育拠点となりました。

「対潜学校」には、「艦艇班」と「衛所班」があり、千尋は艦艇班に配属されました。

艦艇班の使命は「水中聴音」と「爆雷」です。
敵を探知し、爆雷を放って撃沈させるという「探知」と「攻撃」の任務なのですが、もっとも必要とされた能力は、海中の雑音を取り除いて敵の潜水艦の気配を探る聴力でした。

千尋たち兵士には、聴力を鍛える訓練が徹底的におこなわれました。

しかし、「絶対音感」を持たない兵士たちに、わずか4ヶ月間で敵の潜水艦の音を聴き分ける聴力を身につけさせることは困難でした。

指導を担当した東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身の佐藤吉五郎教官は、「艦船水中音の歌」を作り、繰り返し千尋たちに歌わせ、短期間で潜水艦の音を覚えさせました。

死と隣り合わせの任務「被雷したらほぼ助からない」

画像 : トラック諸島で魚雷攻撃を受ける日本軍の輸送船(1944年2月17日)public domain

千尋の任務は、艦の「水測室」で敵の潜水艦の音を聴き分けるという特殊なものでした。

水側室はたいてい艦橋の下かやや前方に位置し、艦底に近いところに設置されています。

船底に近いということは、艦が被雷した時に生き残る可能性は、まずありません。

その証拠に、海軍兵科三期の予備学生の中で最も戦死率が高かったのが、千尋が配属された「艦艇班」だったのです。

戦死率31.4%。これは同期の中で群を抜く数字でした。

柳瀬千尋は、死と隣り合わせの危険な任務についていたのでした。

帰郷 ~想い人に会っていた千尋

画像 : 夏服の海軍士官(1940年代中ごろ)wiki c せたがやアバント

昭和19年5月、海軍対潜学校を卒業した千尋は、海軍少尉に任官すると同時に即日召集となりました。

少尉任官者たちは3日間の休暇を与えられ、千尋は、育ての親であるキミの待つ高知に帰りました。

伯父のは5年前に亡くなり、広い家にキミは一人だったのです。

なさぬ仲の自分を、わが子のように大切に育ててくれたキミに感謝を伝えた後、千尋はさまざまな人たちの元を訪れました。

小学校から大学まで共に過ごした、親友の広井正路の家も尋ねています。

あいにく、広井は留守でしたが、彼の妹と話をすることができました。

広井の妹は、第一高等女学校出の才女で、美貌の持ち主でした。

美人と評判だった彼女に、ひそかに千尋も心を寄せていたのでしょう。

わざわざ海軍の制服に身を包み、広井の家を訪れたのは、彼女にりりしい姿を見てもらいたかったのかもしれません。

文武両道のエリートで大酒飲み。でも女性には奥手だった千尋の淡い恋でした。

こんなものは猿芝居だ

画像 : 駆逐艦「呉竹」public domain

千尋は、小倉で兵営生活を送っていた兄・嵩のもとにも訪れています。

「カッコいいじゃないか」

嵩が千尋の七つボタンの海軍の制服を褒めると、

千尋は「いや、こんなものは猿芝居だ」と返しました。

軍の機密は、たとえ親兄弟でも話すことはできません。

千尋は特殊な任務についているということだけを話し、それ以上の話はしませんでした。

この頃、すでに日本軍の劣勢は明らかで、もはや隠しようがありませんでした。

かつて大学時代に戦争と軍隊を冷ややかに見ていた千尋が、それでもなお自ら海軍へと身を投じたのは、彼にはこの戦争の結末が見えていたからかもしれません。

いくら制服が立派でも、短期間の訓練を受けただけの即席の海軍少尉。危険な任務のすぐ隣には「死」があるだけです。

そんな自分をあざけるように猿芝居と言った千尋に、昭和19年7月28日、駆逐艦「呉竹」への乗組が発令されます。

輸送船団の護衛という任務を待ち受けていたのは、大量の米潜水艦が潜む「輸送船の墓場」バシー海峡だったのでした。

参考文献
門田隆将『慟哭の海峡』角川書店
梯久美子『やなせたかしの生涯』文芸春秋
やなせたかし『ぼくは戦争は大きらい』小学館
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
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