カニは、高級食材である。
美味なカニを心ゆくまで味わうことは、庶民にとっても夢の一つである。
しかし、神話や伝承には、逆に人間を餌食とするような恐ろしいカニの怪物たちが登場する。
今回は、そのような恐ろしいカニや、ヤドカリやサソリにまつわる怪物たちについて解説する。
1. サラタン
サラタン(Saratan)は、アラビアの伝承に登場する巨大なカニ、あるいは亀である。(今回はカニ特集なので、カニという前提で解説を行っていく)
この名はアラビア語でカニ・かに座・癌などを意味する。
サラタンは非常に巨大で、甲羅には木々が生い茂り、海に浮かぶその姿は一見して小さな島と見間違えるほどである。
普段は海上を漂い、休眠状態にあるが、船乗りたちが誤って甲羅に上陸して火を焚いた場合、その刺激でサラタンが目を覚まし、海中へと潜り始めるという。その際、逃げ遅れた船乗りたちは海に引きずり込まれ、命を落とすことになる。
サラタンに関する最古の文献は、9世紀のイラクの文学者アル・ジャーヒズによる『動物の書』である。
しかし、ジャーヒズはサラタンの伝承を「信憑性に乏しい作り話」と、同書内で述べている。
現在、サラタンは「ザラタン」と呼ばれることが多くなっており、これは作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが1960年代に出版した『※幻獣辞典』の影響であると考えられる。(※幻獣辞典とは、世界中のあらゆる伝説上の怪物について解説した、いわば百科事典のような書物)
ボルヘスは同書において、サラタンをカニとは説明せず、「ザラタン」として紹介している。
ボルヘスが意図的にそうしたのか、ただの誤りなのかは不明であるが、アラビア圏において「サラタン」は単にカニを意味する一般名詞に過ぎず、読者が混同しないよう配慮したものと考えられる。
2. 蟹坊主
蟹坊主(かにぼうず)は、日本各地に伝わる寺に現れるカニの妖怪である。
山梨県にある長源寺という寺の山号(寺院の称号)は「蟹沢山」というが、これは以下の伝承が由来だとされる。
かつてこの寺では、住職が次々と変死(または失踪)するという事件が起きていた。
とうとう代わりの住職がいなくなり寺は無人となっていたが、とある高僧が噂を聞きつけ、真相を確かめるべく寺に一晩滞在することにした。
そして夜になると、闇の中から何者かが謎かけをしてきたという。
「両足八足。横行自在。眼、天を差す。これ如何に?」
しかし高僧は慌てず騒がず、淡々とこう答えた。
「汝、カニ也」
高僧が、すかさず手にした独鈷杵(仏教の飛び道具)を投げつけると、悲鳴と共に闇の中から巨大なカニが出現した。
この巨大カニこそ、住職を次々と血祭りにあげていた犯人であった。
カニは甲羅から血を流し逃げ去ったが、翌日には死体となって見つかったという。
その後、怪異が起こることはなくなり、高僧はこの寺の住職になったとも伝えられている。
3. カボ・マンダラット
カボ・マンダラット(Kabo-Mandalat)は、ニューカレドニアに伝わる「疫病の女神」である。
見た目は、巨大なヤドカリそのものであり、ヤシの木のように太い脚と強靭なハサミを持つとされる。
カボ・マンダラットは「象皮病」を司る神だという。
象皮病とは、フィラリアという寄生虫が人間に感染することで引き起こされる疾患であり、まるで象のごとく皮膚が肥大化することからこの名が付けられた。
カボ・マンダラットの意に背くものはたちまち感染させられ、見るも無残な姿になるという。
逆に熱心な信者には、象皮病にかからないよう加護を与えるとされている。
4. ギルタブルル
ギルタブルル(Girtablulu)は、メソポタミアの神話に伝わる、サソリの怪人である。
その名は現地の言葉で「サソリ人間」を意味するという。
上半身は人間のような姿をしているが、サソリの下半身を持つとも、鳥のような脚とサソリの尾を持つともいわれる。
古代の粘土板に刻まれた伝説「エヌマ・エリシュ」によれば、ギルタブルルは海の女神ティアマトが生み出した、11種類の怪物の1柱であるとされる。
人類史最古の文学作品といわれる「ギルガメシュ叙事詩」においては、男女のギルタブルルが登場する。
彼らは「マーシュ」という天界と冥界に繋がる山の門番をしており、その姿は「死」そのものと形容され、見た者は恐ろしさのあまり死んでしまうという。
しかし、彼らは理知的な存在であり、交渉さえすれ道を譲ることも厭わないようだ。
参考 :
『幻獣辞典』『日本伝承大鑑』
『Encyclopedia of Demons in World Religions and Cultures』
文 / 草の実堂編集部
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