『中国史上最悪の女たらし』182人の女性を誘惑した男の“禁断の術”とは

明代の貞節文化

画像 : 明代中期の女性像 public domain

中国の明王朝の時代。

女性の「貞節」は、最も重要な徳とされていた。

少女の頃から母親や家庭教師により「女は慎みをもって家を守るもの」と教えられ、婚姻後は夫に従い、夫が亡くなれば再婚しないことが理想とされた。

貞節を守り通した未亡人は「烈女」として称えられ、地域によっては石碑や門楼を建てて功績を記す「貞節牌坊(ていせつはいぼう)」という記念の石造門まで設けられた。

画像 : 湖南省黔城に残る「節孝坊」貞節と孝行を守った女性を称えるために建立された石造の牌坊で、明清期の「貞節牌坊」と同じ系統に属する。三猎 CC BY-SA 4.0

こうした考え方は、当時の社会制度に深く根づいていた。

明の初代皇帝・洪武帝は、法令の中に女性の行動規範を明記し、節操を失った者を「家の恥」と断じた。

つまり女性の貞操は、個人の問題を超えて、家や国家の秩序を守る象徴とみなされていたのである。

その結果、女性はたとえ性的な被害にあっても、家族や親族までもが世間の非難を受けることを恐れ、沈黙を選ぶことが少なくなかった。

このような「貞節」の厳しい時代において、暗躍した一人の男がいた。

名は桑冲(そうちゅう)。

采花大盗(さいかだいとう/女性を欺き貞操を奪う凶悪犯)として悪名を轟かせ、10年のあいだに182人もの女性を欺いたという。

謎の男・桑冲の出自

画像 : 桑冲 イメージ 草の実堂作成(AI)

桑冲(そうちゅう)は、明の中期、成化年間に山西太原府石州の李家湾という村落に生まれた。

本名は李冲(りちゅう)といい、もとは軍戸の出身であった。

軍戸とは世襲で兵役に就く身分のことで、代々軍務に従う義務を負わされており、家は貧しく社会的地位も低かった。

李冲は幼少期に両親を失い、叔父の李大剛(り・たいごう)に引き取られて育った。

叔父も同じ軍戸だったが生活は苦しかった。
やがて養う余裕がなくなり、叔父は李冲を同じ地元の富豪・桑茂(そうも)に売り渡した。

こうして李冲は「桑家の養子」となり、姓を改めて桑冲(そうちゅう)と名乗るようになる。

しかし、この養子縁組は名ばかりであった。

桑茂は慈悲から少年を引き取ったのではなく、家事や雑用をさせる労働力として扱ったのである。

桑家は地方の名士で広い屋敷を構えていたが、その中で桑冲は召使い同然の扱いを受けた。
蔑まれ、叱責され、食事も粗末で、家人からは常に「外から来た子」として疎外された。

幼い心に刻まれた屈辱は、やがて深い劣等感と怨念へと変わっていく。

桑冲は成長するにつれ家から逃げ出すようになり、街の不良たちと交わって賭博や喧嘩に明け暮れるようになった。

養父の桑茂はその振る舞いに激怒し、ついに桑冲を家から追放する。

行くあてもなく放浪する中で、桑冲は次第に「人を欺く」ことに興味を示すようになる。

貧困と孤独の中で、人を騙すことでしか自分の存在を感じられなかったのかもしれない。

そんな折、山西大同府に「谷才(こくさい)」という奇人がいるという噂を耳にする。

その奇人は、男でありながら女装の術に長け、誰もその正体を見破れないという。

桑冲はその話に強く惹かれ、谷才の元へと向かったのである。

「禁断の術」と10年の犯罪行脚

画像 : 谷才イメージ 草の実堂作成(AI)

山西大同府に到着した桑冲は、うわさの奇人・谷才(こくさい)に弟子入りを願い出た。

谷才は、男でありながら女装の術に長け、18年間も女工教師(裁縫や刺繍などを教える女性教師)を装って、婦人を誘惑し続けたという人物であった。

谷才は最初、桑冲の申し出を断ったが、彼が3日3晩門前で跪き続けたことに心を動かされ、ついに弟子として迎え入れた。

谷才の教えは、単なる化粧や衣装の技術ではなかった。

女の姿勢、言葉遣い、歩き方、声の高さに至るまで細かく訓練させたのだ。
さらに針仕事や刺繍、料理まで教え込み「完全な女性」を演じるための20を超える技を伝授したといわれる。

谷才の技で最も恐ろしいのは「人を欺く心得」であった。

相手の警戒を解き、羞恥と恐怖を利用するその心理操作術は、まさに悪知恵の極みだったのである。

画像 : 女装する桑冲 草の実堂作成(AI)

そして、2年の修行を終えた桑冲は師のもとを離れ、各地を巡り始める。

成化3年(1467年)から13年までの10年間、彼は大同・平陽・太原・真定・保定・順天・順徳・河間・済南・東昌など45の州県、さらに78の村や宿場を転々とした。

桑冲は「女工を教える名目」で人家に入り込み、容姿や話術で相手を魅了し、警戒を解いて関係を結んだ。

拒む者には薬物を使い、意識を奪って行為に及んだと伝えられる。

その手口は常に慎重で、一か所に長く留まることがなかったという。

例えば、ある土地で3日から5日ほど滞在すると、すぐに姿を消し、次の町へ向かう。

土地の人々が怪しむころにはすでに遠く離れている。
被害者が声を上げないことを知っていた彼にとって、社会の沈黙そのものが最大の隠れ蓑だったのだ。

実際に、被害者の多くは、名誉を守るため訴え出ることをためらった。
もし官府に届け出れば、自ら「貞操を失った女」として一生の烙印を押されることになる。

それゆえ桑冲の犯行は、なんと10年間も露見せず、記録によれば被害者は182人にのぼったという。

画像 : 桑冲に誘惑される女性たち 草の実堂作成(AI)

さらに桑冲は、同じ手口を広めるため7人の弟子まで取っていたのである。

皇帝の怒りと桑冲の最後

成化13年(1477年)の夏、桑冲の長い逃亡劇は、思わぬ形で幕を閉じることとなる。

晋州の村に住む士人・高宣(こうせん)の家を訪れた彼は、「夫に虐げられた逃亡中の若妻」を装い、宿を求めた。

高宣は不憫に思い、南房を貸して一夜の宿を許した。

しかしその夜、家の娘婿が色欲に駆られ、桑冲の寝所に忍び込んでしまったのだ。

抵抗した桑冲は押さえつけられ、ついに男であることを暴かれてしまった。

翌朝、村人たちが駆けつけ、驚愕と怒りの中で彼を捕らえ、官府へ突き出した。

こうして10年に及ぶ桑冲の悪行が、ついに明るみに出たのである。

晋州の役所で取り調べが行われ、桑冲は初めは否認を続けたが厳しい拷問に耐えかね、すべてを自白した。

事件の異常さに驚いた地方官は、ただちに上層の役所へ報告を上げ、さらに中央の監察当局へと送った。

案件は最終的に北京の朝廷に届き、第9代皇帝・成化帝の耳にも入った。

画像 : 第9代皇帝・成化帝 public domain

皇帝は「この者、その行い醜悪にして風俗を汚す」と激怒したという。

そして成化13年11月22日、以下のような勅命が下った。

奉聖旨:「是。這廝情犯醜惡,有傷風化,便凌遲了,不必覆奏。任茂等七名,務要上緊挨究,得獲解來。欽此。」

意訳 :

皇帝の勅命はこうである。
「よい。この不届き者は、その行いが醜悪で風俗を損ねている。すぐに凌遅に処せ。改めての報告は不要である。任茂ら七名については厳重に追及し、捕らえて送致せよ。これを命ず。」

『庚巳編』巻九「人妖公案」より

かくして桑冲は都の市中に引き出され、無数の刀で少しずつ削がれる「凌遅(りょうち)」の刑に処された。

記録によれば、一千余刀を加えられた後、絶命したという。

皇帝の勅命による凌遅刑は、中国史上ただ一例である。

彼は、皇帝自らの命令で処刑された唯一の「采花大盗(女性を欺き貞操を奪う重罪犯)」として名を残した。

後世の研究者たちは、この事件を「貞節社会の闇を映す鏡」と評した。

名誉と恥、道徳と恐怖が複雑に絡み合った明代社会の歪みの中で、人々が守ろうとした「体面」が、結果として一人の悪を長く生かしたのである。

参考 : 『庚巳編』巻九「人妖公案」『明憲宗実録』他
文 / 草の実堂編集部

草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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