※万世橋駅の彩色写真
秋葉原周辺には、旧国鉄時代に賑わいながらも、歴史のなかに消え去った鉄道施設がいくつかある。
「東京メトロ銀座線に今も残る遺構」では、地下鉄銀座線の万世橋駅について述べたが、今回は地上に残る遺構と消え去ったホームについて調べてみた。
秋葉原周辺の発展
万世橋は、秋葉原の中央通りの南に位置する橋である。最近では羽田~都心への新交通手段として、水上タクシーの着船場の候補にもなっている。
神田川に面する万世橋界隈は江戸時代から繁盛していた。万世橋のさらに南(神田方面)には青果商が集まり、後の神田市場の母体となる。明治以降は主に洋服生地を扱う問屋街として賑わった。そのころはまだ東京駅は建設されておらず、丸の内周辺は野原であった。
私鉄の甲武鉄道は、1889年(明治22年)4月11日、立川 – 新宿間を開通させ、都心への延伸を進めていた。繁栄する万世橋地区へのアクセスを目指していたのである。甲武鉄道そのものは1906年(明治39年)3月31日に国有化されたが、その後、1912年(明治45年)4月1日に万世橋駅が誕生する。
現在の中央本線、神田~御茶ノ水の中間地点である。
※万世橋
秋葉原も二代将軍・徳川秀忠の時代には、神田川沿いに木材商が集まり、その後は町人の町として栄える。中央通りのような大通りはなく、長らく入り組んだ街並みが広がっていたようだ。それというのも、万世橋が完成したのは1872年(明治5年)になってからのことだった。
秋葉原が鉄道駅として発展したのは、上野駅との関係がある。東京の東の玄関口の上野は、旅客・貨物をともに取り扱っていたが、取り扱う量の増加により対応しきれなくなっていた。現在の秋葉原駅周辺が空き地だったため、そこに貨物駅を設置し、1890年(明治23年)に開設されることになった。
当時は、貨物輸送だけを扱う路線で「秋葉原線」と呼び、秋葉原駅は、秋葉原貨物取扱所と呼ばれていた。
万世橋駅
※現在の万世橋跡
万世橋駅跡は現在では「mAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋」として整備され、一部では万世橋駅の名残りを見ることができる。
完成当時はターミナル駅として相応しい豪華な駅舎だった。東京駅と同様に辰野金吾の設計による赤煉瓦造りで、一等・二等待合室、食堂、バー、会議室等を備えていた。2階にはゆったりとした「みかど」という食堂まであった。
待合室も等級ごとのほか、少々小ぶりの婦人用待合室まであったというから、当時でも高級な空間が広がっていたに違いない。
駅前には広場が設けられ、日露戦争の英雄である廣瀬武夫と杉野孫七の銅像が建っていた。
※万世橋中央階段
貨物用のエレベーターもあり、地下鉄銀座線や東京市電の乗換駅として大いに賑わう。
しかし、万世橋駅の開業から7年後の1919年(大正8年)3月1日、東京駅が開業。中央本線も万世橋 – 東京が開通することとなる。
秋葉原貨物駅
長らく貨物駅として使われ、旅客駅ではなかったが、東京駅の完成により秋葉原を通過する上野 – 東京間の連絡線が、1925年(大正14年)11月1日に開通する。この路線は2線は旅客線、1線が貨物線となっていた。
1932年(昭和7年)7月1日には総武本線御茶ノ水 – 両国間が開通し、三層立体構造の高架駅となった。これにより、今日の秋葉原の原型が見えてくる。上野より東から輸送されてきた荷物がここで仕分けされ、都心部に運ばれるようになったのだ。
この時点で駅の西半分は旅客駅として使い、東半分を貨物駅としていた。
現在の山手線、京浜東北線と同じ2階部分に位置した貨物ホームは2面存在し、全長180メートル、幅9 – 12メートルと当時としては大型のものである。さらに、エレベーター24台、シューター、滑走機などを設置して、高架下との間での荷役を行っていた。
※1960年頃の秋葉原貨物駅
万世橋駅の衰退
大正時代に最盛期を迎えた万世橋駅だったが、1923年(大正12年)の関東大震災により、駅舎が消失してしまう。ターミナル駅の機能は東京駅に譲っていたため、後に再建された駅舎は簡素なものになった。
また、徒歩圏内に神田駅・秋葉原駅が完成したことなどにより乗客数は急減してしまう。
※震災後の万世橋駅の彩色写真
1936年(昭和11年)4月25日には東京駅から鉄道博物館が移転。1943年(昭和18年)11月1日、駅は休止(実質上廃止)となり、駅舎は交通博物館部分を除いて取り壊された。
駅前の銅像は太平洋戦争後に撤去され、当時の面影を残すのは高架下の赤レンガと、中央線から見えるプラットホームの名残りだけとなる。
交通博物館が閉鎖してからはしばらく放置されていたが、2012年(平成24年)7月 から旧万世橋駅の遺構整備を開始されることになった。
秋葉原貨物駅の衰退
戦後は貨物輸送のコンテナ化が進行したが、狭小な立地に高架で貨物取り扱い設備を設けた当駅ではこれに対応することができなかった。
それでも1970代までは利用され続けたが、1975年2月1日に当駅での貨物営業が廃止されることになる。
廃止後は、1982年の東北新幹線工事が着工するまでそのまま放置されていたが、1991年の東北新幹線東京駅~上野駅間の開通とともに解体されて姿を消してしまった。
私事だが小さい頃に放置された貨物ホームを見上げては「この薄暗くて気味の悪い建物はなんだろう?」と思った記憶がある。
※1960年頃の秋葉原の航空写真 出典:国土地理院
上の写真から秋葉原駅の右側(東側)がふくらみ、貨物駅ホームがあったことが見て取れる。
現在では、貨物駅跡もつくばエクスプレス開業に合わせて中央改札口、駅前広場として整備されている。
最後に
地下鉄「万世橋駅」、国鉄「万世橋駅」、秋葉原「貨物ホーム」、どれも一時の隆盛を誇ったが、時代の流れと共に消え去ってしまった。
他にも汐留など、都内にはそうした施設は多い。
輸送手段もトラックや飛行機による輸送が増えたことにより、鉄道輸送そのものが減少してしまったのだ。
今後も都内の鉄道事情は変化を続けてゆく。
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