1974年8月30日、名だたる大企業のビルやオフィスが集まる東京丸の内で、日本社会を震撼させる事件が起きた。
当時の三菱重工業東京本社ビルが何者かに爆破されたのだ。そしてその事件を皮切りに1975年5月までの約9ヵ月間に渡り、次々と大企業のビルや施設を狙った爆破事件が起きた。
死亡者8人、負傷者は重軽症者合わせて400人以上という、前代未聞の連続爆破テロ事件を起こしたのは「東アジア反日武装戦線」を名乗る極左集団だった。
そして2024年1月、東アジア反日武装戦線のメンバーであり、連続爆破事件の容疑者として全国指名手配されていた桐島聡(きりしま さとし)を名乗る男性が、神奈川県内の病院に入院しているという情報提供がなされ、50年前に起きた爆破テロ事件が再び注目を浴びることとなった。
今回は連続企業爆破事件について、詳しく解説しよう。
大手ゼネコンや旧財閥系企業を狙った連続爆破事件
前述のとおり、最初に爆破事件が起きたのは京都千代田区丸の内にあった三菱重工業東京本社ビル(現・丸の内二丁目ビル)だ。
東アジア反日武装戦線の「狼」を名乗る4人が起こしたこの事件は、一連の爆破事件の中でも死亡者8人を含む最も多くの被害者を生んだ大規模なものだった。
三菱重工東京本社ビルの1階出入り口付近に仕掛けられた時限爆弾は、玄関ロビーを大破させ、9階までの窓をすべて破壊し、近隣の車や街路樹、建物の窓ガラスも破壊するほどの威力だった。そしてビル内にいた三菱重工の社員のみならず、多くの無関係の通行人が、爆発や飛来物に巻き込まれて死傷したのだ。
2度目の爆破は同年10月14日に決行された。港区西新橋にあった三井物産の本社屋である物産館が標的となり、東アジア反日武装戦線の「大地の牙」を名乗るメンバーによって物産館3階の電算機室に爆弾が仕掛けられ、16人の重軽傷者を出した。
その約1ヶ月後の11月25日には「狼」によって日野市の帝人中央研究所が爆破され、12月10日には「大地の牙」により中央区の大成建設本社ビルが爆破されて社員9人が負傷した。
大成建設爆破事件から2週間もたたない12月23日には、「さそり」を名乗るグループにより江東区の鹿島建設資材置き場が爆破された。
警察は捜査を続けていたものの、犯行現場を押さえることができず爆破事件は翌年も続いた。2月28日に「狼」「大地の牙」「さそり」の3班合同で当時の大手ゼネコンだった株式会社間組の本社ビルと埼玉の大宮工場が爆破され、5人の負傷者を出した。
その後4月19日、「大地の牙」によってオリエンタルメタル社・韓国産業経済研究所が爆破された。
2月に被害を受けた間組は、同年の4月28日と5月4日にも京成江戸川作業所と京成江戸川橋鉄橋工事現場が爆破され、京成江戸川作業所では1人が重傷となった。
しかしその後の1975年5月19日、東アジア反日武装戦線の主要メンバーが一斉逮捕され、連続企業爆破事件は幕引きとなったのだ。
東アジア反日武装戦線について
東アジア反日武装戦線は、1970年当時法政大学の学生であった大道寺将司(だいどうじ まさし)が結成した「Lクラス闘争委員会」を源流として、1972年12月に結成された極左暴力集団だ。メンバーは普段は政治活動家としての顔を隠し、一般の社会人として生活していた。
「Lクラス闘争委員会」には最盛期では100人以上もの学生が参加していたが、全共闘運動の終息とともに自然消滅した。
法政大学を中退した大道寺は「Lクラス闘争委員会」の主要メンバーとともに1970年8月に「研究会」を立ち上げ、帝国主義時代の日本がアジアで犯した「悪行」について学習し、過激な思想に染まっていったのだ。
自分たちの主義主張を世に示すためゲリラ路線に走り始めた「研究会」は、後に大道寺の妻となる星薬科大学の学生だった駒沢あや子をメンバーに加え、自家製爆弾の実験を行い始めた。
大道寺率いる「研究会」は三菱重工業本社ビルを爆破する前にも、興亜観音・殉国七士之碑爆破事件、総持寺納骨堂爆破事件、風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件という3件の爆破事件を起こしている。
「研究会」はこれらの事件の後に本格的に武装闘争を行う集団となり、1972年12月から反「日帝」主義者を表す名称として「東アジア反日武装戦線」を名乗り、自分たちのグループ個別を呼称する「狼」とした。
1973年から1974年にかけて、彼らは武装闘争を行うだけでなく爆弾開発、活動資金の獲得や、爆弾のレシピやゲリラ戦法などを記した教程本『腹腹時計』の執筆および地下出版を行った。
そして彼らは日本帝国主義を心底憎み、海外に進出する日本企業をアジア侵略に加担する企業として闘争の標的とした。
1974年8月14日、「狼」は「虹作戦」と称した昭和天皇暗殺計画実行のため、鉄橋に爆弾を仕掛けようとしたが人に見られ断念した。この時のために製造された列車や鉄橋爆破用の強力な爆弾が三菱重工爆破事件に転用されたがゆえに、犯人たちの想定をはるかに上回る大きな被害をもたらした。
三菱重工爆破事件の後、想定以上の被害を出してしまった「狼」は、自分たちの犯行の結果を正当化するために声明文を公表した。
その後「狼」の思想に共鳴した「大地の牙」や「さそり」が合流し、三菱重工爆破事件より爆破規模を小さくしたものの、次々と爆破事件を起こしていったのだ。
東アジア反日武装戦線・主要メンバーの一斉逮捕とその後
1975年5月19日、東アジア反日武装戦線「狼」の大道寺将司とその妻あや子、佐々木規夫、片岡利明、「大地の牙」の齋藤和、浴田由紀子、「さそり」の黒川芳正の7名に加え、協力者であった看護学生1人が一斉逮捕される。
齋藤は逮捕直後に服毒自殺し、「さそり」所属の宇賀神寿一と桐島聡は一斉逮捕を免れたが全国指名手配され、宇賀神は1982年に逮捕された。
死亡した齋藤以外の主要メンバーたちは起訴されたものの、クアラルンプール事件で佐々木が釈放され国外に逃げて日本赤軍に合流、ダッカ事件により大道寺あや子と浴田由紀子が釈放され、この2人もまた日本赤軍に合流した。
大道寺将司と片岡利明は死刑、黒川芳正には無期懲役が確定、その他のメンバーにも懲役刑が課された。しかし大道寺将司は2017年に獄中で病死し、益永と名を変えた片岡は2024年現在も収監中で、死刑は執行されていない。
佐々木規夫と大道寺あや子は国際指名手配されており、その行方はわかっていない。そして2024年1月25日、神奈川県鎌倉市の病院に入院した桐島聡を名乗る男が警察に身柄を拘束されたが、4日後の29日に病死した。
50年前に起きたこの事件を忘れていた、もしくはそんな事件があったことすら知らなかったという人もいるだろう。しかし企業連続爆破事件の公判は、大道寺あや子と佐々木が国外逃亡中のため終了しておらず、そのため片岡の死刑も執行されていないのだ。
若者たちの煩悶や怒り、過激な政治思想が生み出した戦後最悪の爆破テロ事件は、本当の意味では今も終わってはいない。
松下竜一『狼煙を見よ:東アジア反日武装戦線“狼”部隊』
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