豊臣兄弟!

前田利家はドケチだった?「金は使うときには使え!」と叱った妻・まつの逸話

画像:利家とまつ像 photo-ac shomomo

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第5話『嘘から出た実』で初登場となった、前田利家(大東駿介)とその妻・まつ(菅井友香)。

まつはまだ、12〜13歳頃でしょうか。藤吉郎(秀吉/池松壮亮)や寧々(浜辺美波)に対して、ライバル意識むきだしの気が強い少女という印象でした。
のちに、夫同士も妻同士も親友へと変化していくのがどのように描かれるのか楽しみです。

寧々もまつも「好きな戦国の女性ランキング」アンケートでは、常にトップ3に入るほど(もうひとりは「お市」)人気があります。

両者とも、夫の陰でひっそり目立たず「内助の功」で尽くすタイプではなく、本人の意思や能力で生き抜いてきた気丈さ・胆力を持った女性として知られています。

まつのエピソードは、史実から創作まで数多く存在しています。

今回は「殿よりも怖い」とも言われたという、まつのお金にまつわる逸話をご紹介したいと思います。

非常に倹約家でケチだったと伝わる前田利家

画像 : 織田信長の小姓だった前田利家 騎馬像(荒子駅) wiki c

まつは、尾張国の武家・篠原主計(篠原一計)の娘として生まれたとされます。
4歳のときに父を亡くし、母の再婚に伴って、前田利家の父・利昌のもとで養育されました。

やがて利家に嫁ぎ、永禄初年ごろに婚礼を挙げました。当時、利家は20歳前後、まつは12歳前後であったといいます。

利家といえば「加賀百万石のお殿様」のイメージが強いのですが、実は名古屋の生まれです。
青年期は血気盛んで勇猛果敢な「槍の使い手」で、さらに高身長で美貌のイケメンだったとか。けれども、非常に倹約家で悪く言えば「ケチ」と評されることもありました。

とはいえ、ただのケチなのではなく、若い頃に浪人生活を経験し、困窮を味わったことが、利家の金銭観に影響したと考えられます。
戦争の費用を蓄える・領民たちが飢えないように備蓄を最優先するなど、無駄な出費には厳しかったようです。

「屋敷の雨漏りも修理しない、戦に勝った家来への恩賞を渋る、槍を研ぎ続けて新調しない」といった逸話が残っています。

江戸初期成立の軍記物語『川角太閤記』には、そんな利家に対する、まつの印象的なエピソードがあります。

「お金は使うときには使わなければなりませぬ!」

画像:佐々成政肖像(富山市郷土博物館蔵) public domain

天正12年(1584)に始まった「末森城の戦い」で、加賀・能登の重要拠点であった末森城が、佐々成政の軍勢約1万5,000に包囲されました。

城将の奥村永福ら約300の籠城軍は必死に抗戦しますが、戦況は次第に不利となり、落城寸前にまで追い込まれ、金沢にいた利家のもとへ救援の使者が送られます。

しかし利家は兵を出し渋り、すぐには決断できませんでした。
これは、秀吉から「金沢城を動くな」と命じられていたとも、手元の兵力が限られていたため慎重にならざるを得なかったなど、諸説あります。

そんな夫に怒ったのがまつでした。
蓄財に心を砕いていた利家に対し、金銀を入れたなめし革の袋を突きつけたのです。

「日ごろ、財よりも兵を養うべきだと申し上げてまいりましたのに、この有様でございます。貯め込んだ金銀に槍でも持たせてみては、いかがでございましょう」

まつはそう言い放ったと伝えられます。

蓄えるだけではなく、使うべきときには使うべきだという戒めだったのでしょう。

褒美(金)を惜しむことで人心が離れることもある

戦国期において「金」は、兵糧や武具を整える資源であると同時に、兵を集め、家臣の心をつなぎとめる力でもありました。恩賞は主従関係を支える実利であり、誇りでもあります。

褒美を惜しめば士気は下がり、いざという時に踏ん張りが利かなくなる。そうした事態を避けるためには、蓄えるだけでなく、使うべき局面で用いる判断は必要だったことでしょう。

倹約は美徳ですが、それが守り一辺倒になれば家の勢いは衰えます。まつの叱責の逸話は、財よりも人心を重んじよ、という警句ともとれます。

とはいえ、先述したようにこの逸話は一次史料に見えるものではなく、あくまで江戸期軍記に基づくものです。

しかし、戦国大名の経営感覚を象徴する逸話として、後世に語り継がれてきました。

家を「会社」や「組織」と置き換えて考えれば、現代にも通じる示唆を含んでいるといえるでしょう。

最後に

画像:尾山神社:芳春院(まつ)の石碑 public domain

両方のバランスが取れていたからこそ、前田家は加賀百万石へと発展していったのかもしれません。

利家亡き後、前田家は、外様大名を警戒する徳川家康に危険視されるようになります。その対策に、人質として家康の元に出向いたのは、嫡男ではなく、まつ自身でした。

武装した供回りを伴って堂々と江戸に入ったと伝えられ、その姿は人質というよりも公的な使節のようであったと語られます。

まつは、利家亡き後も自ら前面に立って前田家の立場を守り抜こうとしたのです。

参考:
川角太閤記』現代語訳 戦国史料
前田利家と妻まつ: 加賀百万石を築いた二人三脚 他
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部

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