「銀座線」と聞いて何を思い浮かべただろうか?「日本で最初の地下鉄」を連想された人は歴史好きかもしれない。さらにタイトルと合わせて「さてはあのことか」と考えた人はマニアだろう。
しかし、一般的には銀座線と言われても地下鉄の路線としか思わない人のほうがはるかに多いはずである。なにせ、東京の地下には東京メトロと都営地下鉄を合わせて13もの路線が縦横無尽に走っている。そのひとつの路線に特別な興味を引く人も少ないだろう。しかし、だからこそ今もそのトンネルの中にはひっそりと眠る遺構があるのだ。
今回は銀座線の歴史を振り返りつつ、今も残る遺構について調べてみた。
写真 街画ガイド
東京メトロ銀座線
1927年(昭和2年)に開業した日本で最初の地下鉄である。当時のキャッチコピーは「東洋唯一の地下鉄」だったが、事実アジア・オセアニア地域では始めての地下鉄だった。ロンドンの地下鉄を参考に建設され、まずは浅草~上野間で営業を始めた。浅田次郎の小説「地下鉄(メトロ)に乗って」では、開業当時からの銀座線が重要な役割を果たす。そのため戦前・戦中の銀座線の様子も詳しく描写されているが、それほどの歴史があれば遺構のひとつやふたつ、あってもおかしくはない。
当初の計画では浅草~新橋までを全線としており、関東大震災の影響で多少の遅れはあったものの昭和9年までに全通した。
二本の銀座線
ここまで書いて気付いた方もいるだろうが、現在の銀座線が浅草~渋谷間を走っているのに対し、当時は浅草~新橋までで終わっている。実はこれにはある事情があった。
当時、銀座線を運営していたのは「東京地下鉄道」という会社であったのに対し、渋谷~新橋間は「東京高速鉄道」という会社が昭和14年までに地下鉄を開通させていた。両社は昭和14年に直通運転することになっていたが、東京地下鉄道側の準備が遅れたことにより同年9月に相互乗り入れを開始するまでの約8ヶ月間、同じ新橋駅において別々のホームを使用していたのである。
その後、戦時下の交通事業統制によって両社は統合されたのだが、その際に使われなくなったホームが今も新橋の地下に眠っているのだ。
幻の新橋駅
そのホームが通称「幻の新橋駅」と呼ばれる遺構である。今ではメディアでも取り上げられ知る人も多くなったが、20年ほど前までは本当に一部の人間しか知らないホームであった。現在も留置線として使用されているこのホームは渋谷~新橋間を運営していた東京高速鉄道のホームである。
つまり、渋谷方面から新橋駅に進入してきた地下鉄は、現在の新橋駅の手前でその外側に設置された仮ホームに入線していた。位置的に現在のホームの外側に幻のホームがあるため、普通は見ることができないのである。今では整備され、イベントなどで公開されることもあるが駅名表は右から読むように「橋新」となっており、時代を感じさせる。
万世橋駅
もうひとつの遺構が「万世橋駅」である。聞いたことのない人が多いだろうが、それはこの駅そのものがわずか2年足らずで使用されなくなったためだ。
上野~新橋間の全線開通を目指した東京地下鉄道は、神田川の下にトンネルを掘る段階で困難に遭ってしまう。1930年(昭和5年)のことだ。当時の技術では神田川の下を掘り進めるというのは技術的に困難で、少しずつ川の流れを変えながら、水のない場所を地上から掘るという方法を採用するしかなかった。その工事が長期化することが見込まれたため、神田川の手前に仮の駅として作られたのが万世橋駅である。
その後、神田川の工事も終わり、駅はその役目を終えたがホームや地上へ階段のなどは今も残っており、運が良ければ車内から見えるかもしれない。なお、万世橋駅は今の秋葉原電気街付近にある。
歴史をつなぐもうひとつの万世橋駅
こうしてわずか2年で役目を終えた万世橋駅だったが、開業中は利用者に大変好評だったという。
その理由は、近くにある国鉄の万世橋駅への乗り換え客が多かったためだ。
国鉄の万世橋駅は今でもその痕跡は地上に残っている。神田川に掛かる万世橋から神田方面を見たときに右手に見える中央線を支える赤レンガ造りの建物がその名残りなのだ。
そもそも、東京駅が建設される以前の1912年(明治45年)にターミナル駅として開業した国鉄万世橋駅は、現在でいう東京駅のような役目を果たしていた。しかし、東京駅の開業と共に1919年(大正8年)に東京~万世橋間が開業すると徐々に規模は縮小し、1943年(昭和18年)には事実上の廃止となった。
ここにもまた銀座線と関係を持ちながら姿を消した、明治から大正、昭和へと続く遺構が残っていた。なお、この国鉄万世橋駅はほかにも興味を引くエピソードがあるので、いずれ調べてみたいと思っている。
まとめ
今回紹介した遺構は今でも存在しながら、一般人には見る機会のないものばかりである。しかし、最後に今でもわれわれが直接見れる開業当時の名残りを紹介したい。
それが現在のホームのなかにある第三のレールとも言われる存在だ。
ホームから線路を見下ろせばそれは二本の線路の奥に見ることが出来る。銀座線は第三軌条方式と呼ばれる方式で電気の供給を受けているのだが、そのためのレールがこの第三のレールだ。
建設当初、資金面や技術面での問題から十分な大きさのトンネルを掘れなかった銀座線はパンタグラフ方式を採用せず、専用のレールから電気の供給を受けるようにしたのである。その方式が今でも残っていて、狭いトンネルやパンタグラフのない車両としてわれわれの目にも見ることが出来るのだ。もし、機会があればその点を観察し、開業当時の地下鉄に思いをはせてもらいたい。
スポンサーリンク
この記事へのコメントはありません。