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桜花賞の歴史を調べてみた

桜花賞の歴史を調べてみた

※2015-04-12 桜花賞 レッツゴードンキ wiki(c)Nadaraikon 

桜花賞(3歳オープン 牝馬限定 国際・指定 定量 1600m芝・右)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で毎年4月上旬に施行する重賞競走(GⅠ)である。第5着までに入着すると優駿牝馬(オークス)への優先出走権が得られる。

「桜花賞」の名に合わせるように、毎年桜花賞の時期の阪神競馬場は桜の花に包まれる。牝馬三冠(桜花賞・オークス・秋華賞)の第1冠めのレースで、ここでのライバル関係が古馬(4歳以上)になっても続くことが多い。

この桜花賞について創設からの歴史をひもといてみる。

なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事ではレース名以外は現在の表記で記す。

桜花賞の歴史

桜花賞は1939年(昭和14年)にイギリスの「1000ギニー」(3歳牝馬 芝の直線コース 距離1マイル(約1609m))に範をとり、「馬事國防献金競走 中山4歳牝馬特別競走」として創設、中山競馬場で施行された。

第1回の優勝馬ソールレデイはデビュー2戦目にして初勝利がこのレースだった。

以降1943年(昭和18年)(第5回)まで中山競馬場1800mで行なわれた。
1944年(昭和19年)(第6回)は「能力検定競走」として、勝ち馬投票券は販売せずに東京競馬場1800mで行なわれた。

1945年(昭和20年)から太平洋戦争のため中断。

名称を「櫻花賞」と変えて1947年(昭和22年)(第7回)から京都競馬場1600mで再開した。
1950年(昭和25年)(第10回)のとき阪神競馬場に変更され、1957年(昭和32年)(第17回)に名称を「桜花賞」に再変更して現在に至る。

1984年(昭和59年)(第44回)グレード制導入、GⅠに格付けされた。
1995年(平成7年)(第55回)地方競馬所属馬の出走が可能になった。

2004年(平成16年)(第64回)外国産馬も出走可能になる。

2007年(平成19年)(第67回)日本はパートⅠ国に昇格したが、桜花賞は外国調教馬の出走を認めていなかったため、格付表記がJpnⅠに変更された。

2010年(平成22年)(第70回)国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となった。また格付表記がGⅠ(国際格付)に変更された。

桜花賞の回顧

競馬には血統のロマンがある。特に古い歴史を持つレースには数多くのドラマがある。
ここでは4頭のストーリーをご紹介する。

《初の二冠馬 スウヰイスー》

1952年(昭和27年)(第12回)の優勝馬。当時は秋に施行されていた第13回オークスでも優勝し、中央競馬初めての二冠牝馬となった(当時は牝馬クラシックは2戦だけ)。

繁殖に上がってからは活躍馬を輩出することはできなかったが、ばんえい競馬という意外な舞台で子孫が活躍している。スウヰイスーの3代孫のハクヨウチカラ(父・シンザン)にペルシュロン種(重種馬・ばんえい種)が種付けされ、8代孫に2015年(平成27年)第40回ばんえいオークス優勝馬のホクショウモモがいる。

《「幽霊の子」 ワカクモ》

1966年(昭和41年)(第26回)の優勝馬。ワカクモの母は、1952年の桜花賞でスウヰイスーの2着に敗れたクモワカである。

クモワカは桜花賞後に「馬伝染性貧血(伝貧)」と診断された。伝貧は現在でも治療法もワクチンも確立しておらず、感染すると殺処分しかない。しかし誤診と確信していた馬主や厩舎関係者たちはクモワカを殺処分したことにして隠し、「丘高」の名で繁殖牝馬登録する。

登録を巡る訴訟が終結した1963年(昭和38年)に産まれたワカクモは桜花賞馬になり、寺山修司は「幽霊の子」と評した。

ワカクモの産駒に1977年(昭和52年)第22回有馬記念を制した「流星の貴公子」テンポイント(牡)、3代孫に1995年(平成7年)に地方競馬在籍馬(笠松競馬)で初めて第55回桜花賞に出走したライデンリーダーがいる。

《芦毛の怪物の妹 オグリローマン》

1994年(平成6年)(第54回)の優勝馬オグリローマンの半兄は、空前の競馬ブームを巻き起こした「芦毛の怪物」オグリキャップである。笠松競馬から中央に移籍したオグリキャップはクラシック登録をしていなかったため、クラシックレースに出走することができなかった。オグリローマンは見事、兄の無念を晴らした。

1997年(平成9年)(第57回)の優勝馬キョウエイマーチとオグリローマン兄妹は、同じ5代母に1953年(昭和28年)第28回天皇賞秋の優勝馬クインナルビーを持つ。

《祖母の忘れ形見 ハープスター》

桜花賞の歴史を調べてみた

※2013/8/25 新潟2歳S wiki(c)RandnetDD

ベガは1993年(平成5年)(第53回)の優勝馬。左前脚が内側に曲がっていたが克服して桜花賞とオークスを二冠。しかし4歳の夏に骨折により引退する。

産駒は1999年(平成11年)第66回日本ダービー優勝馬アドマイヤベガなど大活躍した馬ばかりだが、いずれも牡だった。やっと牝系を繋ぐヒストリックスターが産まれた。ベガはその翌年急死、ヒストリックスターも幼い頃の脚の怪我の影響でデビューできなかった。

ハープスターはヒストリックスターの3番目の仔である。ディープインパクト産駒らしい末脚の切れ味を炸裂させ、2014年(平成26年)(第74回)に「祖母の忘れ形見」が桜の女王に輝いた。

ちなみにベガの孫はもう1頭、アドマイヤベガの娘のキストゥヘヴンも2006年(平成18年)(第66回)に優勝している。彼女の名の由来は「天国にいる父アドマイヤベガと、母の父ノーザンテーストへキスが届くように」だが、奇しくもこの数ヶ月後に父の母も天国に旅立ってしまった。

 

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