
画像:1944年、アウシュビッツ近郊のSS保養施設で撮影されたヨーゼフ・メンゲレ。収容所で囚人に非人道的な実験を繰り返す傍ら、こうした場で余暇を過ごしていた。public domain
ヨーゼフ・メンゲレは、ナチス・ドイツの医師として悪名高い人物である。
第二次世界大戦中、アウシュビッツ強制収容所で「死の天使」と呼ばれ、数多くの囚人を対象に非人道的な人体実験を行った。
戦後は南米へ逃亡し、国際指名手配を逃れながら長く潜伏生活を送った。
近年、ブラジルのある小さな村でメンゲレの影響が再び語られるようになった。
そこは「双子の村」と呼ばれるカンディド・ゴドイである。
この村は双子の出生率が異常に高く「メンゲレが戦後も実験を続け、双子を増やしたのではないか」というセンセーショナルな都市伝説も広まった。
今回はメンゲレの生涯を概観しつつ、カンディド・ゴドイの謎に焦点を当てていきたい。
メンゲレという人物

※画像 : 南米潜伏中のメンゲレ(1956年撮影)public domain
ヨーゼフ・メンゲレは1911年、ドイツのバイエルン州ギュンツブルクで裕福な農機具製造業者の家庭に生まれた。
ミュンヘン大学やボン大学などで医学と人類学を学び、ミュンヘン大学で人類学の博士号、フランクフルト大学で医学博士号を取得している。
フランクフルトの遺伝生物学・人種衛生学研究所では、双子研究の権威であったオトマール・フォン・フェアシュアーの助手を務めた。
人種衛生学と遺伝学に強い関心を持ち、1937年にナチス党に入党、翌年に親衛隊(SS)に入隊した。
1943年5月、メンゲレはアウシュビッツ強制収容所に着任する。
到着した囚人を「労働可能」と「即時処分」に振り分ける「ランプの選別」に加わり、その冷徹な振る舞いから囚人たちに「死の天使」と呼ばれるようになった。
とくに彼が執着したのは双子だった。
遺伝学研究を名目に双子の一方を対照群、もう一方を実験対象として、薬剤投与や感染症の接種、臓器の比較解剖などを行った。
虹彩異色症の研究として子供の目に化学物質を投与する実験も、生存者の証言から伝えられている。
これらの処置は囚人に耐え難い苦痛を与え、多くの命を奪った。
実験後に不要となった被験者がガス室へ送られることもあったという。
ナチスはこうした行為を「科学の進歩」と位置づけたが、実際には科学的価値がほとんどなく、拷問そのものだった。
戦後、ニュルンベルク医師裁判などでナチスの人体実験全般が厳しく糾弾されたが、メンゲレ自身はすでに逃亡しており、裁きの場に立つことはなかった。
南米に逃亡

画像 : メンゲレのパスポート public domain
1945年1月、ソ連軍の接近に伴いメンゲレはアウシュビッツを離れた。
終戦後、偽名でドイツ国内に数年間潜伏したのち、1949年7月にイタリア経由でアルゼンチンへ逃亡する。
偽名で取得した国際赤十字委員会の渡航文書を利用し、以後はパラグアイ、ブラジルと転々とした。
イスラエルの情報機関モサドや、ナチ戦犯の追跡で知られるサイモン・ヴィーゼンタール、西ドイツ当局はメンゲレを追い続けたが、ついに彼を捕らえることはできなかった。
そして1979年2月、メンゲレはブラジルのベルチオガ近くの海岸で泳いでいる最中に脳卒中を起こし、67歳で溺死した。
遺体は偽名で埋葬されたため、その死はしばらく公にならなかったが、1985年に墓が掘り起こされ、法医学鑑定によってメンゲレ本人である可能性が極めて高いと判断された。
さらに1992年にはDNA鑑定によって、遺骨が本人のものであることが最終確認された。
「双子の村」カンディド・ゴドイ

画像:ブラジル南部リオグランデ・ド・スル州カンディド・ゴドイの入口ゲート。人口約6000人の村は、双子の出生率の高さから『双子の村』として知られる。public domain
ブラジル南部リオグランデ・ド・スル州に、カンディド・ゴドイという人口約6000人の小さな村がある。
20世紀初頭、少数のドイツ系家族がこの地を開拓して共同体を築いた。住民の大半はドイツ系で今もドイツ語系の方言を話す住民がいる。
この村が国際的に知られるようになったのは、先述したように「双子の多さ」ゆえである。
とくにリーニャ・サン・ペドロという小地区は突出しており、2011年の研究では、1959〜2008年の洗礼記録に基づく双子率が自治体全体で1.5%だったのに対し、同地区では7.0%に達していた。
ブラジル全体の平均が約1%、双子率が高いとされる西アフリカでもおおむね2〜3%台とされることを考えれば、桁外れの数字である。
しかも双子の多くが金髪・青い目といったドイツ系の外見的特徴を共有しており、住民の間では古くから不思議がられていた。
2008年、アルゼンチン人ジャーナリストのホルヘ・カマラサが一冊の本を出版する。
この本を通じてカマラサは「1960年代にメンゲレがカンディド・ゴドイを訪れ、医師や獣医を装って妊婦に謎の薬や注射を施した」という住民の証言を紹介した。
アウシュビッツで双子に執着した男が、逃亡先でアーリア人双子を人工的に増やす実験を続けていたのではないか?カマラサはそう推測した。
さらに住民の中には、1960年代に村を訪れた見知らぬ医師の記憶を語る人もおり、カマラサはそれをメンゲレと結びつけて紹介した。
こうして「双子の村」をめぐる話は国際的な話題となっていったのである。
だが、カマラサの説を裏づける実証的な記録は確認されていない。
科学が示した答え

画像:「双子の村」カンディド・ゴドイでは、その異常な出生率をめぐり、ナチスの亡霊が語られてきた(イメージ画像)
2011年、ブラジルの遺伝学者チーム(Tagliani-Ribeiroら)が、PLOS ONE誌に論文を発表した。
彼らはカンディド・ゴドイのカトリック教会に残る洗礼記録6262件(1959〜2008年)を詳しく調べ、「メンゲレ実験説」と、少数の開拓家族の遺伝的特徴が集団内に残ったとみる「創始者効果」説を統計的に検証した。
結果は明らかだった。
メンゲレが村を訪れたとされる1964〜1968年に、双子出生が急増した事実は確認されなかったのだ。
むしろ双子の高率は1927年まで遡る記録にも連続性が見られ、1990年代以降も続いていた。
つまり、メンゲレが滞在した数年間だけで説明できる現象ではなかったのである。
その代わりに強く支持されたのが「創始者効果」と近親交配の仮説だった。
カンディド・ゴドイは少数のドイツ系家族によって開拓された小さな共同体である。遺伝的に閉じた集団の中で世代を重ねるうちに、双子を生みやすい素因を持つ人々の血縁が濃くなったと考えられた。
実際、双子を産んだ母親の近親交配係数は、双子を産まなかった母親と比べて統計的に有意に高かった。
こうして、メンゲレの実験が双子を生んだという説は広く流布したものの、調査が示したのは都市伝説的な物語とは程遠い結論だったのである。
参考
Marwell, David G. (2020). Mengele: Unmasking the “Angel of Death.” New York: W. W. Norton & Company.他
文 / 村上俊樹 校正 / 草の実堂編集部

























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