
画像 : カルタゴ想像図(チュニジア・カルタゴ国立博物館) damian entwistle CC BY-SA 2.0
古代地中海世界には、後にローマと覇権を争うことになる強大な海洋都市国家が存在した。
それがカルタゴである。
ある伝説によれば前814年、この都市は東地中海から渡来したフェニキア人によって、現在のチュニジア沿岸に建設されたという。
後にカルタゴは三度にわたるポエニ戦争で共和政ローマと西地中海の覇権を争ったが、前146年に壮絶な市街戦の末にローマによって滅び、都市は徹底的に破壊された。

画像 : ポエニ戦争開戦直前の勢力図:ローマは赤、カルタゴは灰色 前264年頃 Harrias CC BY-SA 4.0
このカルタゴを舞台に、19世紀フランスの小説家ギュスターヴ・フローベールは『サラムボー』を著した。
作中では、カルタゴで行われた饗宴が印象的に描写されている。
物語は、第一次ポエニ戦争の英雄、ハミルカル・バルカの邸宅から始まる。
そこでは混沌とした宴が開かれていた。
会場にはヨーロッパ、アジア、アフリカの各地から傭兵が集まり、アンテロープ、クジャク、ハリネズミなどの珍しい動物の肉を貪っていた。

画像 : Antoine Druet (1857-1921) による油彩画《Salammbô au festin des mercenaires》。冒頭の饗宴の情景を描く。 public domain
しかし、これはあくまでフローベールが抱いた想像上のカルタゴである。
彼は自ら「カルタゴに似た何かを作り得た」と述べている。
つまり、描写が現実の姿とは限らないことを認めているのだ。
では、実際のフェニキア・カルタゴの食文化はどのようなものだったのか。さらに、その食生活は階層や性別によってどのように違っていたのだろうか。
主食はパン…だけではない!

画像 : イメージ
フェニキア人やカルタゴ人の主要なカロリー源は穀物であり、特に大麦と小麦が重要だった。
これらは黒パン、白パン、種なしパンなど様々なパンとして食べられた。また、スープ、粥、パスタのような食品にも加工された。
だが、消費傾向には地域差があった。
フェニキア人の故郷であるレヴァント地方(東地中海)では小麦が好まれた。一方、西地中海の植民市(イベリア半島、北アフリカ、シチリアなど)では大麦が多く消費された。
また、西地中海の植民市でも、儀式の際には小麦が主に使用された。これについては、小麦が社会階層を示すステータスとして機能した可能性が指摘されている。
その他、ソラマメ、エンドウ豆、ヒヨコ豆といった豆類も日常的に食べられていた。
肉類・魚類と階級差

画像 : ローマ時代、漁のモザイク(チュニジア・スース考古学博物館) Ad Meskens CC BY-SA 3.0
フェニキア社会において最も重要な家畜は、羊とヤギであった(考古学的には両者を区別しにくいため、同一グループとして扱われることが多い)。
これらは肉だけでなく乳、羊毛、皮など多方面に利用され、乳はチーズとしても消費された。
牛は農耕や運搬に不可欠だったが、飼育に大量の飼料と水を要する。そのため食用としては羊・ヤギの次、2番目に多く消費されていた。
豚肉については、かつて「フェニキア人は宗教的理由で豚肉を禁忌とした」という説があった。
しかし実際には、西地中海のフェニキア植民市(とりわけシチリア、サルデーニャ、イベリア)において豚肉が盛んに消費されていた。
東地中海のフェニキア人の間では人間と豚の間に食料の競合が起こったため、飼育が廃れたと考えられている。
一方、西地中海ではドングリなど、豚の餌を容易に確保できた。そのため、先住民社会には既に豚を食べる文化があった。
フェニキア人は植民先で先住民社会と接触し、現地文化の影響を受けながら、その地域独自の食文化を形成したのだ。
さらに鶏、魚(サメを含む)、貝類なども食べられていた。地域によってはシカやイノシシ、ウサギや野生の鳥など、狩猟によって得た動物も食糧となっていた。
動物性タンパク質の摂取には階級差が顕著であり、これは階級の固定化を支える仕組みとしても働いていた。
例えば、イビサ島(スペイン・バレアレス諸島)では、人骨を分析した結果、農村住民より都市住民の方が圧倒的に多くの動物性タンパク質を摂取していた。
また、祝祭では大量の肉が振る舞われたが、それは主催者の威信を示す行為でもあった。
聖域や集会所、墓地から出土する動物骨(哺乳類・魚類・貝類)は、日常的な住居跡から出るものとは比較にならないほど豊富だったのだ。
果物・ナッツ

画像 : ザクロ、学名はPunica granatum。Punicaはフェニキアの意。 Adrián Cerón CC BY-SA 4.0
フェニキア世界では、特にオリーブとブドウの栽培が広まった。
勿論ブドウはワインに、オリーブはオリーブオイルにも加工され、人々の食卓を支えていた。
他にもイチジク、ザクロ、デーツ、アーモンド、ピスタチオなどが食べられていた。
中でもイチジクは、大カトーが第三次ポエニ戦争を煽る際に、元老院へ見事なカルタゴ産のイチジクを持ち込み、カルタゴの豊かさと危険性を訴えた逸話で知られる。
これらの果実やナッツは、そのまま食べるだけではなかった。
パンや菓子の甘味料として使われ、肉料理のソースにも利用された。
また、果物の利用には地域差があった。
特にカルタゴ市では、ナツメ、桑の実、メロンなど、多様な果物が消費されていたことが知られている。
ハーブ・スパイスと交易ネットワーク

画像 : シナモン。ヘロドトス 3巻111によると、「シナモン」の語源はフェニキア語由来。 Kjokkenutstyr CC BY-SA 4.0
保存と風味づけのためにハーブやスパイスも使用された。
考古資料では、コリアンダー、フェンネル、ジュニパーベリーの利用例が見つかっている。
また、古代の文献からは、オレガノ、ミント、ディル、ニンニク、タマネギ、クミン、ケッパー、マスタード、シナモン、サフランなど非常に多様な植物名が確認できる。
さらに、シチリア島西端のモツィアでは興味深い発見がある。
死者の歯石を分析したところ、ウコン、ナルド、菖蒲といった、インドやヒマラヤを原産とする植物を摂取していた痕跡が確認された。
つまり富裕層は、地中海世界の外から輸入された、希少で高価な植物も利用できたのである。
フェニキア人と酒

画像 : フェニキア人のアンフォラ。ワインはアンフォラに入れて輸送された。(スペイン・国立水中考古学博物館) public domain
フェニキア人やカルタゴ人は、主にビールとワインを飲んでいた。
大麦から作るビールは家庭でも少量生産でき、特別な設備も必要ない。そのため、最も身近な「大衆の飲み物」とされていた。
一方、ワインは栽培・醸造・貯蔵に時間と費用がかかる。そのため、かつては「エリート層の特権的な飲み物」と考えられていた。
しかし、一般家庭からもワイン容器が多数出土したことで、従来の想定より広い層がワインを楽しんでいたと分かった。
蜂蜜酒も先住民社会に由来する伝統的な飲み物として存在し、ワインと並行して消費されていたと考えられている。
酔っ払いの規範

画像 : ローマ時代、酒神ディオニュソス(バッカス)とアリアドネの結婚のモザイク(チュニジア・バルド国立博物館)Giorces CC BY-2.5
古代ギリシアでは、夫婦が共に饗宴で酒を飲むことは一般的ではなかった。
饗宴に参加する女性は、ヘタイラ(芸妓・遊女)に限られていた。
しかし、フェニキア社会では状況が異なる。女性も饗宴に参加し、男性と対等に飲酒した。
キプロスやサルデーニャで見つかった食器には、長椅子に横たわり杯を持つ女性が描かれている。
また、女性の墓から飲酒具一式が出土する例もある。このような発見から、女性も公的な飲酒の場に参加していたことが分かる。
とはいえ、フェニキアの酒文化が平等だったわけではない。真の格差は「酩酊する権利」にあった。
古代オリエントでは、酩酊は成熟した男性、とくに特権階級の男性に結びつけられた。
特に父が酔い、息子が介抱するという行為は「親孝行」として肯定的に語られた。
旧約聖書でも、ノアの逸話などにこの価値観が見られる。
一方で、女性の酩酊は一貫して強く批判された。
当時の価値観において、酩酊状態は神や祖先と交信する「神聖な手段」でもあった。
そのため、男性エリートがそれを独占することは、家父長制において権威を保つ役割を果たしたのである。
実際のフェニキア料理

画像 : カルタゴ出土の蓋付き鍋とフライパン。2019–2020年にイタリア・コロッセオで開催された展覧会Carthago: Il mito immortale(カルタゴ:不死の神話)より。 Jamie Heath CC BY-SA 2.0
最後に、実際の料理を二つ紹介しておこう。
1つ目は、大カトーの『農業論』に登場する「カルタゴの粥(Puls Punica)」である。
スペルト小麦あるいはエンマーの粗挽き1ポンド(筆者注:古代ローマの場合約327.4g)を水で煮る。これを清潔な器に移し、フレッシュチーズ3ポンド、蜂蜜半ポンド、卵1個を加えてよく混ぜ合わせ、新しい器に入れる。
2つ目は、マヨルカ島南部(スペイン・バレアレス諸島)で見つかった鍋の分析結果に基づく料理である。
鍋の残留物から、羊肉、鶏肉、貝類、魚類、ウミガメが使われていたことが分かった。
さらにこれらはニンニク、玉ねぎ、現地産のハーブなどで味つけされ、長時間煮込んで提供されたと考えられている。
最後に

画像 : カルタゴ遺跡(チュニジア) Christian Manhart UNESCO CC BY-SA 3.0 IGO
古代フェニキア・カルタゴの食文化においては、パンや粥、パスタなどが主食とされていた。
そこに肉や魚、オリーブオイル、果物、スパイス、そして酒が組み合わされた。
移民集団であるフェニキア人の食卓は、あるときは先住民社会の歴史や食文化と交差し、あるときは海上交易ネットワークを反映していた。
食文化は時に、地中海世界の内側と外側をつなぐ媒介にもなった。
そして、食は単なる栄養摂取だけを意味しなかった。食文化は階級や性別と密接に結びついていた。
誰が何を食べるのか、何を飲むのか、どこまで酔ってよいのかといった点は、社会秩序の再生産に関わる重要な要素だったのである。
参考文献:
栗田伸子、佐藤育子『通商国家カルタゴ』講談社、2016年
フローベール、中條屋進訳『サラムボー』上下、岩波書店、2019年
Delgado Hervás, Ana. « Jerarquías del gusto en los mundos fenicio-púnicos ». In Au prisme des goûts, édité par Bruno D’Andrea, Marie De Jonghe, et Mohamed Tahar. Madrid: Casa de Velázquez, 2025. doi:10.4000/14a7k.他
文 / 青汐茉莉 校正 / 草の実堂編集部
























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