「アイルトン・セナ」「中嶋悟」「ミハエル・シューマッハ」
F1に詳しくない人でも一度は聞いたことのある名前だろう。
日本でも1980年代後半から1990年代において数々のF1レースに注目が集まった。ホンダのエンジン、鈴鹿サーキットの熱狂。日本人にもやっとモータースポーツが身近な存在になったかと思えた時代である。
しかし、2011年のフジテレビによる地上波でのテレビ放送が終了すると、話題にもならなくなってしまった。
確かに日本人は流行りモノが好きだが、20年以上も続いたF1人気はなぜ衰退してしまったのだろうか?
モータースポーツの土壌
そもそも、日本には車やバイクのレースを「スポーツ」として楽しむ土壌ができていない。
海外、特に欧米では野球やサッカーと負けないほど人気のスポーツだが、こればかりは国民性なのだろう。
F1のような自動車レースも、MotoGPのようなバイクレースも「エンターテイメント」として楽しむが「スポーツ」として見る日本人は少ない。
ドライバーに対して肉体を使っている実感がわかないのだ。
※moto GP
また、欧米では車の必要性が高く、若いときから車に慣れ親しむ。フォーミュラスポーツのドライバーの多くが、幼い頃よりカートに触れ、切磋琢磨するのが当たり前だ。
日本では軽自動車の普及によりやっと「一人一台」といわれる時代になった。
鉄道など交通機関の発達によって都市部では車を所有しなくても生活はできるし、維持費を考えるとメリットとデメリットを秤にかけてしまう。日本人にとっての車やバイクは生活のために必要なもの、乗って楽しむものであり、見て楽しむものではないという観念がある。
そう考えると日本におけるF1全盛期のほうが異常だったのかも知れない。
F1 地上波放送の終了
1987年から2011年までフジテレビはすべてのグランプリの放映権を国内で独占していた。
10年間の空白期間を経て日本グランプリが復活すること、中嶋悟が日本人初のフルタイムF1ドライバー(ロータス)として参戦することなどで話題になり、ここから日本でのF1ブームが始まる。
しかし、当時から国際自動車連盟 (FIA)は権利や金の動きには厳しく、年間の放送権料は30億円、それも年間のすべての放映権を一括でしか売らないという強気の姿勢だった。
幸いにも当時の日本はバブル期ということもあり、日本人ドライバーの活躍、アイルトン・セナ最盛期などの条件が合わさって放送が続けられることとなる。一方で、フジテレビによる他局への映像の貸し出しはほとんど行われなかった。「行われない」というより、「他局が依頼できない」といったほうがいいだろう。
FIAに支払った金額から逆算して、映像1秒間の貸し出しにより、フジテレビで利益が出る金額は百数十万円ともいわれた。これほど高額では他局も借りることができない。
結局は国内でのF1報道そのものがほとんど行われなくなってしまった。
そして、2011年にはスポンサーの減少などから地上波での放送は終了し、BSやCSのみでの放送となってしまう。
レギュレーションの複雑化
もうひとつ日本人にとってF1離れを加速させたのが、FIAによるレギュレーション(規定)の変更だろう。
もちろん、初開催時からレギュレーションはあったが、自動車に関する技術の進歩とそれに伴って危険性が増したため、時代が進むにつれて頻繁に変更されるようになった。これはモータースポーツ全般におけるジレンマだが、技術の進歩に伴い迅速にレギュレーションは変更せざるを得ない。
特にモータースポーツの最高峰であるF1にはその時代の最新技術が使われているので仕方がないことである。
しかし、マニア以外の一般の観客や視聴者にとっては面倒な話だ。野球もサッカーも基本ルールは変わらないのに、F1は毎年大きく変わってしまう。
ウイングのサイズ、ターボの有無、給油のタイミング、ハイテクノロジーの使用禁止と新たなテクノロジーの導入、タイヤの種類、ガソリンの種類など、挙げたらキリがないほど毎年なにかが変更される。特に近年では電子機器によるシステムや、予選の方式などレースの運営方式まで細かく変更されるために、もはやレギュレーションではなくルールそのものが変更されているといえるのだ。
これにより、見ている側には「ルールが複雑で純粋にレースを楽しめない」環境が出来てしまった。
チームの格差
FIAによるレギュレーションの複雑化と頻繁な変更により、各コンストラクター(チーム)は、毎年の新型マシン開発のために多額の費用が必要になった。
これにより、資金力のあるチームが有利になってしまう。どのチームも経営母体があるので、その会社の資金力=チームの強さになってしまうのだ。
2009年にはブラウンGPという新興チームが、ホンダのF1撤退を引き継ぐような形で参戦。しかも、初戦のオーストラリアGPにおいてワンツーフィニッシュ(1位・2位)を成し遂げた。さらには年間チャンピオンまで獲得してしまう。
これは当時のF1界でも衝撃的で、資金力もない無名のチームが快挙を達成したことにより新時代の到来を思わせたが、チームはわずか1年の参加でメルセデスに買収されてしまった。
※ブラウンGPのマシン
日本勢も元F1ドライバーの鈴木亜久里がチーム代表になり、「スーパーアグリ」として2006年から参戦したが、やはり資金不足に悩まされて2008年の第5戦トルコGPを前に活動を休止(事実上の撤退)してしまった。
現在でもフェラーリやメルセデスといった資金力のあるチームが上位を占めているのはマシンの性能やドライバーの能力だけではないのだ。
フォーミュラEの出現
2014年、電気自動車フォーミュラカーによるFIA フォーミュラEが開催された。都市部における大気汚染対策となる電気自動車の普及促進を狙った、電気自動車によるレースである。
F1マシンのような流線型のボディ、電気自動車のメリットを活かした市街地コースでのレース、どのチームも同じマシンを用いた形式(2016年からはシャシーのみワンメイク)。これにより、チームの資金力による格差がぐっと減少した。さらにレギュレーションも明確で、見る側も理解しやすい。
※フォーミュラEの共通マシン
F1関係者からは電気自動車であるために批判的な意見が多いが、今後の電気自動車の普及、ガソリン車の排ガス規制などによりフォーミュラEの発展はこれからだと言われている。
なにより、F1より速度が遅い分テクニカルなコース(カーブがきついコーナーなど)が多く、マシン性能に左右されないドライバーの能力や、駆け引きが見られるのが面白い点だ。日本ではテレビ朝日が地上波、BS、CSにおいて放送権を取得している。
FIAフォーミュラ E – テレビ朝日 公式サイト → http://www.tv-asahi.co.jp/formulae/
最後に
日本におけるF1人気の衰退は、露骨な資金力の差によるチームの格差、レギュレーションの複雑化により観客がルールを理解しにくいこと、そして、日本人ドライバーが活躍できないこと(これにも資金の問題がある)。
このような原因があった。
やはり日本でモータースポーツが受け入れられるには、まだまだ時間が必要らしい。
人気がないから地上波放送が無くなったのです
因果関係が逆です
無駄に重いバッテリーやモーターを載せたせいでコーナリングの迫力を失い、エンジンを小型化したせいで加速度の迫力と音による迫力も失い、そんな遅くなる要因ばかりを増やしたせいで10数年前よりタイムが遅くなり、それ故にF1の特徴であった速さと迫力という唯一の魅力が無くなった。
だからSUPER GTに人が流れた。
あと、小型・大容量で劣化しにくいバッテリーが開発できない限り電気自動車に未来は無い。
ウィングとか鼻っ面とか変わりすぎてマシンがダサい
そもそも日本のような国土が狭く、車を走らせづらい国でモータースポーツが受け入れられる可能性はないと思う
車を所有するのが当たり前の時代はもう終わったし
全ては教育団体のクレーム。
人気かなかったわけでもなく、最初から不人気だった訳では無い。
このクレーム団体の影響で自主規制が始まり、地上波の放送が自粛された。
現に放送が自粛されたにも関わらずサーキットには数万人の観客が訪れる。
スポーツバラエティ番組ですらモータースポーツ選手の出演は自粛される。特に2輪は酷い!
この腐りきった団体を世間に知らせもう一度この国のモータースポーツ文化を復活させて、頑張ってあいる選手に花を持たせたい。