普段、私たちが何気なく運転している「右ハンドル」の車。
しかし、一歩海外へ出れば、多くの国で「左ハンドル」の車が右側通行で走っている光景を目にする。
なぜ世界には2つのルールが存在し、日本はなぜ少数派とも言える「左側通行・右ハンドル」を選んだのか。
そこには、単なる交通の利便性だけではない、武士の魂や鉄道の歴史、そして時の権力者による政治的決断が深く関わっている。

画像 : カリフォルニア州バークレー付近の州間高速道路80号線(イーストショア・フリーウェイ)とサンフランシスコ湾東岸の景観 Minesweeper GFDL
多数派への渇望と世界標準の統制
まず、世界全体を見渡してみよう。
現在、世界で「右側通行(左ハンドル)」を採用している国・地域は165にのぼり、国数・人口ともに多数派である。
対して、日本と同じ「左側通行(右ハンドル)」を採用しているのは、イギリス、オーストラリア、インド、タイなど、75の国と地域に限られる。
統計的にも、世界の道路の約75%は右側通行で、左側通行は約25%にとどまる。
人口比で見ても右側通行圏が約65%、左側通行圏が約35%とされ、車両規格としても左ハンドル車が優勢になりやすい土壌がある。
かつては世界でも左右のルールが混在していたが、20世紀に入り、自動車大国アメリカで左ハンドル車が標準化し、1908年のフォードModel Tも左側の運転位置を採用した。
こうした車両規格の普及と輸出は、隣国との制度統一や近代化の流れと重なり、右側通行を採用する国・地域が増えていく大きな要因となった。
ヨーロッパ諸国も、陸続きの隣国とルールを統一するために、ナポレオンの征服や戦後の近代化を経て、多くが右側通行へと移行していったのである。
武士の矜持と英国式の統制

画像 : 青空を見上げる武士(イメージ)草の実堂撮影
では、なぜ日本は世界的な右側通行の流れに乗らず、左側通行・右ハンドルを維持したのか。
そのルーツは江戸時代にまで遡る。
当時の日本は「武士の社会」であった。
武士は左腰に刀を差しているため、右側を通行すると、すれ違いざまに互いの鞘が当たってしまう(鞘当て)。
これは武士にとって最大の侮辱であり、刃傷沙汰の火種となった。
そのため、刀が当たらないよう「左側を通る」というルールが自然に定着したという説がよく知られている。
明治時代に入り、近代的な交通法規が整備される際も、日本はフランス(右側通行)ではなく、イギリス(左側通行)をモデルに鉄道網を敷設した。
当時の主力技術であったイギリス式の鉄道や馬車のルールが、そのまま日本の近代交通の「統制」の礎となり、1881(明治14)年には、警視庁の通達で「人力車が行き合った場合には左に避ける」と左側通行が明文化され、近代の交通ルールとして定着していったのである。

画像 : 東名高速道路と新東名高速道路を接続する豊田ジャンクション Jihara19 CC BY-SA 4.0
島国の独自性とグローバルな統制
日本が左側通行を貫いたもう一つの大きな理由は、日本が「島国」であることだ。
大陸諸国のように、国境を越えた瞬間に通行ルールが変わって事故が多発する、という切実な問題に直面しなかったため、独自のルールを維持しやすかった。
唯一の大きな例外は、戦後の沖縄である。
アメリカの統治下にあった沖縄では一時、右側通行(左ハンドル)が強制された。
しかし、1978年7月30日(いわゆる「730」)、一斉に左側通行へと戻された。
これは、日本という国家の主権と「交通の一致」を象徴する歴史的な出来事だった。
現在、多くの輸入車が日本向けに右ハンドル仕様を生産しているのは、日本の自動車市場がそれだけ巨大で無視できないからに他ならない。
世界が左ハンドルという一つの規格に「統制」されようとする中で、日本は歴史とアイデンティティが生んだ右ハンドル文化を、今も守り続けているのである。
参考 :
World Population Review Countries That Drive on the Left / Right
Federal Highway Administration(米連邦道路局, FHWA)Why Do We Drive on the Right Side of the Road?
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部























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