ミリタリー

大勝利と大敗北・日本海軍と丁字戦法

「丁字戦法」と「併航戦法」

「丁字戦法」と「併航戦法」

※艦隊戦では艦隊側面で迎撃する事で味方の稼動砲門数も増え火力も集中でき有利になる wikiより

丁字戦法」(ていじせんぽう)は海戦における戦術であり、主に火砲を用いた艦隊同士の砲撃戦に用いられた戦法です。

敵の艦隊の進路を遮る「」字状に味方の艦隊を一列に並べて、すべての火砲を敵の先頭の艦に集中させて、敵艦を個別に攻撃していく戦術を指しています。

この戦法が用いられた海戦として特に有名なものが、日露戦争における日本海軍の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊との日本海海戦ですが、実はこれは「丁字戦法」ではないとする説も唱えられています。

綺麗な「丁」字ではなく、「」の字に近かったとするなどの細かい点ではなく、作戦そのものが敵艦隊の頭を抑え込むものではなかったという説です。バルチック艦隊を前にして行われた「東郷ターン」は、敵艦隊と同方向に併航しながら戦闘に及んだとする「併航戦法」だったと言う説です。

日本海海戦の大勝利

※連合艦隊旗艦三笠艦橋で指揮を執る東郷平八郎大将

日本海海戦は、1905年5月27日から28日にかけて対馬沖で行われましたが、ロシア側の損害は計21隻(戦艦6隻含む)の沈没、拿捕された艦が6隻を数えたのに対し、日本側は小型水雷艇3隻の沈没のみ損害であり、日本側の記録的な圧勝に終わった日露戦争の趨勢を決定した海戦でした。

先の説の通り、その時に日本側が採った戦法については諸説あるものの、日本の艦隊が「東郷ターン」の大回頭を開始した直後は、間違いなくバルチック艦隊にとっての攻撃の好機でした。

にもかかわらず、撃沈や大破に繋がる命中弾をロシア艦隊は放てませんでした。引き換え、日本の連合艦隊が砲撃を始めると、凡そ30分間程で勝敗が決したとされています。

この結果に最も影響を与えたものは、乗り組み兵達の熟練度の差と言われています。これが砲撃の命中率に大きな差となって、歴史的な大勝利に繋がった要因とみられてされています。

してみると、太平洋戦争開戦初頭のマレー沖海戦等でも見られた航空機の攻撃精度と同じく、兵の技量が作戦の結果に大きくきく作用し勝利を収めたという点においては共通の傾向が窺えると言えそうです。

レイテ沖海戦の大敗北

※激しく光芒が交錯するスリガオ海峡の交戦写真

レイテ沖海戦は、太平洋戦争の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍・オーストラリア海軍などの連合国軍との一連の海戦です。

この中で、日本海軍の西村艦隊(戦艦・山城・扶桑、重巡洋艦・最上、駆逐艦4隻の計7隻)がスリガオ海峡からレイテ湾に夜間突入をしようとした際に、アメリカ海軍の戦艦部隊(戦艦6隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦26隻、魚雷艇39隻の計79隻)が「丁字戦法」を用いて、魚雷及びレーダー管制射撃による連続攻撃を行ったとされています。

その結果、駆逐艦・時雨を除く日本側の全艦を撃沈し、アメリカ側の損害は小型の魚雷艇隊のみの損害10隻という一方的な勝利を収めることとなりました。

数の上で10倍にも及んだアメリカ側による攻撃を受けた西村艦隊は壊滅、戦艦同士が砲撃戦を行った歴史上最後の海戦ともなりました。

今はなき「丁字戦法」

第二次世界大戦以後、海戦における主力兵器も航空機となった事や、軍艦の兵装の自体もミサイルへと進化したことから、火砲を用いた砲撃戦を艦隊同士が行う時代は終わり「丁字戦法」が用いられる事もなくなりました。

日露戦争時でも、日本の連合艦隊が「丁字戦法」を実戦で用いたのは、日本海海戦に先立った黄海海戦(明治37年8月10日)であり、そのときはロシア太平洋艦隊に対して「丁字戦法」を仕掛けたものの失敗に終わっています。

「丁字戦法」は、敵も砲撃戦に応じるつもりがない限り、攻撃側の意志のみでは成立し得ない戦法でした。この時の経験がその後の日本海海戦に活かされたと考えると、やはり単純に「丁字戦法」で勝利を収めた訳ではなさそうだとに思われます。

因みに日本海海戦を勝利に導いた立役者の一人、参謀の秋山真之は巷説では、戦国時代の水軍・海賊として有名な瀬戸内の村上海賊が用いたとされる戦法も参考にした上で、作戦に取り入れたと伝えられています。

 

swm459

投稿者の記事一覧

学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

    • 匿名
    • 2019年 9月 17日 7:10pm

    どんな戦法を取ろうとも、下瀬火薬と伊集院信管がなければ、ロシア艦隊にはかなわなかったそうです。
    海戦ではT字型だろうが、L字型だろうが、あまり関係ないとの事で、海戦とは双方が艦砲射撃で撃ちあい、
    戦艦に当たった大砲の威力が問題で、弾が炸裂して爆発力がどの程度あるか。それが重要だそうです。

    また、参謀の秋山真之が、日露戦争に勝利した最大の貢献者だと一般にいわれていますが、
    秋山参謀は「バルチック艦隊が陸奥湾からウラジオストックに向かう」と具申していました。
    それに対して上官で参謀長の加藤友三郎が、「バルチック艦隊の随伴の石炭運搬船が、切り離されて、
    上海に入港したからには、主力部隊は航行距離の長くなる太平洋ルートを通らない証しである。
    敵はかならずや、日本海にやって来る」と主張しました。
    司令官の東郷平八郎は、加藤友三郎参謀長の案を採用し、日本海で待ち受けし、下瀬火薬と伊集院信管の砲弾により、
    バルチック艦隊を撃沈したとのことです。

    参謀の秋山真之が、なんとかの上の雲で英雄扱いされているそうですが、実際は違うみたいです。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 第一次世界大戦とは何かについて調べてみた
  2. 実は行われていた日本による アメリカ本土攻撃
  3. 『31歳で急逝』昭和のスター女優・桑野通子の短すぎた生涯
  4. 「伝説の舞姫が迎えた、あまりに悲しい最期」浅草オペラの女王・澤モ…
  5. 伊400 完成までについて調べてみた【世界初の潜水空母】
  6. やなせたかし氏に「ずるくなれ」と説いた母・柳瀬登喜子 〜史実でも…
  7. ノルマンディー上陸作戦 【プライベート・ライアンの描写そのもの】…
  8. 新兵器ではありつつも過大評価された兵器・近接信管

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

なぜ静岡県が「お茶」の名産地になったのか?

お茶と言えば静岡県というイメージがあるほど、静岡はお茶の名産地として有名である。静岡…

古墳文化の最終章「八角墳」とは? 日本に10数例しかない八角形の古墳

「禁断の聖域」日本の天皇は、今上天皇を含めると126代を数える。ただし、初代・神…

『巨人ゴリアテを倒した英雄』 ダビデが犯した唯一の悪事とは ~美女バテシバとの関係

ミケランジェロのダヴィデ像で有名なダビデは、貧しい羊飼いから身を起こしたイスラエルの第二代目…

【母親の愛が幽霊となって残る】夜な夜な飴を買い続けた「子育て幽霊」の伝承

親による子どもへの虐待は、昔から社会に潜む問題のひとつです。しかしその一方で、親の無償の愛を…

川中島の戦いの真実 ① 「信玄と謙信の経済力について迫る 」

川中島の戦いの通説とは「戦国最強」と謳われた甲斐の虎・武田信玄、「戦の天才」と謳われた越…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP