
画像 : 砂漠は旱魃の象徴である pixabay cc0
「砂」とは、岩石が風化や摩耗によって細かく砕け、粒子となったものであり、我々の身近に普遍的に存在する自然物である。
古代から人間は砂を巧みに利用し、コンクリートを生成して建築に役立ててきた。
ローマのパンテオン神殿は、その代表的なコンクリート建造物のひとつである。
しかし砂は、時に人間に牙を剥く。豪雨で水を含んだ砂は大地を呑み込み、砂嵐は熱波と病を運んで命を奪った。
神話や幻想の世界に目を向けても、砂を凶器として操り、人を惑わし、時に命を奪う怪異の伝承は少なくない。
ここでは、そんな人知を超えた「砂にまつわる怪物たち」の物語をひも解いていく。
ヨーロッパにおける伝承

画像 : ザントマン public domain
ドイツには「砂男」と呼ばれる妖精、ザントマン(Sandmann)の伝承が残っている。
一般的にザントマンは、大きな袋を背負った老人の姿で描かれることが多く、その袋には大量の砂が詰め込まれている。
この砂を、ザントマンは人間の眼球めがけて叩き込むとされる。
普通に考えれば失明待ったなしの危険行為に思えるが、摩訶不思議な魔法の砂であるため、目は無傷で済む。
その代わり砂が目に入った者は、堪え難い睡魔に襲われ、そのままグッスリと眠ってしまうのだそうだ。
本来は眠りをもたらす無害な存在だが、作家E.T.A.ホフマン(1776〜1822年)が1817年に発表した短編小説『砂男(Der Sandmann)』では、その像は一変する。
ここで描かれるザントマンは、夜更かしする子供の目玉をえぐり取り、袋に入れて持ち去るという、恐ろしく不気味な存在として語られている。

画像 : ディーナ・シー public domain
アイルランドには、ディーナ・シー(Daoine Shee)と呼ばれる妖精たちの伝承が残っている。
これは特定の個体を指す名ではなく、妖精の一族をまとめて呼ぶ総称である。
一説によれば、かつてケルト神話で語られた神々「トゥアハ・デ・ダナーン(Tuatha Dé Danann)」が没落し、その後ディーナ・シーへと姿を変えたとされる。
ディーナ・シーは非常に陽気且つ好戦的な種族であり、砂嵐を巻き起こして植物を枯らしたり、人間の花嫁や赤ん坊を誘拐することが度々あったという。
アジアにおける伝承

画像 : 砂かけ婆 草の実堂作成(AI)
漫画家・水木しげる(1922〜2015年)の代表作といえば、言わずと知れた『ゲゲゲの鬼太郎』である。
その有名なキャラの一人に、砂を自在に操る妖怪・砂かけ婆(すなかけばばあ)がいる。
日本における「砂の妖怪」と聞けば、多くの人がまずこの存在を思い浮かべるだろう。
今でこそ広く知られている砂かけ婆も、もともとは一部の地域でのみ語られた、きわめて局地的な妖怪であった。
これは子泣き爺・一反木綿・ぬりかべなど、鬼太郎をきっかけに全国区となった他の妖怪たちと同様である。
民俗学者・澤田四郎作(1899〜1971年)の著書『大和昔譚』や、柳田國男(1875〜1962年)の『妖怪談義』にも砂かけ婆の存在が記されている。
奈良県の森や神社など、人里離れた淋しい場所に現れ、通りかかる人間に砂をふりかけて驚かすと伝えられている。
しかし辺りを見回しても姿は見えず、その姿を実際に見た者は一人もいないという。
そのため、果たして本当に老婆の姿をしているのかすら定かではない、謎めいた妖怪なのである。

画像 : 清代の百科事典『古今図書集成』より「蜮圖」 public domain
中国には古来より、蜮(よく/わく)と呼ばれる不思議な生物にまつわる伝承が残されている。
地理書『山海経』によれば、その姿はスッポンに似ており、水中に潜んで口に含んだ砂を人に吹きかけるとされる。
この砂を浴びた人間は病を得て、やがて命を落とすと恐れられていた。
一方で、『山海経』には「蜮民国(よくみんこく)」という国の記述もあり、そこに住む人々は蜮を狩って食用としていたという。
さらに、作家・魯迅(1881〜1936年)が編纂した『古小説鉤沈』では、ヒキガエルやオシドリといった生物が、蜮を捕食するという逸話も紹介されている。
また、東晋の文人・干宝(?〜336年)が著した『捜神記』によると、男女が同じ川で水浴びをするとき、男の裸に欲情した女の「気」から蜮が生まれるという説もある。
蜮は古代中国において、病と災厄をもたらす不吉な存在として恐れられてきたのである。
エジプトの伝説

画像 : セト wiki c Jeff Dahl
エジプトといえば、砂漠の国である。
古代エジプトでは、砂漠の暴風や混沌を司る神セト(Set)が広く信仰されていた。
セトは戦争の神としても知られ、王権と国土を守る存在として畏敬を集めていた。
一般的にその姿は、人間の体に、正体不明の動物の顔がくっついた様相で表される。
この動物の正体はジャッカル、フェネック、ツチブタなど、さまざまな説があり、近年では「架空の神聖動物」とする説が有力である。
セトは恐ろしい神とされる一方で、本来は邪悪な存在ではなかった。
むしろ、悪しき怪物や外敵から人々を守る守護神としての役割を担っていたと考えられている。
しかし、王朝が移り変わるにつれ、オシリス神話の影響で次第に悪神扱いされるようになっていった。
また、セトには奇妙な伝承があり、レタスを常食していたとされる。
古代エジプトでは、レタスの白濁した汁が精力増強の効能があると信じられていた。
神話では、セトは甥であるホルスとの争いの中で睾丸を損傷したという逸話があり、セトは自身の性機能を回復させるため、一心不乱にレタスを食べまくっていたという。
ただし、『パピルス』には去勢前からレタスを好んで食べていたとも記されていることから、単に好物だった可能性も否定できない。
このように、砂は人の営みに恵みをもたらす一方で、神話や伝承の中ではしばしば恐怖と混沌の象徴として描かれてきた。
砂を操る怪異伝承は、時代も地域も越えて語り継がれ、人々の想像力を今もなお刺激し続けている。
参考 :『砂男』『妖怪談義』『ベッティ・パピルス』他
文 / 草の実堂編集部
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