豊臣兄弟!

豊臣秀吉はなぜ衰弱したのか 〜精が尽きる病とされた「腎虚」とは

画像:五臓と五腑。 wiki cc

腎虚(じんきょ)とは東洋医学において、免疫機能や内分泌系などの機能低下を原因として起きる症状のことをいう。

腎虚の「腎」は、西洋医学でいうところの臓器「腎臓」の役割よりさらに多くを含む機能で、排泄機能に加えて身体の成長や老化、発育や生殖を司る「生命力の根源」を意味している。

冷え性、疲労、のどや口腔の渇き、抜け毛や白髪の増加、足腰の弱り、頻尿、耳鳴り、生殖機能の不調など、腎虚には様々な症状があるが、読んで字の如くまとめるなら、生命力の源である「腎」が衰弱して「虚ろ」になってしまった状態を腎虚と呼ぶ。

この「腎虚」という状態、原因の1つに多淫がある。
多淫は腎を消耗し過ぎてしまうことから腎虚になりやすいとされるが、それのみが原因ではない。

だが日本においては近代まで、迷信と混同されて「精が尽きた男が発症して死ぬ病」と誤解され、性的不能の状態もまた腎虚と呼ばれていた。

そのため好色として知られた人物の死や体調不良の原因が、腎虚ではないかと疑われた説が多数ある。

今回は、腎虚が死因と疑われた加藤清正と豊臣秀吉、そして自力で腎虚を克服したと伝わる徳川家康の、生前の生活と臨終の様子について触れていきたい。

戦場でも遊女を囲った加藤清正

画像:加藤清正の虎退治(月岡芳年画) public domain

腎虚が死因となった武将として、まず名前が挙がる人物が加藤清正だ。

加藤清正は豊臣秀吉の子飼いの猛将として活躍し、肥後熊本藩の初代藩主として治水工事や新田開発でも高い実績を上げ、熊本では今でも「せいしょこさん」と呼ばれ尊び親しまれている名将である。

「肥後の虎」と賞されるほど腕っぷしが強く、政治家としても優れたセンスと手腕を持っていた清正だが、「英雄色を好む」という言葉通りか、戦場にも遊女を連れ込み女遊びを欠かさなかった好色な人物であったと伝えられている。

清正の死因には、脳溢血説やハンセン病説、毒殺説や梅毒説などいくつかの説があるが、そのうちの1つが腎虚説である。

清正は1611年7月、新たな主君である徳川家康と、かつての主君であった豊臣秀吉の跡を継いだ豊臣秀頼の二条城会見を見届けた後、熊本に帰国する船中で熱を出し、体調を崩したという。

発病初期は家臣と歌舞伎を楽しむ余裕があったというが、熊本城に戻った頃には既に口もきけないほど重篤な状態になっていた。

そのまま清正の体調は回復せず、死の間際の言葉も遺せずに49歳でこの世を去った。

清正が発症した熱発などの症状は、かつて腎虚の症状と考えられていた多淫による体力や精力の衰弱とはそもそもが異なる。

しかし急な体調不良後の早すぎる死であったために、腎虚が死因として疑われたようだ。

浮気癖で正妻を悩ませた豊臣秀吉

画像:慶長伏見地震で被災した秀吉のもとに、加藤清正がいち早く駆けつけたとするエピソードを描いた浮世絵(月岡芳年筆)。ただし地震発生時に清正は京都や伏見におらず、後世の作り話とされる。 public domain

加藤清正の元主君であり、三英傑の1人と数えられる豊臣秀吉もまた、腎虚が死因ではないかと囁かれた1人だ。

秀吉には正室ねねの他、秀頼を生んだ淀殿を始めとする10名以上もの側室がおり、大坂城に囲った300人の女性がすべて秀吉の愛人だったという説まである。

武家出身ではない秀吉は、戦国時代当時の武将たちの嗜みであった衆道、つまり男色には一切興味を示さず、生粋の女好きを貫いたとされる。

秀吉の女遊びの激しさには正室のねねも悩まされ、主君であった信長から慰めと励ましの手紙をもらうほどだった。

秀吉は死因は腎虚説のほか、梅毒説、胃がん説、大腸がん説、尿毒症説、赤痢説、結核説などがある。

50代後半頃から急激に衰えを見せ始め、無意識に尿失禁することもあったと記録されている。

画像:『醍醐花見図屏風』(重要文化財、国立歴史民俗博物館蔵)に描かれた豊臣秀吉と北政所。 public domain

1598年に催した大規模な「醍醐の花見」を終えた後、体調を著しく崩して腰が立たなくなり、それから食欲不振や腹痛、慢性的な下痢や手足の痛みに苦しみ、62歳で死去した。

臨終の2週間前に秀吉を見舞った宣教師ジョン・ロドリゲスはその衰弱した姿を目にして「人間とは思えぬほどに瘦せ衰えた姿」と記録している。

最晩年の秀吉の身体症状には、尿失禁や足腰の弱り、認知機能の低下による怒りっぽさなど、現代でいう「腎虚」に共通するものもある。

しかし本来「腎虚」の意味するところ病名ではなく心身の状態であり、様々な病や体調不良の原因にはなり得るが、それのみで直接の死因にはなりがたい。

秀吉の急速な衰弱と死には、腎虚を含む様々な要因に由来する大病と考えるのが妥当だろう。

多くの妻を持ちつつ腎の養生を心がけていた徳川家康

画像:孟齋芳虎画「三河英勇傳」より『従一位右大臣 征夷大将軍源家康公』 public domain

多くの側室を抱えた人物というなら、秀吉に代わって天下人となった初代江戸幕府将軍の徳川家康にも当てはまる。

家康はそのうえ子だくさんで、彼の子どもとして認知された人物は11男5女の16人、しかも家康が60歳頃に十一男の頼房、65歳頃に五女の市姫が生まれたとされる。

医学や薬学に通じた健康通だった家康には、自らが腎虚になり得るという自覚があったのかもしれない。

家康は腎虚を改善する効果がある漢方薬として今でも利用される「八味地黄丸」を自ら調合して愛用し、それにオスのオットセイの生殖器を材料とする「海狗腎(かいくじん)」を加えて、精力剤としての効果も高めていたという。

さらに家康は、日々の生活習慣においても腎の養生を怠らなかった。

食事で腎を補うには、黒豆や黒ゴマなどの黒い食材の他、体を潤わせる納豆や山芋など粘り気のある食材、豚肉や鶏肉、鴨肉などの肉類も効果があるとされ、食べ方は体を温めつつ水分と塩分(ミネラル)を補える汁物や煮込みが推奨される。

家康は豆味噌を使った具だくさんの味噌汁を毎日欠かさず食べ、納豆や自然薯、鳥類の肉も好んで日々の食事に取り入れていたという。

腎虚の改善にはウォーキングなど足腰を鍛える適度な運動や、早寝早起きも推奨されるが、家康は朝6時には起きて夜9時には寝る早寝早起きの生活を心掛け、定期的に視察と鍛錬を兼ねた趣味の鷹狩にも出かけていた。

画像:鷹狩り姿の徳川家康公之像(駿府城本丸跡) wiki c そらみみ

その甲斐もあってか、戦場を生き抜いた多くの武将や大名が50代~60代で病死していた時代に、家康は70歳以降も健康を保ち精力的に働くことができた。

幕藩体制や諸大名の統制など政治の基盤を整え、統治者としてふさわしい能力を持つ子孫を選んで後継を育て、その後200年以上に渡って続く江戸時代の礎を築けた功績は、健康あってのものだった。

成すべきことをあらかた成し終えた家康は、1616年3月初旬から体調を崩し始めて療養生活に入ったが、体調が優れない中でも5月中旬には念願だった太政大臣に任官され、しっかりと遺言を遺してから、6月1日に満73歳4ヶ月でこの世を去ったのである。

その死因は鯛の天ぷらによる食中毒説が一般的であったが、近年では研究が進み、記録に残る病状からして胃がん説が主流となっている。

腎虚を制する者が人生を制する

画像:丹波黒豆 コーヒー&煮豆 wiki c Indiana jo

さすがの大病には家康も打ち勝つことができなかったわけだが、人間として生まれた限り、いつかは年老いて死んでいくものだ。その法則に抗うことはできない。

しかし精力減退や心身の衰弱、つまりは腎虚に適切に対処して健康寿命をできる限り延ばしたことにより、他の武将たちが成しえなかった「泰平の世」の礎を築けたとも言える。

家康は先人たちの病や死にざまを知り、いかに優れた能力や部下に恵まれようとも自分自身が元気に動けなければ、人生をかけた理想を成し遂げることはできないことに気付いていたのだろう。

腎虚の症状は40歳以降に自然に出てくるというが、現代の人々はたとえ若くても体を冷やしがちで、さらには運動不足に睡眠不足、食生活の偏りなどの影響もあり、腎虚に陥りやすいという。

家康のように天下人を目指すわけではなくても、自らの人生をより豊かにしたいと願うなら、まずは腎の養生を心がけることから始めてみると良いかもしれない。

参考文献
石原結實 (著)『筋力をつけると病気は防げる
中島 陽一郎 (著)『病気日本史
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部

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