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エリザベス女王杯の歴史を調べてみた「二度あることは サンドピアリス」

エリザベス女王杯

ラッキーライラック(第44回エリザベス女王杯出走時)

エリザベス女王杯 (3歳以上オープン 牝 国際・指定 定量 2200m芝・右)は、日本中央競馬会(JRA)が京都競馬場で毎年11月に施行する重賞競走(GⅠ)である。

1995年(平成7年)まで牝馬三冠の最終関門だったが古馬(4歳以上)牝馬にも開放され、秋の牝馬の頂上決定戦になった。

このエリザベス女王杯について創設からの歴史をひもといてみる。

なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事ではレース名以外は現在の表記で記す。

エリザベス女王杯前史 ビクトリアカップ

エリザベス女王杯は1970年(昭和45年)に3歳牝馬三冠の最終戦として京都競馬場に創設された「ビクトリアカップ」(芝2400m)を前身とする。

それまで3歳の牝馬のみを対象とするクラシックレースは桜花賞優駿牝馬(オークス)の二冠で終わり、それでは物足りない牝馬は菊花賞に出走していた。

そこでビクトリアカップが創設され、格は桜花賞とオークスに劣るが牝馬三冠の最終戦として位置づけられた。

1970年(昭和45年)第1回ビクトリアカップの優勝馬はクニノハナである。

ビクトリアカップは6回しか開催されていないが、そのうち桜花賞の勝ち馬かオークスの勝ち馬が優勝したのは3回もある。

1970年(昭和45年)から1975年(昭和50年)の間に桜花賞とオークスの両方で優勝した馬はテスコガビーだけだが、オークス後に休養に入ったため第6回ビクトリアカップに出走していない。

エリザベス女王杯 牝馬三冠の最終関門

1975年(昭和50年)にイギリスのエリザベス女王が来日したことを記念して、翌1976年(昭和51年)にエリザベス女王杯を新設、ビクトリアカップを廃止した。

エリザベス女王杯はビクトリアカップをそのまま踏襲し、京都競馬場芝2400m、3歳牝馬限定、混合競走の重賞レースとして創設された。

1976年(昭和51年)第1回エリザベス女王杯の優勝馬はディアマンテである。

この年の桜花賞とオークスの二冠馬のテイタニヤと同じ稲葉幸夫厩舎に所属していた。
当然、1番人気はテイタニヤだったが重馬場を得意とする4番人気のディアマンテが優勝し、稲葉調教師は「2頭で三冠」を達成した。

1984年(昭和59年)(第9回)グレード制が導入されGⅠに格付けされた。

1995年(平成7年)(第20回)地方競馬所属馬の出走が可能になった。

《初の牝馬三冠 メジロラモーヌ》

1986年(昭和61年)(第11回)メジロラモーヌが優勝し、牝馬三冠路線の整備のために設置されたエリザベス女王杯において史上初、且つ唯一の三冠牝馬に輝いた。

引退レースであるその年の有馬記念(GⅠ)で9着に惨敗したが、レース中の不利がなければ優勝してもおかしくなかったといわれる。

《2度あることは サンドピアリス》

牝馬三冠レースだった頃のエリザベス女王杯は荒れることも多かった。

出走20頭中20番人気だったサンドピアリスが優勝した1989年(平成元年)第14回の単勝払戻金は、43,060円だった。2020年現在、JRAの払戻金ランキング単勝部門で10位にランクインしている。

以来、彼女が出走するレースではファンが「二度あることは サンドピアリス」と書かれた横断幕をパドックに掲げるようになった。

エリザベス女王杯 牝馬の秋の頂上決定戦

1996年(平成8年)(第21回)出走資格を「3歳牝馬」から「3歳以上牝馬」に変更、施行距離を芝2200mに変更された。
4歳を超えても活躍する牝馬が増え、目標とすることのできる重賞競走が必要とされたからだ。

古馬牝馬に開放後初の優勝馬は4歳のダンスパートナーだった。3歳時には第56回オークス優勝馬なのにエリザベス女王杯ではなく第56回菊花賞に出走していた。

1994年(平成6年)第19回の優勝馬ヒシアマゾン(5歳)が2位入線したが、斜行したため7着に降着された。

1999年(平成11年)(第24回)国際競走に指定され、外国調教馬も出走可能になった。

2008年(平成20年)(第33回)JRAが実施する秋季国際GⅠ競走シリーズの「ジャパン・オータムインターナショナルシリーズ」に指定された。外国調教馬が3着以内に入った場合、賞金に加えて褒賞金が授与される。

早速この恩恵に浴したのは、イギリスから遠征してきたスノーフェアリーだ。しかも2010年(平成22年)第35回と2011年(平成23年)第36回の2連覇を果たした。

2013年(平成25年)(第38回)英国王室から許可を得て、競走名の欧文表記が「Queen Elizabeth II Cup」に変更された。

二冠牝馬のまとめ

桜花賞・オークス・牝馬三冠最終戦当時(1976年~1995年)のエリザベス女王杯のうち、2つのレースに優勝した二冠牝馬をまとめる。

《桜花賞とオークスに勝った二冠牝馬》

()内はエリザベス女王杯優勝馬

1976年(昭和51年)テイタニヤ (ディアマンテ)
1987年(昭和62年)マックスビューティ (タレンティドガール)

《桜花賞とエリザベス女王杯に勝った二冠牝馬》

()内はオークス優勝馬

1977年(昭和52年)インターグロリア (リニアクイン)
1980年(昭和55年)ハギノトップレディ (ケイキロク)

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